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不屈の歩みが導いた軌跡 ― ドイツ、NY、そしてカーネギーホールへ


念願のカーネギーホールでリサイタルを開いた松下愛美さん=2025年12月

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仕事図鑑

大阪音楽大学を卒業後、ドイツで5年間研鑽を積み、さらにニューヨークへ拠点を移したピアニスト・松下(旧姓:松浦)愛美さん(器楽学科ピアノ専攻、2012年度卒)。言語も文化も異なる環境の中でも「絶対に諦めない」と心に決め、2025年12月には念願のカーネギーホールでのリサイタルを実現しました。挑戦の連続だったドイツでの日々、一から道を切り開いたニューヨークでの活動、そして迎えた大舞台――。音楽家として積み重ねてきた歩みを、彼女自身の言葉で紐解きます。

ドイツで見つけた“音の軸” ― 研鑽が形づくった5年間

ヴュルツブルク音楽大でBernd Glemser教授のレッスンを受ける松下さん

松下さんがドイツ留学を志した背景には、大阪音楽大学在学中に受けた恩師の教えが大きく影響しています。

「松本昌敏先生には小学校6年生の頃から、そして大学でも4年間お世話になりました。もともとドイツの作曲家がすごく好きで、専門特殊研究ではドイツに留学経験がある岡原慎也先生(2025年退任/現名誉教授)から2年間学び、お話を伺ううちに自然と“ドイツに行きたい”と思うようになりました」

そして「100人のうち1人受かるかどうか」という狭き門を突破し、ヴュルツブルク音楽大学大学院へ進学します。ここから、息つく間もない挑戦の日々が始まりました。

「“この月はこのコンクールに向けて”という感じで、毎月のように目標がありました。朝から夜遅くまで練習して、寮には寝に帰るだけの生活でした」
長期休みには各地の教授のマスタークラスを積極的に受講。どのクラスも貴重な経験となり、「今の私の音楽づくりに大きなヒントを与えてくれています」と振り返ります。

Pavel Gililov教授(モーツァルテウム音楽大学教授)のマスタークラス

河村尚子教授(フォルクヴァング芸術大学教授)のマスタークラス

ヨーロッパ各国のコンクールで実績を重ねてきた松下さん。その中でも、2018年の Jurica Murai 国際コンクール(クロアチア)は“特別な経験だった”と振り返ります。
「日本のようにコンクールがきちんとオーガナイズされているわけではなく、“いつ練習できるの?”と不安に思うことが多々あり、本当にサバイバルのような環境でした」

それでもファイナリストおよび審査員特別賞を受賞し、審査員のGrigory Gruzman教授から思いがけない言葉をかけてもらったといいます。
「“生涯忘れることのない演奏”とおっしゃってくださいました。ファイナルに残れただけでも満足だったのですが、その言葉をいただけて本当に報われました」

Jurica Murai国際コンクールの受賞者、審査員の皆さん。松下さんは右端

Grigory Gruzman教授と

コンクールの様子が翌日のニュースに

ヴュルツブルク音楽大学大学院では、Master の後に続く Meisterklasse(ドイツ国家演奏家資格・博士相当)を取得するために、1年以内に3つの試験をクリアしなければなりません。
「1時間のリサイタル、2台ピアノによるコンチェルト、そして1時間半のプログラム。とても厳しく、ハードな試験でした」

松下さんはこれらを最高得点で修了し、国家演奏家資格を取得しました。

卒業試験のプログラム

コンチェルト試験ではベートーヴェンのピアノコンチェルト「皇帝」を演奏

留学中、ドイツ語でレッスンを受けるうちに、言語と音楽の関係にも新しい理解が生まれたといいます。

「日本語は文が短くて縦に積み上がる感じですが、西洋の音楽は横に流れていく。ドイツ語でレッスンを受けるようになって、今まで言葉で理解していたことが、自分の中から腑に落ちる形で分かっていきました」

その“腑に落ちた瞬間”が、後の演奏に確かな変化をもたらしました。

NYで育った視点 ― 多様な価値観が磨いた感性

5年間のドイツ生活を終えて帰国した松下さんは、日本で演奏活動を続けていましたが、結婚を機に大きな転機が訪れます。

「結婚相手の関係で、ニューヨークに住むことになりました。クラシック音楽は“ヨーロッパ”という気持ちが強かったですし、コンクールなどでも訪れたことのなかったアメリカでどんな活動ができるのか、全く想像がつきませんでした。いざ行ってみたら、もう仰天しました。規模も、人の忙しさも、冷たさも…本当に衝撃でした」

知り合いもおらず、英語も不自由。最初の数ヶ月は孤独と不安の連続だったといいます。

「“私がピアノをやめても誰も困らないよね”と思ってしまうことも多々ありました。それでも、ほかのアーティストの演奏を聴くと、“ここでやめられへん”と思い直して鍵盤に向かっていました」

そんな中、先輩ニューヨーカーの言葉が意識を変えました。

「“毎日新しい人に会いなさい”と言われて。“また会いましょう”で終わらせず、“いつ空いていますか?”と必ず次の約束をするようにしました。そうしたら、本当に面白い出会いが増えていったのです」

ヒップホップやジャズ、ミュージカルなど多様な音楽文化が息づくニューヨーク。多ジャンルの人々との交流によって、コンサートづくりにも新たな視点が生まれます。

「“こうやってエンターテインメントを作るんだ”と大きな刺激を受けるとともに、クラシックのリサイタルのあり方に疑問を持つようになりました。もっと世界観を作ってもいいんじゃないかって」

演出を工夫し、聴衆を“没入”へと導くスタイルを模索し始めました。

「照明を変えたり、あえて真っ暗で弾いたり、世界観を作ることを意識するようになりました。すると“寝ちゃった”と言われることが本当に減ったんです。“また聴きに来たい”と思っていただけるように、クラシックの枠にとらわれない表現・演出を追求したいと思っています」

ステージに立つうえで欠かせない衣裳にも強いこだわりを持ち、「流行に左右されることなく、自分らしさを引き立て、演奏内容や会場にふさわしいドレスを選ぶようにしています」と語ります。

真っ暗な空間で演奏することで、音だけに集中できる演出を行っている様子

衣裳には強いこだわりを持つ松下さん

カーネギーホールの響きの中で ― 過去と現在が交差した夜

念願のカーネギーホール公演までの道のりは、決して順調ではありませんでした。

さまざまな要因が重なり、コンサート内容が最終的に固まったのは本番の2〜3ヶ月前。エージェントの紹介でハンガリーのピアニストBalázs Fülei氏との共演が決まり、ソロとデュオを組み合わせたプログラムとなりました。

「Füleiさんは前日にハンガリーで大きなコンサートがあり、そのまま本番当日の朝にニューヨークへ到着するという強行スケジュールでした。リハーサルは本番前の30分だけ。こんな状況は人生で初めて。しかもこんな大舞台で…」

初対面ではありましたが、デュオのリハーサルは順調に進み、いよいよ本番を迎えます。

松下さんがソロに選んだのは、シューマンのピアノソナタとショパンのマズルカ。
「シューマンに一番深く向き合ったのがドイツ留学時代だったので、その頃の自分を反映したくてシューマンの曲から選びました。そして、これまで意識的に避けてきたショパンにも向き合いました。皆さんそれぞれに“ショパン像”があって、その中で自分の個性を示さなければならないという大きなプレッシャーがありましたが、ここで乗り越えようと思ったんです」

結果は意外にも「ショパンの方が好評でした」と笑います。

ほぼ満席の会場が大きな拍手に包まれ、「好きな奏者の一人である Vladimir Horowitz もここで弾いたんだと思うと胸がいっぱいになりましたし、自分のために時間をつくって来てくださったお客様の姿を目にしたとき、ああ、ニューヨークで頑張ってきて本当によかったな…と心から思いました」。達成感と安堵の中で、公演を終えました。

当日ホールの外に飾られていたポスター

リサイタルを終えて

カーネギーホール公演を終えたあと、しばらくは余韻が抜けなかったといいます。それほどに彼女にとってかけがえのない大きな経験となりました。

「だんだんと得意不得意が見えてきますが、あえて不得意なことにも挑戦するきっかけになりましたし、自信もつきました」

挑戦には、普段をはるかに上回る練習が求められますが、徹底した練習は大阪音楽大学時代から身につけてきた姿勢です。

「当時は毎朝8時から朝練をしていました。1日も休まず継続することで、試験やコンクールの時に自信につながりました。練習は自分を裏切らないんです」
その姿勢は、今も揺らぐことがありません。

NYの自宅にて動画撮影をしている様子

最近はSNSでの発信にも力を入れています。演奏動画だけでなく、ニューヨークでの生活や舞台裏も紹介しています。

「こちらではSNSの内容やフォロワー数も重要視されているので、発信しない手はありません。まだ手探りですが、すそ野を広げて演奏活動の機会を増やしていくチャンス。発信内容にも工夫と個性を持たせていきたいです」
後進の育成にも積極的です。

「最近はインドネシアとハンガリーのマスタークラスの先生として呼んでいただきました。演奏と指導、その両方の活動の幅も日本とニューヨークだけでなく世界中に広がっていけばと思っています」

そして学生へは、「どのように音楽活動を行っていきたいか、早く自分の気持ちや技術をすり合わせ、進む道を見つけることが重要」とメッセージを送ります。

松下さん自身が進む道は、これからも“演奏を続けていくこと”です。

「聴きたいと思ってくださる方がいなければ、演奏は成り立ちません。その機会を、演奏面はもちろん、自分らしいコンサートづくりを通して生み続けていくことが、私の描くこれからです。一回一回のコンサートに真剣に向き合い、クオリティーを決して落とさず、常にその先を目指していきたいと思っています。

そして、ニューヨークのエンターテインメントから学んだ発想を生かしながら、自分にしかできないコンサートづくりを続けていきたい。さらに、いつかアメリカのオーケストラとも共演したいと強く願っています。チャンスが訪れたときに“できません”と言わず、迷わず挑める自分でありたい――その覚悟を持って進んでいきます」

洗練された佇まいの奥に、静かな強さが確かな輪郭を見せています。
挑戦の場を自ら切り開き、環境の変化を力に変えてきた歩みは、音楽家としてだけでなく、一人の人間としての強さとしなやかさを静かに映し出しています。

Interview&Text / 齋藤架奈枝

松下愛美(Manami Matsushita)
大阪府出身。幼少より多数のコンクールで上位入賞を重ね、早くから頭角を現す。大阪音楽大学器楽学科ピアノ専攻を優秀賞で卒業後、ドイツへ渡り、ヴュルツブルク音楽大学大学院に進学。2016年に満場一致の首席で修了し、2019年にはドイツ国家演奏家資格(Meisterklasse/音楽博士相当)を最高得点で取得した。
在学中から国内外のコンクールで実績を重ね、2017年には Luigi Zanuccoli 国際コンクール(イタリア)、 Steinway コンクール(ドイツ)、Euterpe 国際コンクール(イタリア)でいずれも第1位を受賞。2018年 Jurica Murai 国際コンクール(クロアチア)ではファイナリストおよび審査員特別賞を受賞。ヴュルツブルク音楽大学創立以来初めて、大学内で開催されたすべてのコンクールで第1位を獲得した。
演奏活動はヨーロッパ各地へ広がり、ドイツの音楽祭「キッシンガー・ウィンターフェスティバル」や「モーツァルトフェスト2016」に招聘されるほか、世界遺産マウルブロン修道院、フランクフルト、ミュンヘン、バイロイト、オランダ、クロアチア、イタリアなどでソロおよび室内楽リサイタルを行い、いずれも好評を博した。これまでにアリ・ラシライネン指揮ヴュルツブルク音楽大学オーケストラ、アマービレフィルハーモニー、アンサンブル神戸、かぶとやま交響楽団と共演している。
2024年のニューヨークデビューリサイタルでは高い評価を受け、地元紙にも取り上げられた。以降、ニューヨーク市内の主要ホールでの演奏をはじめ、ソロリサイタル、室内楽、各種イベント出演など幅広く活動している。2025年12月にはカーネギーホールでのリサイタルを開催し、さらなる注目を集めた。
教育活動にも力を注ぎ、スタインウェイ・ティーチング&エデュケーショナル・パートナーのメンバーとして指導に携わるほか、ハンガリーやインドネシアで行われるマスタークラスに招聘されるなど、国際的に活動の場を広げている。日本では関西を中心に演奏会に出演。後進の育成にも積極的に取り組み、コンクールの指導者賞を受賞した経歴を持つ。アマービレ楽器講師および同フィルハーモニー専属ピアニストとしても多くの経験を積んだ。
レパートリーはバロックから現代まで幅広く、ソロ・室内楽の両面で豊かな表現力を発揮している。現在はニューヨークを拠点に、演奏・教育の両面で国際的に活躍の場を広げている。