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【特別講義】言葉から音が立ち上がる瞬間 調律師・荒木欣一が語る 現場の対話


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ニュース

ピアノ演奏法の授業の一環として、国内外の一流演奏家から厚い信頼を寄せられるピアノ調律師・荒木欣一氏を招き、4月21日に特別講義を開催しました。関西の主だったホールで世界的なアーティストの音づくりを支えてきた荒木氏。その語りには、技術を超えた“現場の対話”の積み重ねが息づいていました。

ピアニストの“言葉”をどう読み解くか――音づくりは対話から始まる

荒木 欣一さん

「さまざまな種類のピアノがあると知って、どうしてもヨーロッパに行きたくなりました」。
調律の専門学校を卒業した20歳のとき、荒木氏は単身イタリアへ渡り、7年間研鑽を積みました。イタリアでの経験は、ピアノという楽器の多様性と奥深さを身体で学ぶ時間だったといいます。帰国後は関西を拠点に、国内外の演奏家とともに数多くの舞台を作り上げてきました。

抽象的な“言葉”をどう受け取るか

現場でピアニストから投げかけられる言葉は、驚くほど抽象的です。

「音が天から降ってくるようにしてほしい」
「もっと艶っぽく」
「オーケストラに負けないパワーを」

これらは物理的な調整項目ではありません。しかし演奏家には明確な“音のイメージ”があり、その実現を調律師に託しています。

一方で、

「レットオフを1ミリにそろえてほしい」

といった具体的な依頼もあります。

荒木氏は語ります。
「作業した結果、『違う方向に行った』と言われることもあります。逆の作業をしてもまた違うと言われる。着地点を探すために、何度も微調整を重ねるのです」

同じ言葉でも演奏家によって意味が異なる。その“翻訳作業”こそが調律師の腕の見せどころなのです。

日本語の豊かさが生む難しさ

荒木氏は日本語の表現の豊かさにも触れました。

「日本語は、雨の種類だけで400以上の言い方があるほど表現が細かい。だからこそ、同じ“硬い”“柔らかい”でも、演奏家によって意図が違うんです」

言葉の奥にある“感覚”を読み取り、音に変換する。その繊細なコミュニケーションが舞台のクオリティを左右します。

学生との実演ワーク――“音を言葉にする”ことを体験する

学生が実際にピアノを演奏し、その音の印象を言葉にするワークも行われました。
同じピアノでも、弾き手・曲・ホール・天候などによって響きの印象は大きく変わります。

演奏した学生たちからは、

「タッチがはっきりしていない感じがする」
「響きがもう少しほしい」

といった率直な声が上がりました。

荒木氏は学生たちの言葉を一つひとつ拾い上げながら、
「その“感じ”をどう言葉にするかが大切なんです」
と語りかけます。

練習室のピアノにも“個性”がある

話題は、学生たちが普段使っている練習室のピアノへ。
「F426」「G205」「F404」――お気に入りの部屋番号が次々と挙がり、学生たちの“音の好み”が鮮明に浮かび上がりました。

ある学生は「自宅のピアノに近い音がするから」、別の学生は「高音の抜けが良くて気持ちいい」と理由を述べました。

同じ校舎にあるピアノでも、響きやタッチは微妙に異なります。その違いを敏感に感じ取り、自分の言葉で説明することは、演奏家として重要な力です。

舞台裏のリアル――本番直前に交わされる“音の対話”

講義後半では、荒木氏が実際に経験した舞台裏のエピソードが紹介されました。どれもプロの現場ならではの緊張感と判断力が求められるものばかりです。

▽ 本番30分前の「うんにゃを消して」
右ペダルを戻す瞬間に生じる微細な雑音“うんにゃ”。本来はフェルト交換が必要な作業ですが、本番30分前に突然「これを消してほしい」と依頼されたといいます。

「オーケストラが舞台袖でざわつく中、必死で対応しました」

舞台裏では時間との戦いが常にあります。その中で最善を尽くす姿勢こそ、プロの調律師の矜持です。

▽ “あえて狂わせた”ユニゾンを触るな
ピアノの1音には3本の弦が張られています。その音程が完全に一致している状態が“ユニゾン”ですが、あえてわずかにズラした“揺れ”を好むピアニストもいます。

リハーサル後に「絶対触るな」と言われていたにもかかわらず、気になって少し直してしまったところ、楽屋に響くモニター音で気づかれて叱られたというエピソードも紹介されました。

「その人にとっては、その“揺れ”が気持ちいいんです。調律師の正しさと、演奏家の正しさは必ずしも一致しないんですよね」

世界的ピアニストとの忘れがたい瞬間

アルド・チッコリーニ(1925-2015年)がイタリアで5日間連続リサイタルを行った際、「音が上から降ってくるように」と求められた日々が続きました。30年後、日本で再会した際に「覚えてるよ」と声をかけられた瞬間を、荒木氏は「胸がいっぱいになりました」と振り返ります。

エフゲニー・キーシン(1971年-)は前日からホールを丸一日借り切り、ピアノ選定から整音まで行う徹底ぶり。作業を終えて廊下に出たところで「Good work!」と声をかけてくれた瞬間も忘れられない思い出です。

イーヴォ・ポゴレリチ(1958年-)は客席が埋まっても、本番15分前までリハーサル。「照明、導線、椅子の角度まで細かく指定し、舞台全体が緊張感に包まれていた」といいます。そして、カーテンコールで袖に戻るなり「Hey, tuner! 一緒に動画を撮るぞ」と。後日、Instagramに「調律師のおかげで美しい音が作り上げられた」と投稿してくれ、「大変光栄だった」と語りました。

若い演奏家に求められる姿勢――音を支える人々への理解と敬意

講義の締めくくりに、荒木氏は演奏家にとって大切な三つの姿勢を挙げました。

  • 音のイメージを言葉で伝える力
  • 技術者やスタッフとのコミュニケーション
  • 舞台を支える多くの人への敬意

「最後の出口は演奏者。でも、その裏にはたくさんの裏方スタッフがいる。“ありがとう”の一言で、僕らはまた頑張れるのです」

音づくりは“演奏者ひとりの成果”ではなく、多くの人の仕事が折り重なって生まれる共同作業である――荒木氏はそう強調します。調律師、舞台監督、照明、運搬、ホールスタッフ……それぞれが自分の持ち場で最善を尽くし、その積み重ねが初めて一つの演奏会を形づくる、と。

「僕らは、演奏者がどんな音を求めているのかを知りたい。そのためには、遠慮せずに言葉にしてほしいんです。抽象的でもいい。そこから対話が始まるから」

演奏家が自分のイメージを言葉にし、技術者がその奥にある“感覚”を読み取る――その往復が舞台上の音を豊かにし、表現の幅を広げていきます。

学生たちは、音づくりが“技術”だけでなく、信頼と対話によって支えられていることを知り、今後の音楽との向き合い方を見つめ直す契機となりました。

Text / 齋藤架奈枝

荒木 欣一(Kinichi Araki)
1964年福井県生まれ。中部ピアノ技術専門学校卒業後、イタリア・Alberto Napolitano社に所属。ドイツの主要ピアノメーカー工場で研鑽を積み、バーンスタイン、パバロッティ、レイ・チャールズ、ポール・マッカートニーなどジャンルを超えた世界的演奏家の調律を担当。帰国後、松尾楽器商会でコンサートピアノの調律・保守を担当し、現在は株式会社うたまくらにてピアノ修復・調律・技術講座など幅広く活動する。株式会社ザ・クリエイティブ・ピアノ・スタジオにも所属して関西のコンサートホールの舞台裏を支えている。武生国際音楽祭では20年以上ステージマネージャーを務めている。