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心を癒やす音楽の力、1/fゆらぎのひみつ④


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さまざまな視点

コロナ禍でさまざまな日常行動が抑制される中、音楽に癒やしを求めた方も多いのではないでしょうか。近年、心身にリラックス効果をもたらし、音楽とも関係が深いとされる「1/fゆらぎ」に注目が集まっています。なぜ、1/fゆらぎが人々の心に心地よく響くのか。「ゆらぎ」研究の第一人者で大阪音楽大学大学院客員教授の佐治晴夫さんにお聞きしました。(全6回連載)

<< 前回のお話
第3回「『1/fゆらぎ』と音楽の関係①」

【第4回】
「1/fゆらぎ」と音楽の関係②

アナログ特有の「温かくて柔らかい音」

――デジタルの音は「クリアでノイズがない」というイメージを持っていましたが、必ずしも「いい音」ではないということですね

佐治:全くその通りですね。CDと昔のアナログレコードを聴き比べると、音の違いは明確です。

手作りの真空管アンプを通してレコードを聴くことが私の趣味の一つなのですが、どなたに聴いていただいても「レコードや真空管アンプは本当に臨場感があって温かいですね」といわれます。

佐治先生手作りの真空管アンプ

パイプオルガンの音など、なかなかうまく再現できない音源も、真空管アンプで増幅すると臨場感のある音になります。
オーディオ愛好家から「温かくて柔らかい音」などと評されることが多い真空管アンプは、半導体がまだないころの主役でした。実は、真空管でさまざまな科学領域での計測器が作られていたころ、どうしても取れない微弱な雑音が1/f雑音だったんですね。今でこそ、もてはやされている1/fゆらぎも、当時、音響や信号の処理に携わっていた人にとっては敵みたいなものだったんです。

そういう真空管は、連続的な電子の流れを使って再生するわけですから当然素晴らしいアナログの音が出ます。レコードも、連続的に刻まれた溝の変化、つまりアナログ記録として音が入っているので、雑音はあるけれども、自然音の再生ができるのです。私たちが大学で学んでいた時代は、ガラスで中身が見える真空管アンプでしたから、目に見えない半導体を使うより、とても人間的に感じていましたね。演歌を聴く機会はほとんどありませんでしたが、たまたま、真空管アンプで「津軽海峡冬景色」のレコードを再生したときの驚きは忘れられません。ものすごい名曲に聞こえました。

声や楽器のゆらぎの正体は…?

――最近は「1/fゆらぎの声を持つ」などと形容される歌手もいます。声のゆらぎとはどのようなところに感じられるのでしょうか

佐治:声の質については、1/fゆらぎというよりもむしろ倍音でしょう。声そのものというよりは歌い方や話し方によるものだと思います。

例えばドイツの声楽家ディースカウがどうしてビロードのような声を出せたのか、アメリカのソプラノ歌手マリア・カラスの高音の時の伸びがどうなっていたか、そういったところには、必ず、倍音がもたらすゆらぎがあります。倍音が含まれると独特のゆらぎが生じ、声の美しさになるということです。
――楽器自体もその音色が1/fにゆらぐことはあるのでしょうか

佐治:ヴァイオリンで言えば、ストラディバリウスの音が人々を魅了する理由も「ゆらぎ」と倍音で解釈できますし、同じサイズのピアノでも、ピアノ内部のどこでどのように音が伝播して共振するかを見ると、メーカーによって明らかな違いがあります。共振もゆらぎなのです。

近年、そうした楽器の音を手軽に再現しようと、音響メーカーが電子楽器の研究開発を重ねていますが、ここにも難しさがあります。
例えば「名器」と名高いピアノの音を収録して、その音をそのまま鍵盤に移し替えようとします。本物のピアノの中では例えば、Cの音をたたくと、1オクタ-ブ上のc、 その完全5度上のg、さらにはc1……、g1などと倍音が響きますが、電子楽器では楽器全体での共振が起こらないので味気ない音になってしまいます。

電子ピアノの場合も本来のメカニカルアクションを通して弦をたたく機能がないので、フォルテやピアニッシモの弾き方の感覚が違います。ですから電子楽器で練習した子と、本当のピアノで練習した子の音楽は全く違うものになりますし、電子楽器しか触ったことがない子は「本物の音」を聞き分ける力がどんどん失われていくという弊害も出てきますね。

佐治先生の二段鍵盤オルガン

パイプオルガンと電子式チャーチオルガンでも、同じようなことが起こっています。さらにいえば、パイプオルガンで、第一鍵盤と第二鍵盤など別の鍵盤を連動させて弾くのに、カプラーを使いますが、昔のオルガンでは、メカニカルに力を伝えるので、重く独特の手ごたえがあるのですが、最近のパイプオルガンは電子的なアクションによって、それほどの力がなくても連動できてしまう楽器も出てきました。ですから、私の知っているオルガニストでも、昔ながらのパイプオルガンを使っている教会では「指を痛めないように弾くのが大変です」って言う人もいるぐらいです。
このようにデジタル技術の進化によって、音楽に限らず多くの芸術の形はどんどん変わってきています。それを新しい文化ととらえるとき、変化が良いことか悪いことなのか一概には評価できません。しかし、少なくとも昔の音楽とは違う、異質のものが生まれつつあるということも頭の中に入れておく必要があると思います。

音は全身で聴くもの

――コロナ禍にあっても、リモート会議の普及などデジタル技術の進歩によって便利になった側面があります。その一方で失われていくものもあるわけですね

佐治:そうですね。リモートで話せることは時間節約の意味で省エネにもなり、便利ではあるものの、口から出る音(=空気の振動)を肌で感じ取る感覚がありません。

先日、コンサート専門の調律師に私のピアノの調律を依頼したのですが「(新型コロナの影響で)マスクをすると音が聞こえづらく、調律がとても難しい」と話していました。音は耳だけで聴いているのではなく、全身で聴いている。マスクをしてしまうと皮膚からの音が入らないので、本当のきちんとした調律ができないということなんですね。演奏も単に音を聴覚で捉えているのでなく、体全体で聴いている。それが音楽の本来の姿なんです。

私自身の太平洋戦争中の体験ですが、当時、ポーランドにイグナツィ・パデレフスキという高名なピアニストがいて、彼が弾くベートーヴェンの14番、ピアノソナタ「月光」をレコードで聴くのが好きでした。ゼンマイ駆動の蓄音機でSPレコードを聞くのですが、戦時中の金属回収令によって次第に金属製のレコード針が手に入らなくなりました。そこで、レコード針の替わりに、先端を斜めに削った竹ヒゴをピックアップにつけて竹針として音楽を聴いていました。

しかし戦況の悪化につれて連合軍の日本本土上陸作戦が懸念されるようになり、その竹も本土決戦に備えての竹槍を作る材料にされ、使えなくなりました。そこで思いついた最後の手段は、ハガキの角を歯で加えて、その反対側の角をレコード面に当て、レコードの溝の振動を、歯を通しての骨伝導として聴くという方法でした。防空壕の中で聴いていたベートーヴェンです。
耳を使わなくても音は聴こえる。全身で音を聴く体験とともに音楽の深さを実感しました。
取材・文/野田直樹(高速オフセット) 撮影/佐藤アキラ

佐治晴夫(Haruo Saji)
1935年東京生まれ。理学博士(理論物理学)。東京大学物性研究所、松下電器東京研究所を経て、玉川大学教授、県立宮城大学教授、鈴鹿短期大学学長などを歴任。現在、同短期大学名誉学長、大阪音楽大学大学院客員教授、北海道・美宙(MISORA)天文台台長。量子論的無からの宇宙創生に関わる「ゆらぎ」の理論研究の第一人者。現在は、宇宙研究の成果を平和教育へのひとつの架け橋と位置づけ、リベラルアーツ教育の実践に取り組んでいる。日本文藝家協会会員。主な著書に『ゆらぎの不思議な物語』(PHP研究所 1994)、『The Answers すべての答えは宇宙にある』(マガジンハウス 2013)、『14歳のための宇宙授業』(春秋社 2016)、『ヒトを作った宇宙・人間を育てた音楽~宇宙・人間・音楽の不思議な関係』(日本音楽療法学会学会No.21-2 2021 )、『マンガで読む14歳のための現代物理学と般若心経』(春秋社 2021)など。