グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



  1. Home
  2.  >  Column
  3.  >  「フェスが始まったとき」(柴那典)

「フェスが始まったとき」(柴那典)


コラム
筆者/柴那典(音楽ジャーナリスト)
コロナ禍の制限がおさまり、3年ぶりに野外の音楽フェスが全国各地で開催される2022年の夏。何万人もの人たちが音楽の興奮を共有し自由に過ごす非日常空間が、ようやく戻ってくる。でも、こんな風に「フェスのある夏」が当たり前になったのは、いつ頃のことからなんだろうか。

いま、日本の「4大フェス」と言われているフジロック、サマーソニック、ロック・イン・ジャパン、ライジング・サン・ロック・フェス。僕は幸運にも、その4つのフェスが始まったときに、いろんな立場で居合わせることができた。

フジロックの初年度が開催されたのは1997年。場所は今の苗場ではなく山梨県の天神山スキー場。当時は今のように音楽フェスが毎年開催されるようなことはなかったので、それがどういうものなのかを体感としてわかっている人は、ほとんどいなかった。ヒッピーカルチャー華やかし頃のウッドストックは、遠い時代の“伝説”だった。何しろ大規模な野外コンサートでは夏の炎天下だというのにパイプ椅子をずらりと並べていたような時代だ。

初年度のフジロックの時、僕はまだ大学生だった。音楽好きの友達同士が集まって京都から車で向かった。台風が直撃し、途中からはどしゃ降りの雨。集まった人たちは、ほぼ全員がびしょ濡れだった。今だったら天気の変わりやすい山の麓で行われる野外フェスに耐水性の高いレインウェアを持っていくのは常識だけれど、そんな知識は全然広まってなかった。ミュールを履いてきていた女の子がステージ前でもみくちゃになりながらぬかるみにハマって歩けなくなっているのも見た。ヘッドライナーのレッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブは、結局、途中で中断。2日目は中止になった。

あのままフジロックが次年度以降開催されなかったら、どうなっていただろう。日本にフェスカルチャーは根付かなかったかもしれない。僕と同世代の40代のロック好きおじさんが「あのときはすごかったんだ」みたいなことを事あるごとに語ってウザがられていたかもしれない。そうならなくて本当によかったと思っている。

ライジング・サン・ロック・フェスの初年度は1999年。北海道・石狩の何もない大地にステージを立て、オールナイトの野外フェスを行う。そういうコンセプトが生まれ、そして数万人が集まった背景には、おそらくフジロックが1年だけに終わらず、98年の豊洲、そして99年の苗場と続いてきたことの影響も大きかったはずだ。当時のラインナップには、ミッシェル・ガン・エレファントやブランキー・ジェット・シティなど、いまでは解散してしまったバンドも並ぶ。それは日本のバンドだけで新しいフェスを成り立たせるというチャレンジだった。僕自身はこの頃、『ロッキング・オン・ジャパン』という音楽雑誌の新人編集部員。ライブレポートの仕事で駆け回っていた。

サマーソニックは2000年が初開催。これは明確にフジロックとの差別化を意識して始まったフェスだ。ともに洋楽アクトがメインのフェスだが、フジロックのモデルはグラストンベリーというイギリス郊外の牧場で70年代から続くアウトドア滞在型の野外フェスだ。一方サマーソニックのモデルはレディング&リーズ・フェスという、アクセスと利便性のいい2つの街中で開催される都市型フェス。で、サマソニの魅力はブッキングの妙にある。ヘッドライナーの豪華さはもちろんのことながら、海外のニューカマーをブレイク前にいち早く招聘するところも見逃せない。2000年にデビュー直後のコールドプレイが出演していたのは、振り返ると、後への伏線になったはず。

ロック・イン・ジャパンも2000年が初開催。これは運営側の一人として携わっていた。今でこそロック・イン・ジャパンは行列やトイレなどに不満を感じず快適に過ごせる日本有数のフェスとしてのイメージが定着しているけれど、最初は決してそこまで行き届いた環境ではなかった。初年度は台風に見舞われ、2日目のTHE YELLOW MONKEYのライブ中にステージ上の屋根が暴風雨によって破損してしまい途中で中断に。翌年からは、動線などいろんなところが少しずつ改善されていくのをスタッフの一人として目の当たりにしてきた。2022年からは千葉県の蘇我に会場を移したけれど、ひたちなかのあの場所に思い入れを持っている人は、きっと沢山いると思う。
他にも、いろんなフェスの「始まり」の場所に、居合わせることができた。やっぱり、何らかの文化や風習が生まれる場所は、前例や慣習のようなものがなくて、人々の楽しみ方も混沌としていて、新鮮な興奮がある。フェスにかぎらず今もそういう場所は沢山あると思うし、そういうところに自分を置くのが一番ワクワクする。


柴那典(Tomonori Shiba)
ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。ロッキング・オン社を経て独立。雑誌、WEB、モバイルなど各方面にて編集とライティングを担当し、音楽やサブカルチャー分野を中心に幅広くインタビュー、記事執筆を手がける。著書に『平成のヒット曲』(新潮社)『ヒットの崩壊』(講談社)『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)、共著に『渋谷音楽図鑑』(太田出版)がある。

*大阪音楽大学 ミュージックコミュニケーション専攻 客員准教授