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〈レビュー〉大阪音楽大学 第57回吹奏楽演奏会


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レビュー

ザ・シンフォニーホールの誇るパイプオルガンの両隣に、大阪音楽大学創立110周年記念ロゴが燦然と輝いていた。1915年(大正4年)に大阪音楽大学ができてから今年度は110年となるため、大学関係のあらゆる場所でこのロゴを目にした。この日の演奏会も創立110周年記念事業として位置付けられており、開演前や幕間の時間もこのロゴが舞台の光景のひとつとして彩られていたのであった。

110周年のなかでも吹奏楽演奏会の歴史は長く、年に1度開催される大学主催の演奏会のうち定期演奏会・合唱発表会に次ぐ開催回数を数えている。この日のタクトを執る作曲家であり大阪音楽大学教授の高昌帥も大阪音楽大学の出身であり、後述する作曲コンクール受賞作の演奏も含めて、大阪音楽大学の伝統と現在を同時に感じられる演奏会となった。

この日の演奏会は作曲コンクール受賞作を除き、すべて高昌帥の作曲作品である。


2026年3月1日公演
ザ・シンフォニーホール

-プログラム-
今、吹き渡る風
「ウェストミンスターの鐘」による幻想曲
B.A.C.H.へのオマージュ
ウインドオーケストラのためのチルチェ
ウインドオーケストラのための組曲「サンサーラ」

はじめに演奏されたのが《今、吹き渡る風》。西洋音楽のX軸とY軸である対位法と和声法をカノンとコラールとして対置させたファンファーレ調の楽曲とプログラムノートにあった。金管楽器から始まるカノンと木管楽器を中心に奏でられたコラールがいつの間にか役割を交替しつつ発展していくさまは西洋音楽史と重なった。クワイア席に配置されたバンダ(別働隊)の4人のピッコロトランペットは、速いパッセージのカノンを一人ひとり主体的に演奏し、音響がより空間的に広がった。

ここで創立110周年記念吹奏楽作品作曲コンクール受賞曲が2つ演奏された。このコンクールは昨年10月に開催された🔗創立110周年記念演奏会の一環として開催されたものだ。

坂井慎吾の《二季草の振鈴》は聴衆賞を受賞した作品。二季草は藤の別名で、風に揺らぐ花を思わせるやわらかなメロディが、パーカッションで勢いづく中間部を経て再現部で戻ってくると感動的な色彩を帯びる。

🔗山田竜雅は2023年の「ニュークラシックプロジェクト」でも作品が演奏されるなど活躍めざましい俊英。コンクールで最優秀賞を受賞した《吹奏楽のための挽歌》は、本人が「おおよそ記念式典にはそぐわないタイトル」「絶望的な音楽」と語る。なるほど、バスドラムの重たい暗い響きのなかから生まれる半音のモティーフが楽曲を通して支配的で、希望的な旋律が生まれてはことごとくかき消されていく。それでも不協和音のあとに奏でられる木管楽器と鍵盤打楽器のエンディングはまどろむようで、苦悩を経て歓喜に至るという古典派以来の音楽哲学がそこに息づいているように感じた。半音の軋みはしばらく耳にこびりついて離れなさそうだ。こういった曲をけだし名曲と呼ぶのだろう。

演奏後にはそれぞれの作曲者が客席から登壇し、若き作曲家の才能とこれからを祝う客席からの温かい拍手を浴びた。コンクールで惜しくも受賞に至らなかった本選出場作品(川合清裕《祝典序曲》、朴守賢《アリラン・ダンス》)も3月20日のジュニア吹奏楽団演奏会で演奏された。
ふたたび高の作曲作品に戻る。

前半の締めくくりは《「ウェストミンスターの鐘」による幻想曲》。いわゆる「学校のチャイム」をモティーフにした作品で、元のタイトルは往年のテレビ番組を思わせる「学校へ行こう!」だったそうだが不評で改題されたとのこと。元のタイトルから受けるポジティブな印象からは距離を置いたドロドロとした冒頭部がミスマッチに感じられてしまったのだろうか。こういった裏話を率直に記すプログラムノートはあまり記憶になく読んでいておもしろい。

ラストはチャイムをモティーフにしたフーガが一体感を伴いながら展開していきコラールに至る。筆者が専門とする合唱(歌)はよくも悪くも歌詞というテキストに依存しているが、音楽のドラマトゥルギーだけでストーリーを描けることに新鮮に感動した。

後半は本日が初演となる《B.A.C.H.へのオマージュ》から。音楽の父バッハは偶然か必然か名前を音名と置き換えることができ、古今東西の作曲家がそれをモティーフにした曲づくりをしてきた。高もその先例に倣い、バッハの作品にも引用される賛美歌《われ心より焦がれ望む (Herzlich tut mich verlangen)》も用いて曲を完成させた。

この曲にはクラリネット四重奏とサクソフォーン四重奏の八重奏から成る同名の原曲があり、それを小編成の吹奏楽にアレンジしたとの弁がプログラムにあった。なぜ小編成かというと、近い将来の少子化や部活動の外部移行といった課題への対応という点を述べており、音楽だけに留まらない、社会まで見据えたそのまなざしの鋭さに唸った。

演奏は小編成ながらも堂々とした演奏であった。名前だけでこのような作品を喚起させるバッハについて、「バッハは小川(独語でバッハ)ではなく大海である」との言や彼の偉大さについて思わずにはいられなかった。


《ウインドオーケストラのためのチルチェ》は、朝鮮半島の伝統音楽のリズムパターンであるチャンダン(장단、長短)のうち、チルチェ(칠채、七彩)という5/8+5/8+3/8+3/8+5/8+5/8+5/4拍子の7小節1セットのパターンを素材として用いた作品。

説明だけでおののいてしまうような変拍子が予想されたが、冒頭のトライアングル3つで奏でられるリズムからグッと引き込まれ、曲の最後まで聴いているうちに自然とチルチェのリズムにノレるようになっていた。それはひとえに正確無比にリズムを刻みつづけ、なおかつグルーヴも生んでいた打楽器パートの活躍によるものだろう。すさまじい集中力だった。

《ウインドオーケストラのための組曲「サンサーラ」》は2026年現在で3つあるという吹奏楽のための組曲の1つめにあたる作品。「サンサーラ」はサンスクリット語で「輪廻転生」を意味し、初演指揮者の福本信太郎によって名付けられたという。

組曲にはマイルールを課している、と高は語る。第2組曲「イル・フィラート」では二度進行、第3組曲「スパルタカス」では三度進行を、そしてこの「サンサーラ」では四度進行を素材にしている。この制約は、自由が行きすぎた時代として人間の自然な感覚から乖離した所謂“現代音楽”に対して、調性への回帰を表明する高なりのアンチテーゼ、と筆者は理解した。

第1楽章〈Fanfare〉は完全四度の上行が属音から主音への動きのような力強い推進力となって曲を前に進めた。第2楽章〈Elegy〉ではハープやヴィブラフォン、マリンバといった余韻を残す楽器の浮遊感のある音楽のなかからじわじわと立ち上がってくる息の長い旋律が一大悲歌を形成した。タイトルからの一方的な受け売りかもしれないが、筆者はここに東洋的な無常の人生観をみた。西欧で中心となる完全五度の音程に対し、汎アジアで用いられる完全四度の響きが支配的だったからかもしれない。仏教の鐘の音を思わせるチューブラー・ベルの乱打で第3楽章〈Reminiscence〉からアタッカで第4楽章〈Jubilation〉に至ると、新しい生の幕開けだろうか、極楽浄土だろうか。圧倒的に肯定的な音楽がこの日のプログラムを締めくくった。繰り返しになるが、こうしたドラマが楽器だけで展開できることに目を開かれる想いだった。

アンコールとして、軽やかな《吹奏楽のための「ワルツ」》、消防音楽隊からの委嘱作品でマーチ風の《コール!119》が後味爽やかに演奏された。後者ではヴィルトゥオーゾ的な細かいパッセージがあったが、最後までよく揃っていた。

吹奏楽について筆者はほとんど門外漢であるが、先入観で想像していた音圧の高い「押せ押せ」の音楽といったイメージは見事に裏切られた。どこか遠く、ステージの裏からバンダが演奏しているのかと錯覚するほどの弱音の遠近感や、よくバランスを検討されたであろう各楽器の重ね合わせによる色彩が浮き出ていて、よい意味で吹奏楽への認識を改める演奏会になった。

冒頭に触れた創立110周年記念ロゴには、110の後ろにFellows(仲間)が織り込まれているとパンフレットにあった。舞台の上で繰り広げられた音楽は、紛れもなくこの「仲間」による一体感が醸成したものであった。来年度の吹奏楽演奏会は3月6日に御年90歳となる保科洋を迎えて。新たな仲間とともに111年目へと歩み出す次の歴史に期待したい。

Text / 坂井威文Photo / 飯島隆(飯島隆写真事務所)

坂井威文(Takafumi Sakai)
合唱指揮者、合唱文化研究者。大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション専攻卒業、同大学院音楽学研究室修了。豊中などで13の合唱団の指揮・指導を行なっている。大阪府合唱連盟理事、関西合唱連盟主事、宝塚国際室内合唱コンクール委員会理事。