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闘うピアニストに学ぶ「自己実現のセオリー」⑤(最終回)


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さまざまな視点

国際的ピアニストとして多方面で活躍されている、大阪音楽大学准教授の赤松林太郎さん。この連載では、音楽家も意識すべきSNS戦略をはじめとするビジネスマインドや情報収集の手法、セルフプロデュース術を、“闘うピアニスト”赤松さんの経験に基づくお話からひもときます。最終回となる第5回のテーマは「“闘うピアニスト”の姿勢」です。(全5回連載)

【第5回(最終回)】“闘うピアニスト”の姿勢

開拓していった結果として、やりたいことが全部できている


“闘うピアニスト”というフレーズは自分でつけたわけではなく、20代最後に僕がパリから帰ってきたときのインタビューで、神戸新聞の記者の方が書いてくださった見出しが一人歩きしたものなんです。キャッチーでいろんなニュアンスを感じとれるのがいいなと、自分でも使わせてもらうようになりました。日本で音大を出ていない、いつも何かに抵抗している、激しい曲を弾いてばかりいる、血圧が高そう(笑)、いろんなイメージに取られるでしょうね。

僕自身に闘う気持ちはないものの、やりたいことのために何をしてどう進むべきか、ということは常に考えています。そこに立ちはだかる人にどうやってどいてもらうか、あるいはどうすれば一緒に進んでもらえるか。もちろん人間関係そう上手くはいかないので、ぶつかって失敗することも多々ありましたが、結果としてやりたいことができています。


「闘う=開拓していく」というニュアンスもありますよね。僕も当時、昭和世代としては前例がないことをやったのかもしれませんが、今のソリ(反田恭平さん)や、かてぃん(角野隼斗さん)なんかは、僕よりはるかに能力が高く、自分の道を開拓しています。とはいえ、渦中の人間は皆、「今、開拓している」という意識はなく、目標を達成するために今すべきことを考え、実行しているだけだと思いますよ。

“石橋を叩く前に渡ってしまおう”


僕は海外へ出てから、亡き師たちを含めて、いわゆる“生きる伝説”といったカリスマばかりとふれあってきました。しかし、帰国と同時に愕然とします。今まで雲上人と一緒にいたからすごく高いところで物事を見ていたのですが、いざ独り身になって地上に戻ったら、なんと見える世界の狭いことでしょう。誰の力も得られないから、見える景色を広げるためには自分の足で開拓していくしかなかったわけです。そこで、どこへでも一番アクセスしやすいところに居ようと東京で生活を始めたのですが、知り合いはおらず、日本の音大を出ていないこともあり、つながりはない。これからどうやって生活していくのか――。「石の上にも三年」と座右の言葉を書いて、とりあえず3年間で何をしていくかを考えました。

そのうえで感じたのは、現地現認の重要性です。現地に行って、自分の目で、五感で確かめること。つまり足で稼ぐこと。Googleマップではわからないことがたくさんありますからね。とにかく今しかできないことは、 “石橋を叩く前に渡ってしまおう”という思いでした。死ぬわけじゃありませんからね。さすがに僕の今のポジションでは他者への影響があるので、迷惑をかけないようにコントロールしていますが、かすり傷程度で失うものがない若いうちは、とにかく挑戦してみたほうがいい。それに人ってそれほど他人に興味があるわけではないので、失敗したって2日ぐらいでトレンドから消えていくものです。だからもっと、赴くままに生きてほしい。


「自分で思うようにやっていい」ということを、誰かが必ず言ってあげないといけません。指導者の立場になると、そう思っていても「もっと遊べ、もっとバイトしろ」とは言いにくい。「そんな時間があったら練習しなさい」となってしまう。でもそうじゃないんです。練習時間は絶対に確保できるから、もっと時間を面白いことに使いなさい。どんどん外へ出ていきましょう。人生は旅。

山に登り続けるのは、自分との対話のため


コロナ禍前までは、毎年必ず山登りに行っていました。いつもは北アルプスかスイスの峰々ですが、今年の夏は初めて中央アルプスを楽しみました。標高3,000mを超えたあたりを歩いていると、足は重いし頭も痛くなって、めっちゃ苦しいんですよ。近年は山も暑くて、3,000mぐらいでも夏は思ったほど涼しくもない。しかも雲だらけで、見晴らしも悪い。登頂したときの達成感もありません。ではなぜ登るのか。「自分との対話」のためです。何かを得るためではなく、自分と向かい合う。山頂からの絶景を目標にしたら、山頂で何も見えなかったとき、何のために登ったんだろうと失望してしまいます。それではもったいないでしょう。

スイスのアレッチ氷河でメンヒスヨッホヒュッテ(山小屋/標高3,620 m地点)に向かう
(2018年8月)

中央アルプス(木曽山脈)の木曽駒ヶ岳にて
(2022年8月)


たくさんの種をまくのも同じです。「これは実を結ばないな」と思っていたらできません。それに気づくには、山に登るほかありませんでした。若い頃は「こんなに頑張っているんだから、これが得られて当然だ。得られなかったら社会が悪い」なんて思ってしまうこともありましたが、山登りはそういった思考からも脱却させてくれました。

実を結ばないかもしれないのに、なぜ努力するのかと思う人もいるでしょう。だけど途中で放棄したら、そこで終わりなのは明らかです。成功は努力のたまものであることに間違いはありません。であれば、努力の質を上げて、モチベーションを高めることが大切です。そして努力の過程で自分と対話し、努力している内容のブラッシュアップに情熱を注ぐとよいですね。わからないことはまず自分で調べ、それでもわからなければ、スペシャリストを探して協力を仰ぐ。自分以上のスペシャリストがいつでも手の届くところにいる環境をつくりましょう。それをしないと時代の波に乗り遅れます。放っておいても来るのが波です。だけど待ってはくれません。いつでも乗れるよう、結果がついてこなくても、努力は続けるべきだと思いますよ。

Interview&Text/三浦彩
Photo/本人提供


赤松林太郎(Rintaro Akamatsu)
世界的音楽評論家ヨアヒム・カイザーにドイツ国営第2テレビにて「聡明かつ才能がある」と評され、マルタ・アルゲリッチやネルソン・フレイレから称賛された2000年のクララ・シューマン国際ピアノコンクール受賞がきっかけとなり、本格的にピアニストとして活動を始める。
1978年大分に生まれ、2歳よりピアノとヴァイオリンを、6歳よりチェロを始める。幼少より活動を始め、5歳の時に小曽根実氏や芥川也寸志氏の進行でテレビ出演。10歳の時には自作カデンツァでモーツァルトの協奏曲を演奏。1990年全日本学生音楽コンクールで優勝。神戸大学を卒業後、パリ・エコール・ノルマル音楽院にてピアノ・室内楽共に高等演奏家課程ディプロムを審査員満場一致で取得(室内楽は全審査員満点による)、国際コンクールでの受賞は10以上に及ぶ。
国内はもとよりアジアやヨーロッパでの公演も多く、2016年よりハンガリーのダヌビア・タレンツ国際音楽コンクールでは審査委員長を務め、ヨーロッパ各国で国際コンクールやマスタークラスに度々招かれている。キングインターナショナルよりアルバムを次々リリースする一方、新聞や雑誌への執筆・連載も多く、エッセイや教則本を多数出版。メディアへの出演も多い。
現職は、大阪音楽大学准教授、洗足学園音楽大学客員教授、宇都宮短期大学客員教授、Budapest International Piano Masterclass音楽監督、Japan Liszt Piano Academy音楽監督、カシオ計算機株式会社アンバサダー。