グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



  1. Home
  2.  >  Feature
  3.  >  心を癒やす音楽の力、1/fゆらぎのひみつ③

心を癒やす音楽の力、1/fゆらぎのひみつ③


\ Let's share! /

さまざまな視点

コロナ禍でさまざまな日常行動が抑制される中、音楽に癒やしを求めた方も多いのではないでしょうか。近年、心身にリラックス効果をもたらし、音楽とも関係が深いとされる「1/fゆらぎ」に注目が集まっています。なぜ、1/fゆらぎが人々の心に心地よく響くのか。「ゆらぎ」研究の第一人者で大阪音楽大学大学院客員教授の佐治晴夫さんにお聞きしました。(全6回連載)

<< 前回のお話
第2回「1/fゆらぎはなぜ心地よい?」

【第3回】
「1/fゆらぎ」と音楽の関係①

芸術作品の中の「1/fゆらぎ」

――1/fゆらぎについてだんだん分かってきました。最近は音楽の世界でも「1/fゆらぎにはリラックス効果がある」といった話を聞くことが増えました

佐治:「1/fゆらぎ」は先に挙げたような自然現象だけでなく、芸術作品の中にも見られます。

絵画は色の濃淡の変化によって成立しますし、音楽は音の高さが変動して旋律になり、リズムや音の強弱が加わって楽曲になります。同じ音が鳴り続けるだけでは音楽にはなりませんし、規則的な音の変化だけでも退屈になってしまう。半分予測できて、半分予測できないような音の動きが一番音楽的だと言えます。コンピューターで、デタラメな1/f0の数列と、ある程度、変動が予想できる1/f2の数列、それから、それらの中間の1/fの数列を作り、音にしてみると、1/fゆらぎが、一番音楽的に聞こえることが分かります。

西洋音楽のみならず、日本の音楽(邦楽)にも、1/fゆらぎはあります。雅楽の越天樂(えてんらく)は典型的です。越天樂の旋律は1/fではなく、「次の音」がなんとなく予想できるという点でどちらかというと1/f2に近いのですが、それを篳篥(ひちりき)や竜笛などで演奏する時のリズムゆらぎなどは、明らかに1/f型にゆらいでいます。

音楽は、人間の演奏で再現することによって初めて「完成する」

――コンピューターで1/fの数列を作って音階に直せるということは、「心地よい音楽」を意図的に楽譜として書き起こすこともできるのでしょうか

佐治:楽譜化するというのは単に記号化するだけの話ですから、それだけでは「音楽」にはなりません。楽譜は、単なる座標表示でしかありませんから、その通りの音を再現しても音楽にはならないということです。1/fゆらぎを持つ人為的なゆらぎが加わって初めて音楽になります。音楽は、もともとデジタルではないのです。しかし、最近では、デジタル技術が進歩していますから、逆に、そこからアナログ的なゆらぎを付加することもある程度はできるようにはなってきています。しかし、本当の演奏は、その時、1回きりのものですから、一律にデジタル化するのはどうでしょうかね。デジタル化することによって、どんどん本来のものが失われていく可能性は否めません。

少し話がそれますが、デジタルカメラが世に出始めたころ、当時の世界最高峰と呼ばれたカメラメーカーから、デジタル化したカメラが発売されたことがあります。私はもともとそのメーカーのカメラユーザーだったため、大枚をはたいて購入したのですが、使い物にならなかった。キラキラ光るような水面が真っ赤に写ってしまう。本来存在しない色が撮像素子同士の干渉によって、生じてしまうのです。これを「擬色」といいます。

デジタルカメラのフィルムに相当するイメージセンサーには、画素と呼ばれる小さな感光素子が「規則正しく」並んで、光の三原色である赤(R)・緑(G)・青(B)を感知しています。写真を撮る際、RGBに対応する各画素に当たる光のバランスが干渉などで崩れると擬色が発生します。一方、かつての写真撮影で主流だったカラーフィルムには乳剤という感光材が塗ってあります。乳剤は「ただ塗ってある」だけですから、そこに含まれる感光粒子はデタラメに配置されていることになります。デタラメであるとは、例えば、あるときにはプラスに、あるときにはマイナスにというように、全体として考えれば、雑音の全てが平均化されるので、擬色が発生しにくくなっていたのです。規則正しさが擬色を生んでいたのですね。そこで、最近のデジタルカメラでは、RGBの配置を少しゆらがせる(ぼやかす)など、いろいろな工夫が施されています。そんな状況の中で、写真愛好家の中には今でも現像、処理などで手間がかかっても、自然色をとらえやすいフィルム撮影にこだわる方がいるように、デジタル、フィルム双方に、それぞれに長所、短所があることも確かです。

ところで、音楽の演奏で、こんな実験をしたことがあります。カルテットのうち、三つの楽器を電子楽器で演奏させて、第1ヴァイオリンだけヴァイオリニストに弾かせるんです。電子楽器が完全に規則正しいテンポを刻むと、ヴァイオリニストはうまく演奏できません。テレビ番組の企画でもラヴェルのボレロを使った実験があって、「タン・タタタタン」というドラムのリズムをコンピューターで規則正しく刻むと、そのリズムにオーケストラが合わせようとしても、うまく合わせることができず、途中でギブアップという場面がありました。これらの実験は、ゆらぎのない規則的なパターンは生体が感覚として受け入れないということの証左ではないでしょうか。人間自体が1/fでないと生きていけないんですね。

最近はデジタル音源を用いて作曲するDTMも普及してきましたが、コンピューターで作った曲も最終的にはスタジオで演奏家による演奏や調整などでまとめあげたものを録音して仕上げるのが、本来の姿ですよね。デジタルで作曲した段階では作品としてまだ成立しておらず、人間の演奏で再現することによって初めて「完成する」のです。生身の人間の演奏では、同じ曲でも毎回違う曲になります。生演奏によって生まれるゆらぎ、何が起こるか分からない不確実さが生演奏の魅力と言えるのではないでしょうか。
取材・文/野田直樹(高速オフセット) 撮影/佐藤アキラ

佐治晴夫(Haruo Saji)
1935年東京生まれ。理学博士(理論物理学)。東京大学物性研究所、松下電器東京研究所を経て、玉川大学教授、県立宮城大学教授、鈴鹿短期大学学長などを歴任。現在、同短期大学名誉学長、大阪音楽大学大学院客員教授、北海道・美宙(MISORA)天文台台長。量子論的無からの宇宙創生に関わる「ゆらぎ」の理論研究の第一人者。現在は、宇宙研究の成果を平和教育へのひとつの架け橋と位置づけ、リベラルアーツ教育の実践に取り組んでいる。日本文藝家協会会員。主な著書に『ゆらぎの不思議な物語』(PHP研究所 1994)、『The Answers すべての答えは宇宙にある』(マガジンハウス 2013)、『14歳のための宇宙授業』(春秋社 2016)、『ヒトを作った宇宙・人間を育てた音楽~宇宙・人間・音楽の不思議な関係』(日本音楽療法学会学会No.21-2 2021 )、『マンガで読む14歳のための現代物理学と般若心経』(春秋社 2021)など。