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大阪音楽大学について

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1986年~1995年



1986年(昭和61年)

大阪音楽大学の歴史

3月20日 本学初の事業報告書刊行
事務機構の再編を機に、本学の年次活動を総括した事業報告書第1号となる『昭和59年度事業報告書』(201ページ)を刊行した。全学の年間実績を教育、研究から運営、設備面などの12章に分けて要約、本学の活動記録の蓄積であると同時に、教職員が大学全体の現状を把握し、将来の事業計画の検討に資するものとした

4月1日 短大音楽専攻、大学・短大箏専攻のカリキュラム変更

4月18日 春楽祭

4月30日 イェルク・デムス ピアノ・リサイタル
同日と5月6日に、それぞれピアノ・ソロ、2台のピアノおよびピアノ連弾の特別講義を行ったJ.デムスのリサイタルを開催

リサイタル

公開レッスン(5月6日)

5月12日 ジェラール・スゼー バリトン・リサイタル
2年ぶり3度目の来学となるG.スゼーのフランス歌曲によるリサイタルを開催。ピアノはともに再来学し、翌13日に伴奏法の特別講義を行ったダルトン・ボールドウィン

リサイタル

フランス歌曲について講義するスゼー

5月21日 大阪音楽大学社会福祉事業団を同音楽文化振興財団に併合
社会福祉事業のあり方とその活動範囲をより明確にするため、社会福祉事業団を発展的に解消し、音楽文化振興財団がその活動を継承することとなった。これにより財団は奨学事業財団との2つとなる

5月22~24日、6月11~14日 大阪音楽セミナー“古今東西音楽考”(大阪府立文化情報センター)
大阪府立文化情報センターとの共催により、同センターにおいて5~6月の数夜にわたり、実演を交えた公開講座を行うこととなった。学外における講座開催は本学初。聴講は無料、各日事前申し込みによる先着200名であった。2010年度まで継続

第3日 西岡信雄「古代人の音文化」

7月9日 短期大学第二部学生募集停止届出
昭和62年度以降の学生募集を停止

7月24~29日 ガムラン合奏団「スワル・アグン」、バリ島で研修
前年に楽器博物館で結成されたばかりのガムラン合奏団「スワル・アグン」が本場バリ島で研修を行った。バリ島にガムラン音楽を習いに来た外国人のグループは初めてとのことで、ガムランの権威、ワヤン・ベラータ師より直接指導を受けた。

1日5~6時間、楽譜を用いないバリ流特訓を5日間受け、その成果を同年12月18日、大阪府民劇場“東洋の楽舞”(東大阪市立市民会館)で披露した
8月27~29日 吹奏楽出張クリニック(四国)
松山市、徳島市において中学生を対象に本学教員、助手や演奏員、卒業生らによる吹奏楽クリニックを行った。松山では愛媛県下の13校、徳島では徳島県下の10校から各校のパートリーダー91名、127名がそれぞれ受講、多くの聴講生も参加した

(左)各楽器に分かれて指導、(右)受講者全員による合奏

10月2日 クラウス・シルデ ピアノ・リサイタル(森ノ宮ピロティホール)
9月8日~10月11日に公開レッスンを行ったK.シルデのリサイタルを開催。同月8日には本学ホールにおいてデイヴィッド・ハウエル指揮、本学管弦楽団との協奏曲演奏会も開催

協奏曲演奏会(シューマン《ピアノ協奏曲イ短調》0p.54)

10月31日~11月2日 大学祭「Revolution」
オペラ研究部30周年記念公演《愛の妙薬》や自治会が招聘したフランス若手ピアニストのエリック・エヌカウアによるリサイタルと座談会などが開催された

11月10日 第19回吹奏楽演奏会(大阪厚生年金会館大ホール)★
期間外ではあるが、演奏週間の一環として開催。故大栗裕教員が第2回吹奏楽演奏会のために作曲した《吹奏楽のためのディヴェルティメント》、ホルスト《惑星》より「火星」「金星」「木星」などを演奏

指揮:辻井清幸

J.フンメル《トランペット協奏曲 ホ短調》トランペット独奏:ダニエル・ドワイヨ

ブラームス《ハイドンの主題による変奏曲 変ロ長調》Op.56b

11月12日 第1回ピアノ・グランド・コンサート(森ノ宮ピロティホール)★
演奏週間の一環として新設。大学3、4年、大学専攻科のピアノ専攻科生対象のオーディションで選ばれた6名5組の出演者が独奏、重奏などを行った。19日には学内でも7名6組の出演者により開催
11月18~23日 昭和61年度演奏週間
前年のフェスタ70の成果をもとに、当年度より「演奏週間」を設定。期間中は平常授業を中断、全学生が演奏し、演奏を聴き、特別講義を受けることとし、期間外の3つの演奏会を含め、学内外で22の催しを集中的に行った。フェスタ70同様、申し込みのうえ入場無料で一般にも公開した(★は演奏週間の催し)

旧ホール前の案内板

演奏週間中の旧ホール入り口前

11月18日 第9回邦楽演奏会(大阪能楽会館)★
初めて能舞台という日本文化の伝統と格式ある会場で開催した。水谷一郎教員の《かぎろひII》や須山知行教員による昭和34年の皇太子殿下御成婚祝賀演奏会委嘱作品《箏合奏協奏曲》などを演奏

水谷一郎《かぎろひII》

須山知行《箏合奏協奏曲》
(箏独奏:須山知行)

11月23日 第29回定期演奏会(フェスティバルホール)★
18年ぶりにヴェルディ《レクイエム》を演奏。松尾昌美教員指揮、独唱は栢本淑子(Sop)、藤川賀代子(Alt)、林誠(Ten)、山本正三(Bass)の各教員が務めた

12月1~4日 演奏旅行(四国)
本学管弦楽団演奏会を徳島、伊予三島、松山の3市において開催。教員のデイヴィッド・ハウエル指揮、平井丈二郎ピアノ独奏でグリーグ《ピアノ協奏曲イ短調》などを演奏。現地の合唱団とも共演

12月6日 第20回合唱演奏会(豊中市民会館)★
期間外の演奏週間関連演奏会。13クラスの合唱を披露した
音楽専攻・箏専攻の新たなスタート
本学は大学の新カリキュラムが軌道に乗った昭和55年度より、短期大学の教育改革にも着手していた。四年制大学とは違った短期大学の2年間で完結する教育内容をめざし、まずは音楽専攻のあり方を再検討すべく、学長の諮問機関である短期大学改革諮問委員会を設置。2年間の検討期間中、15名の専門スタッフにより20数回の会合が持たれた。
音楽専攻は1966年(昭和41年)、本学独自の発想により、音楽を総合的に学び、教育の実践などに役立つ調和のとれた音楽教養の習得に重きを置くコースとして開設。以来14年が経過しており、抜本的な見直し時期を迎えていた。1982年(昭和57年)10月末に同委員会から第1回答申があり、次の骨子が打ち出された。
  • 広く音楽にアプローチする総合コース的存在とする
  • 「うたう」「ひく」「つくる」「きく」の4領域を新しい観点から相互に連係させたカリキュラムによって、基礎能力を養っていく
委員会は1年半後、この指針をもとに指導内容や入試の見直しなどの具体案を作成、新たな授業形態として「セミナー制」の導入と、リコーダー、ギターの導入を中心とする5項目の提案を行う。「セミナー制」とは、先の4領域について多様なテーマにより開講する年間各4回の「大セミナー」と、それを受けて基礎指導を徹底するための「小セミナー」によって構成される。大セミナーは教員6名学生24名を基本単位とし、小セミナーではそれを6クラスに分けて、グループ・レッスンを行う。1年生は声楽と器楽セミナーを必修とし、2年生からはいずれか一方を作曲セミナーか音楽研究セミナーに変えることも可能とした。
1985年(昭和60年)3月の第三次答申後、セミナー・スタイルによる「一般教育基礎講座」の新設も決定。5年の検討・準備期間を経て構築してきた音楽専攻の新カリキュラムが昭和61年度よりスタートした。“音楽好きが学べる大学”をキャッチフレーズに、「テクニックよりも音楽が“わかる”ことを重視し、広い視野から音楽を考え、感じとり、それをわがものとすることによって、音楽を社会生活に生かせる人材を育成すること」を教育目標に掲げた。
これに伴い、昭和62年度から受験科目を変更、声楽・器楽の実技と高校の音楽I、II(音楽通論に代わる)・旋律聴音・外国語・国語の6科目とした。器楽実技は、幼い頃からの訓練を必要とするピアノ以外に、ギター、リコーダーを加えて選択可能とし、やる気を持った音楽好きに広く門戸を開いた。
他方、大学・短期大学の箏専攻も昭和61年度より、カリキュラムと入試科目が大きく変わった。従来の洋楽系器楽学科の中の一専攻ではなく、優れた技術を持った邦楽演奏家・指導者の育成を目的に、邦楽独自の視点を基軸にした、より専門性の高い教育内容に改め、その上で西洋音楽との連携を図ることになったのである。これにより、洋楽系実技を伴う科目を必修の枠から減らし、、箏・三絃に直接関わる科目を必修とした。
入試においても、大学で邦楽を学ぼうと志す者に対し、その入り口で西洋音楽の基礎訓練の習得を条件として課すことは妥当ではないとして、「音楽通論」「旋律聴音」「コールユーブンゲン」「副科ピアノ」を入試科目から廃止した。ただし、高校の音楽教育で与えられる程度の西洋音楽の基礎知識については、口頭試問として課すことになった。
音楽専攻 新カリキュラム広報チラシ

音楽専攻 大セミナー

音楽専攻 小セミナー(声楽)

新音楽専攻 紹介冊子 表紙見開き

箏専攻 新カリキュラム紹介パンフレット

昭和61年度 特別講義

R.リッチ
(4月22日~7月18日声楽)

D.ボールドウィン
(5月13日ピアノ伴奏法)

K.ギェルジョード
(5月16日ピアノ)

H.シュトゥップナー
(5月21、23、24日作曲/
ピアノ/管弦楽)

R.ケルターボーン
(6月3日作曲)

W.ボイケンズ
(6月28日クラリネット)

K.シルデ
(9月8日~10月11日ピアノ)

宮本文昭(9月10日オーボエ)

A.ルンギ
(9月10~12日合唱)

E.プロコプ
(9月18日ヴァイオリン/室内楽)

L.コズベック
(9月18日ピアノ)

D.ドワイヨ
(10月3、20日、
12月12日トランペット)

G.ベーキ(10月9日声楽)

H.ホッター(10月27日声楽)

J.v.イマゼール(1月23日楽理)

当年度は、この他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。年表掲出分と演奏週間中のものを含めると、全44件。
  • 5月27日:E.ルソー(サクソフォーン)
  • 5月28日:日下部吉彦(音楽専攻)
  • 6月04日:北野徹(音楽専攻)
  • 6月13日:A.サイコ(音楽専攻)
  • 7月03日:畑中良輔(声楽)
  • 10月25日:C.ラルデ(木管/室内楽)
  • 12月02日:R.ホブクロフト(ピアノ)
  • 12月19日:平野健次(筝)
  • 12月22日:山本雅章(トロンボーン)
短期大学第二部廃止へ
短期大学第二部が、昭和62年度以降の学生募集を停止し、在学生全員の卒業を待って廃止することになった。本学の短期大学第二部は1954年(昭和29年)の開設以来30余年の歴史を有し、夜間開講の定時制として、勤労学生に勉学の機会を与え、その中からは幾多の俊英を送り出し、社会的要請に応えてきた。また、中学音楽科の教員免許取得をめざす現職の小学校・幼稚園教諭にとっては貴重な学びの場であった
しかし1980年代以降、多様化する社会変化の中で、わが国の全ての大学の二部への志願者、特に勤労学生の数が激減する。志願者の大半が昼間部である一部との併願者で占められるようになり、勤労学生に対して学ぶ機会を提供するという二部本来の目的が希薄な状況に陥ってしまったのである。本学は2年間の慎重な審議の結果、二部の役割の変化という状況を踏まえ、その運営に必要なエネルギーを一部に集約し、短大全体のレベルアップ、活性化を図ることを選択し、第二部廃止の断を下した。正式に手続きをして文部省(現・文部科学省)より廃止の認可が下りたのは、1992年(平成4年)1月27日のことであった。
二部の伝統と実績は短大一部に引き継がれ、社会人を含む生涯教育としての音楽教育は、付属音楽学園(現・付属音楽院)などの拡充によってその役割を担うこととした。
「フェスタ70」から「演奏週間」へ
前年の創立70周年記念事業「フェスタ70」は、学生、教職員が一つの目標に向かって一体となって進んだ結果、大学全体の活性化を促す大きなエネルギーとなった。この成果を受け、さらなる教育内容の充実に向けて、そのエネルギーを持続させようと、「演奏週間」という特別な期間を設定することになった。「フェスタ70」と同じく、期間中は平常の授業に代えて演奏会・特別講義を集中的に開催。全学生が何らかの催しに参加することを基本に、それに向けて練習・研究を重ね、必修以外の特別講義にも専攻の枠を越えて受講できる機会を提供した。学生たちのさらなる飛躍への契機となることを期待するものであった。
またこの演奏週間は、学生や教員たちに音楽的刺激を与えると同時に、学外に向けて本学の日頃の成果を広く発表する場であり、開かれた大学の事業の一環としても、全ての演奏会・特別講義について座席に余裕のある限り、事前の申し込みによって整理券を発行し、一般に無料で公開した。
演奏週間は1996年度から「演奏月間」と改称し、2001年度まで毎年秋に開催を続ける。

総合プログラム

学内外22件の催し
(11月10日~12月6日)

【18日】作曲専攻学生による討論会

浦山弘三による特別講義

【19日】古楽演奏会

【20日】清水淳彦リサイタル

【21日】千二斗による特別講義

【22日】クロス・ステッチ・コンサート

関西音楽の歴史

2月27日 日本テレマン協会 第17回(昭和60年度)サントリー音楽賞受賞

3月19日 サントリー音楽財団コンサート 「武満徹」室内楽個展開催(大阪府立労働センター大ホール)
同財団が関西における日本人作品の振興を目的に、毎年1人の作曲家の室内楽作品を関西の演奏家を中心に上演するコンサートとして開催。2002年まで継続した

チラシ

3月23日「朝比奈隆の軌跡」シリーズ初開催(ザ・シンフォニーホール)
4月29日、5月25日、6月22日:同会場
朝比奈が大阪フィルを指揮し、厳選した交響楽レパートリーを披露する企画であった
4月1~25日 第28回大阪国際フェスティバル(フェスティバルホール)
ウィーン国立歌劇場によるR.シュトラウス《ばらの騎士》公演で開幕。同歌劇場に同行したジュゼッペ・シノーポリが初来日にしてプッチーニ《マノン・レスコー》を指揮し絶賛を浴びた。同じく初来日となったプラハ交響楽団が自国の作曲家の作品などを演奏。モーリス・ベジャール振付けによる「仮名手本忠臣蔵」を素材とした《ザ・カブキ》の新作バレエ公演(東京バレエ団)も注目を集めた

《マノン・レスコー》

《ザ・カブキ》

(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

昭和61年7月1日 ザ・シンフォニー第23号より

5月14日 1985年度ザ・シンフォニーホール音楽賞(第1回) 受賞発表会

5月19日 ミッシャ・マイスキー 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
ユダヤ系(ラトヴィア出身)という理由で、1970年にソ連当局により投獄されるという苦渋の経歴が注目された

7月15日 スタニスラフ・ブーニン 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
28日:姫路市文化センター大ホール 8月17日:ザ・シンフォニーホール
前年の第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝。NHKの特集番組放送によりクラシック層を越えた注目を集め、「ブーニン現象」と呼ばれる社会現象を巻き起こした
9月8日 第1回京都音楽賞 贈賞式

9月25日 ヴッパタール舞踊団 関西初公演(フェスティバルホール)
27日:京都会館第二ホール
芸術監督であったピナ・バウシュに率いられての初来日。演劇的手法を取り入れた斬新なコンテンポラリー・ダンスを特徴とした
10月12日 サントリーホール開館
大阪のザ・シンフォニーホールに続き、東京初のクラシック音楽専用ホール(大・小)が誕生。大ホールは日本初のヴィンヤード(ぶどう畑)形式を採用した全2006席

11月6日 五嶋みどり 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
大阪出身にして1982年渡米、同年11歳でニューヨーク・フィルと共演し米国デビュー。1985年に日本デビューし、初来日のセントルイス交響楽団のソリストとして同行した当公演で本格的な関西デビューを果たした。来日直前の7月にはタングルウッド音楽祭にてバーンスタインの自作自演で共演。弦が2度切れるアクシデントに見舞われながらも完奏し世界的なニュースとなった

スラットキン指揮セントルイス交響楽団と共演する五嶋みどり(昭和61年12月1日 関西音楽新聞より)

11月12、13日 関西歌劇団名作オペラ劇場シリーズ ドヴォルジャーク《ルサルカ》西日本初演(アルカイックホール)
朝比奈千足指揮 松山雅彦演出 大阪チェンバーオーケストラ 関西歌劇団合唱部
同団は翌月、近鉄劇場オペレッタシリーズ公演にてオッフェンバックの《天国と地獄》の関西初演も行った
日本テレマン協会 サントリー音楽賞受賞
1986年(昭和61年)2月27日、日本テレマン協会が第17回(昭和60年度)サントリー音楽賞を関西楽壇において初受賞した。J.S.バッハ生誕300年に当たった前年の同協会の定期演奏会(東京・大阪)、及び教会音楽シリーズでJ.S.バッハの主要作品(独奏作品以外)を網羅的に披露し成果を上げたこと、また前年3月にドイツ民主共和国文化省に招かれ生誕300年記念国際バッハ音楽祭に出演し、成功を収めたことなどが受賞理由であった。当時、日本の戦後から高度経済成長期にかけて生じた首都への一極集中という傾向は音楽文化においても顕在化しており、1969年創設のサントリー音楽賞(創設当時は鳥井音楽賞、財団法人鳥井音楽財団主催)においても、歴代受賞者は主として首都圏で活躍する音楽家たちが占める状況であった。このような中で、関西を基盤として東京定期公演を行うなど幅広く音楽活動を展開してきた日本テレマン協会がその業績を認められ、受賞の栄誉に輝いたのは極めて意義深いことであったと言えよう。
当受賞により、同協会は1986年(昭和61年)10月にサントリー音楽賞記念コンサート’86を大阪、兵庫、東京で開催。「日本テレマン協会演奏会」と銘打ち、9、19日(ザ・シンフォニーホール、カトリック夙川教会)、22、23日(霊南坂教会、サントリーホール)の計4公演をもった。9、23日はテレマン、コレット、J.S.バッハの管弦楽作品などを演奏。19、22日にはテレマンのオラトリオ《最後の審判》の本邦初演を行った。《最後の審判》の兵庫での初演(カトリック夙川教会)は、「この団体の近年の充実ぶりを示すもの」(1986年5月号「音楽の友」福本健一評)との高評価を得ている。
なお、関西楽壇関係として、鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンが第45回(2013年度)のサントリー音楽賞を、続く第46回(2014年度)の同賞を広上淳一と京都市交響楽団が受賞した。
「朝比奈隆の軌跡」~晩年への道
1984年(昭和59年)、関西歌劇団の第53回定期公演を最後に、実質的にオペラの舞台から退いた朝比奈隆は(この後コンサート形式ではオペラ作品を数度とりあげている)、以後コンサート指揮者としてレパートリーを厳選し、日本クラシック界の重鎮たる人生の晩年期へと向かってゆく。首都圏のオーケストラへの客演などを重ねつつも、その活動の中心は飽くまでも手兵の大阪フィルハーモニー管弦楽団の指揮に立つことであり、フェスティバルホールにおける定期演奏会の他、1982年(昭和57年)に開館したザ・シンフォニーホールにおいても数多の演奏会に出演した。
1985年(昭和60年)2月から6月にかけて、朝比奈はザ・シンフォニーホールの自主企画による「ベートーヴェン・チクルス」を大阪フィルと共に行い、見事成功を収める(これにより1985年度ザ・シンフォニーホール国際音楽賞の〈クリスタル賞〉を受賞)。この成功を受け、翌年の1986年(昭和61年)3月には、同ホールにて「朝比奈隆の軌跡」という大阪フィルとの新シリーズが開催された。これは、喜寿を迎えていた朝比奈の厳選された交響楽レパートリーを年間に連続的に披露するという企画で、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェン、ブルックナーの交響曲をメインに据えた4公演が行われた。以後、この「朝比奈隆の軌跡」という企画は、朝比奈が死去する2001年(平成13年)までほぼ毎年開催され(全11シリーズ)、ドイツ・オーストリア系の交響曲を中心としたクラシック音楽の王道とも呼びうる朝比奈ならではの集大成的なプログラム(作曲家のチクルスとして行われることもあった)によって、聴衆の高い人気を誇り続けた。

バブル期における関西の音楽賞・音楽祭・コンクールの興隆
1985年(昭和60年)9月の先進5カ国(米国、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)によるプラザ合意以降、急速なドル安によって日本経済は円高不況に陥った、1986年(昭和61年)11月を景気の底として、以後、長期金利の大幅な低下や公共事業の活発化を受けて回復に向かい、1991年(平成3年)2月までの4年超に及ぶいわゆる「バブル期」が到来する。この「バブル期」の始まりとなった1986年(昭和61年)、関西のクラシック界では企業や財団などがメセナ的な社会貢献活動として主催する音楽賞や、自治体による地域振興を目的とした音楽祭やコンクールの設立が相次いだ。しかしながら、これらの内現在も継続されているものは限られており、今日的な観点からすれば、当時相次いだ音楽賞、音楽祭、コンクールの設立は「バブル期」における時代的な現象でもあったと捉えられよう。
音楽賞としては、1986年(昭和61年)5月14日に第1回目の受賞発表が行われた『ザ・シンフォニーホール音楽賞』(後に『ザ・シンフォニーホール国際音楽賞』と改称)がまず挙げられる。これは朝日放送創立35周年記念事業として設立され、ザ・シンフォニーホール(同社が創立30周年記念事業の一環として1982年に建設)において、年度内に優れた演奏を行った国内外の演奏者に対して賞を授与するというものであった。1985年度の〈大賞〉にはJ.S.バッハ生誕300年記念として《マタイ受難曲》を演奏した(1985年11月25日)ライプツィヒ聖トーマス教会合唱団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(ハンス=ヨアヒム・ロッチュ指揮)が、〈クリスタル賞〉には大阪フィルとの「ベートーヴェン・チクルス」(1985年2月24日~6月30日)を行った朝比奈隆が選出された。この『ザ・シンフォニーホール音楽賞』は、1990年度より新設されたエー・ビー・シー音楽振興財団がその運営を継承。また当賞は、1996年度に『ABC国際音楽賞』、2001年度には『ABC音楽賞』へと発展し(1995、1999、2000年度は休止)、元来ザ・シンフォニーホールでの演奏者に限られていた審査対象も関西圏を中心として活躍する個人または団体へと拡大され、より地域に密着した公益性の高い顕彰活動となり2002年度まで継続した。なお、本学はザ・カレッジ・オペラ・ハウスの「日本オペラ・シリーズⅤ 黛敏郎追悼公演」《金閣寺》(1997年11月27、29日)公演により、1997年度ABC国際音楽賞を受賞している。
『ザ・シンフォニーホール音楽賞』に続き、1986年(昭和61年)9月8日に第1回『京都音楽賞』の贈賞式が行われた。同賞は、京都を中心に日本の音楽文化の向上を図るため前年9月に発足した京都音楽フォーラム(当時の京都信用金庫理事長・阿南孝士主宰)の中心的事業として創設され、作曲、演奏、研究、調査などの分野を対象に、「日本の音楽文化及び地域の音楽文化向上に貢献した個人又は団体」を顕彰するというものであった。第1回〈大賞〉には小澤征爾、〈実践部門賞〉には高橋アキ、〈研究評論部門賞〉には前田昭雄と牧野英三、〈地域活動部門賞〉には京都市交響楽団が選出されている。この後同賞は第11回(1996年)まで継続した。なお、バブル期に創設された他の関西の音楽賞としては、『青山音楽賞』(1991年創設―現在も継続、青山財団主催)がある。
また、バブル期における新興の音楽祭(音楽部門のある芸術祭も含む)としては、特に京都で顕著であり、「世界歴史都市会議」のオープニング・イヴェントとして始動した『京都国際音楽祭』(1987年開催、京都国際音楽祭実行委員会主催、京都市・朝日新聞社運営主管)や、『京都芸術祭 in 山科』(1987年開催、京都芸術祭 in 山科 実行委員会(山科文化芸術振興会)主催)、そして竹下政権の「ふるさと創生」を契機として誕生した『芸術祭典・京』(1991年開催、芸術祭典・京 実行委員会主催、京都市運営主管)などがある。これらの祭典は現在存続してはいないが、京都の文化芸術の発展を主目的とし、地域振興・市民文化の向上を図るという共通点を有していた。
一方、コンクールとしては、摂津市が市制20周年を記念し、同市の音楽文化の向上とクラシック分野の新人発掘を目的として1986年(昭和61年)11月27~29日に摂津音楽祭『リトル・カメリア・コンクール』を初開催(摂津市民文化ホール)。自治体主催による全国規模のコンクールとしては府下初の試みであった。審査対象はピアノ(連弾を含む)、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、フルート、クラリネット、オーボエ、ファゴット、声楽の9部門で、関西圏にとどまらず、東京、静岡、岡山、広島などの全国各地を含めた170名超という主催側の予想以上の応募があり、ピアノの寺嶋陸也が予選、本選を勝ち抜き栄えある金賞を獲得した。当コンクールは以後、市民審査による賞や伴奏者に贈る伴奏賞などを設け、特色ある音楽祭(コンクール)として現在も継続している。バブル期に関西で設立された他のコンクールとしては、『和歌山音楽コンクール』(1988年開催―2010年終了、ニュース和歌山等主催)、『宝塚ベガ音楽コンクール』(1989年開催―現在も継続、宝塚市等主催)、『吹田音楽コンクール』(1990年開催―2009年終了、吹田市等主催)、『堺ピアノコンクール』(1990年開催―現在も継続、堺市ピアノ連盟主催)、『日本木管コンクール』(1990年開催―現在も継続、兵庫県東条町等主催)などが挙げられる。
1980年代半ばの神童ブーム
1981年(昭和56年)に18歳で初来日したヴァイオリンのアンネ=ゾフィー・ムターが天才少女として注目を集めて以来、1980年代半ばには様々なティーンエイジャーの演奏家が相次いで来日し、クラシック音楽界において神童ブームと呼ばれる現象が沸き起こることとなった。その嚆矢となったのは、1984年(昭和59年)に14歳にして初来日したギリシャのピアニスト、ディミトリス・スグロス。10歳でアテネ国立音楽院の教授資格を与えられたという驚異的な神童ぶりであった。「14歳。まだ初恋も知らないのに・・・」という来日公演のキャッチコピーは、その若さを商業的に巧みに表現していよう。同じくピアニストでは、1986年(昭和61年)にエフゲニー・キーシンが15歳にしてソ連から初来日。同年のチャイコフスキー国際コンクールのオープニング・コンサートに出演して一大センセーションを巻き起こし、その卓越したテクニックを日本でも披露し大いに話題となった。この後、ベネズエラのセルジオ・ダニエル・ティエンポ(1988年に16歳で初来日)といったピアニストの他、ヴァイオリニストでは五嶋みどり(1982年に渡米、1985年に14歳で日本デビュー)、ヴァディム・レーピン(1987年に15歳で初来日)やマキシム・ヴェンゲーロフ(1988年に13歳で初来日)など、早期天才教育を受けたソ連勢を中心として様々な国の若きヴィルトゥオーゾたちが彗星の如く現れた。
彼らは来日を重ねつつ日本国内におけるクラシック音楽市場に参入し、名のある巨匠や中堅演奏家たちとは異なった、爽やかかつ鮮烈な演奏で大衆性を獲得してゆくこととなる。これは恐らく、戦前より教養主義的な志向をもって聴取さてれてきたクラシック音楽が、戦後から高度経済成長期・安定成長期にかけての社会的な価値観の変化の中で、一般大衆にも親しみやすく気軽に楽しめるものとして幅広いポピュラリティーを有し始めたということと大きな関係があろう。第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝、国内で熱狂的な「ブーニン現象」を巻き起こしたスタニスラフ・ブーニンも、1986年(昭和61年)7月の初来日時は19歳のティーンエイジャーだった。特に若い女性の間で顕著であったブーニンの絶大なアイドル的人気も、ある意味、1980年代半ばの神童ブームの一端であったと見做すことができよう。

1987年(昭和62年)

大阪音楽大学の歴史

2月 短期大学音楽専攻入試実技科目にリコーダー、ギターを新設

2月21日 大阪音楽大学音盤資料「箏三味線音楽/須山知行・中島警子名演集」発売
本学における邦楽教育の資料として、須山、中島両教員の演奏を本学録音室で収録し、ビクター音楽産業株式会社(現・株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテイメント)の協力によりLPレコード10枚組のアルバムが制作、発売された。邦楽最古典の組歌から現代邦楽に至る箏三味線音楽の代表的名曲を集成したもので、人間国宝菊原初子教員の既録音や朝比奈隆指揮大阪フィルとのライブ録音なども収録されている

4月17日 春楽祭

4月30日『声楽名曲選集 イタリア編I』刊行
本学の声楽、イタリア語、楽理の教員8名(代表:安則雄馬)が、演奏経験や多面的な研究をもとに、2年余りの討議を重ね、声楽初心者のための楽譜を編集、音楽之友社より出版した。当年度演奏週間に出版記念演奏会も開催

イタリア編II、IIIと続編も刊行(1988、1994年)
5月1、8日 楽器博物館新企画「手づくり楽器工房」開催 
楽器を自ら作ることによって、その構造、発音原理を理解してもらい、その演奏を楽しんでもらおうという一般公開の企画。入門編から毎回内容をグレードアップしながら6年間継続され、最後にはアイリッシュハープを製作した

北山隆教員らが指導

5月20~22日、6月8、10、11日 大阪音楽セミナー“古今東西音楽考”その2(大阪府立文化情報センター)

第1日(網干毅「黄昏時の愛の歌」)

第2日(本岡浩子「百合の花フランソワ・クープラン」)

9月16日 西ドイツよりG.クラウス教授を迎えて Der Kontrabass(メイシアター中ホール)
8月27日~9月24日にコントラバス及び室内楽の特別講義、公開レッスンを行ったギュンター・クラウス教授を迎え、同教授と大阪音楽大学コントラバスアンサンブルらによるコントラバスの曲を集めた珍しい演奏会を開催

チラシ

コントラバス8人というのは日本初の試みであった(G.クラウス指揮、大阪音楽大学コントラバス アンサンブルによるB.フンメル《コントラバス八重奏曲》)

10月13日 ピエール・バルビゼ ピアノ・リサイタル(森ノ宮ピロティホール)
6年ぶりに来学し、9月22日~10月22日に公開レッスンを行ったP.バルビゼによるリサイタルを開催。10月21日は本学ホールにおいて協奏曲演奏会も開催

リサイタルチラシ

リサイタル

10月15日 久保田藤麿、理事長退任 名誉理事長の称号
10月15日 第4代理事長に田中喜一就任(学長兼務)

10月29~31日 大学祭「SOUL FULL」

11月6日 新ホール「大阪音楽大学永井幸次記念講堂」起工式
創立70周年記念事業の一環である新ホール建設が着工。前日、大阪市内で行われた記者会見で田中学長は、日本初のオペラハウス建設を発表した。大学正門から東へ50m、庄内西町1丁目の3,800㎡の敷地に、平成元年3月の完成まで17カ月におよぶ工事が始まった

鋤を入れる田中学長

完成予想図

11月11~27日 昭和62年度演奏週間
期間中、16~21日の平常授業を中断し、学外5公演、学内で18の演奏会・特別講義を開催。当年度は、定期演奏会が第30回、吹奏楽演奏会が第20回、邦楽演奏会が第10回とそれぞれが節目を迎える演奏会となった(★は演奏週間の催し)

11月11日 第1回新作展〈歌曲と室内楽〉(テイジンホール)★
2年前の「新作の夕べ」に継ぐ作曲作品発表の場として、「新作展」と題する演奏会を開催することとなった。専攻を問わず在学生及び卒業生を対象に作品を公募、在学生4名、卒業生3名の計7名の作品が選ばれ、本学教員、助手、演奏員らによって演奏された

《テノールのための叙情歌“自然の中に”》
作曲者の柴田一史(1972年大学専攻科修了)、
大野一道教員(Ten)、西川沢(Pf)
11月16日 第2回ピアノ・グランド・コンサート(大阪厚生年金中ホール)★

モーツァルト《ピアノ協奏曲 第23番》K.488
ピアノ独奏:嶋田俊之
指揮:デイヴィッド・ハウエル教員
管弦楽:本学管弦楽団
11月18日 第10回邦楽演奏会(朝日生命ホール)★
景山伸夫教員の《Cosmos》─三面の箏と二本のフルート・打楽器・弦楽オーケストラのための─、菊原初子、須山知行、中島警子の3教員が客演の星田一山ともに大阪の手事物の代表作、峰崎勾当《残月》などを演奏し、宮城道雄《日蓮》で節目となる第10回を締めくくった

景山伸夫《Cosmos》(指揮:景山伸夫教員)

宮城道雄《日蓮》(独唱:田中勉教員、胡弓独奏:須山知行教員 箏独奏:大倉佐和子、指揮:榎本利彦教員)

11月20日 第30回定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)★
記念すべき第30回は会場をザ・シンフォニーホールに移して開催した。パイプオルガンを用いたリスト《ミサ・コラリス》、ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》Op.61、松尾昌美教員指揮によるショスタコーヴィチ《交響曲第5番》を演奏

リスト《ミサ・コラリス(オルガン独奏:土橋薫教員、指揮:榎本利彦教員)

ベートーヴェン《ヴァイオリン協奏曲ニ長調》(ヴァイオリン独奏:宗倫匡教員、指揮:デイヴィッド・ハウエル教員)

11月27日 第20回吹奏楽演奏会(毎日ホール)★
第20回を記念して、2年ぶりにロジェ・ブートリーを指揮者に迎え、同氏編曲によるムソルグスキー《展覧会の絵》、第14回吹奏楽演奏会で同氏寄贈の楽譜により本邦初演したランセン《ケープ・ケネディ》などを取り上げた

ハイドン《トランペット協奏曲》(トランペット独奏:ダニエル・ドワイヨ教員)

12月4~6日 演奏旅行(富山、石川、滋賀県)
高岡、金沢、今津の3都市において、デイヴィッド・ハウエル教員指揮、ソリストとしてダニエル・ドワイヨ教員が参加して、90名の本学管弦楽団が“わが街合唱団with大阪音楽大学 ふれ愛ジョイント”と題した演奏会を行った。各地の合唱団と共演し、音楽を通じて交流を深めた

12月12日 第21回合唱演奏会(豊中市民会館)

12月14日 新ホールの名称を「ザ・カレッジ・オペラハウス」に決定
創立者の名前を冠した正式名称「大阪音楽大学永井幸次記念講堂」とは別に、本学学生、保護者(付属幼稚園、付属音楽学園生徒の保護者含む)、本学卒業生・教職員を対象として、新ホールの愛称を募集。応募総数187件の中から、ホールの特長を表し、呼びやすく、他ホールと混同しない名称ということで選考の結果、現在の名称に決定した

12月18日 副理事長に西岡信雄就任
日本初のオペラハウス着工
1987年(昭和62年)11月6日、新ホール着工当日、「大阪音大、日本初のオペラハウス建設」の文字が新聞各紙を賑わした。約20年前より、東京にオペラハウスとして第二国立劇場の建設計画が立ち上がるも、諸般の事情から計画段階で長引き、完成のめどが立たない中、この一私立大学の快挙は、音楽関係者のみならず人々の大きな関心を呼んだ。時はちょうど1980年代後半のいわゆる“バブル”といわれた時代で、音楽界にあっても最も豪華で華やかな芸術として、オペラがマスコミ等から“オペラブーム”ともてはやされていた頃であった。
1981年(昭和56年)に発足した施設総合整備計画委員会からの答申に始まり、創立70周年事業へと引き継がれた新ホールの建設は、計画当初、講堂兼ホール程度のものが考えられていた。だが、学内で討議を重ねるうちに、“総合芸術”オペラの本格公演ができるホール、そのために多くの人たちが結束、集中して新しい芸術を作り上げていく音楽運動の拠点こそ必要だという意見に集約されていった。当時の田中喜一理事長の言葉によれば、「音楽の単科大学だけに、いい音を作りたい、という一点で一致した」という(平成元年5月4日 産経新聞)。そしてこれはまさに創立者永井幸次が「新音楽 新歌劇の発生地たらん」と夢見た本学の建学の精神を具現化するものであった。このことから新ホールの名称を“大阪音楽大学永井幸次記念講堂”と命名。A号館から始まる本学の建物としては12番目のL号館であった。公募により「ザ・カレッジ・オペラハウス」の愛称が付けられたのは1988年(昭和63年)12月のことである。
着工1年前の1986年(昭和61年)にプロジェクト・チームを結成、設計会社とともに構想を練った。夢のオペラハウス建設とあって、学内からは多くの声が寄せられ、それらアイデアの取捨選択に1年近くを要した。その結果、オペラ上演に適した舞台構造・舞台空間の確保、馬蹄形の客席、間口可変のプロセニアム、移動式のライトタワー、奥行可変の音響反射板、セリ構造のオーケストラ・ピットなどのホールの“個性”が絞り込まれ、「コンサート・ホールの機能も備えたオペラハウス」の基本イメージが確立した。
工事に際し最も苦心したのは、地盤対策と航空機騒音対策である。庄内は弥生時代初期まで海で、長い年月をかけて土砂が堆積したが、本学が移転して来た1954年(昭和29年)当時は田んぼと池が点在する土地であった。地盤の悪さを克服するために、地下15mの深さまで143本もの杭を打ち込むことになった。また、敷地の真上を飛ぶ飛行機の騒音に対しては、外壁や天井を厚さ25cm、15cmのコンクリート板を二重、三重にした上で、騒音が集積しないよう外壁のくぼみをなくすなど、設計に工夫を凝らして徹底した遮音性を追及した。
こうして進められた国内初のオペラハウス造りは、月にのべ4,000人の工事関係者により17カ月の工期を経て、1989年(平成元年)3月、完成の日を迎えるのである。
昭和62年度 特別講義・演奏週間
特別講義

W.モーア(5月1日声楽)

D.ドワイヨ
(5月18日~全3回トランペット)

F.ベンクリシュット
(5月19日吹奏楽)

M.アリニヨン
(6月20日クラリネット)

G.クラウス
(8月27日~9月24日コントラバス)

A.ルンギ
(9月3、4日声楽/楽理)

K.フロロス(9月16日楽理)

A.プロッティ(9月16日声楽)

P.バルビゼ(9月22日~10月22日ピアノ)

J.Y.フルモー
(10月13日サクソフォーン)

野田暉行(10月14日作曲)

M.ゴヴォーニ/M.フェルローニ(10月19~21日オペラ演技演習)

C.ステファンスカ
(10月26日ピアノ)

K.ガネビ
(10月27日ピアノ)

L.フィッシャー=ネル
(11月4、5日声楽)

G.ドゥプリュ/D.ドゥファイエ(12月12日木管楽器)

井上頼豊(12月14日チェロ)

E.B.ヒレマン
(1月11、12、14、18日声楽)

当年度は、この他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。演奏週間中のものを含めると、全35件。10月22日にはピエール・バルビゼ氏の公開レッスン受講生による修了演奏会を開催した。
  • 4月20日~7月18日:R.リッチ(声楽)
  • 6月5日~7月3日:秦邦明(オペラ演出)
  • 7月3日、11月26日:畑中良輔(声楽)
  • 11月24日:O.マイセンベルク(ピアノ)
演奏週間

総合プログラム

学内外23件の催し一覧(11月11~27日)

【16日】楽器を知ろう

【17日】イタリア歌曲、
演奏と解釈

【18日】三枝由美子リサイタル1

【19日】ウタ・クッターによる特別講義

【20日】ピアノ・カレッジ・コンサート

【21日】渡会恵介による特別講義

関西音楽の歴史

3月14日 クイケン・アンサンブル 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
15日:松蔭女子学院大学チャペル
クイケン兄弟を中核として前年に結成された四重奏団。古楽オーケストラが世界的なブームにより注目を浴びていた当時、古楽アンサンブルの来日は希少であった
4月 大阪オペラ協会設立
声楽実技のみならず、舞台演技、バレエ、メイク指導に至る総合的なオペラ歌手育成所として発足

4月7~27日 第29回大阪国際フェスティバル(フェスティバルホール)
ベルリン国立歌劇場によるモーツァルト《後宮からの誘惑》公演で開幕。同歌劇場はヴァーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の関西初演も行った。ロメロ・ギター・カルテットのユニークなアンサンブルやロリン・マゼール率いるピッツバーグ交響楽団の好演が反響を呼び、ローラン・プティ・バレエ団による閉幕公演もエスプリの利いた公演で評判となった
(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

《ニュルンベルクのマイスタージンガー》

ロメロ・ギター・カルテット

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4月12日 ハンブルク北ドイツ放送交響楽団 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
15日:フェスティバルホール
12日はシャルル・デュトワの指揮、15日は楽団の要望により1960年代に度々ドイツで共演した朝比奈隆が指揮台に立ちブルックナーなどを演奏。朝比奈が国内で外来オーケストラを指揮する初の機会となった

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4月16日 プラシド・ドミンゴ 関西初公演(フェスティバルホール)
1976年にイタリア歌劇団の一員として初来日。当リサイタルが待望の関西初公演となった。大阪フィルの伴奏でオペラ・アリアなどを披露

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4月30日 ワレリー・ゲルギエフ 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
1984年初来日。作曲家フレンニコフの「協奏曲の夕べ」にて大阪フィルを指揮し関西に初登場した
5月21日 ブラス・エキスポ´87開催(日本万国博覧会記念公園)
関西吹奏楽連盟結成50周年記念事業で200超の団体が参加した。フィナーレでは朝比奈隆指揮の下、総勢15000人という破格の規模でタイケ《旧友》を演奏

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5月21日 キャスリーン・バトル 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
前年7月のニッカウヰスキーのテレビ・コマーシャル出演で一躍脚光を浴びた
6月15日 青山音楽記念館バロックザール開館
室内楽専用という新しいスタイルのホールとして誕生(観客収容200名)。1990年より青山財団が運営にあたり、翌年顕彰事業として「青山音楽賞」が創設された

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7月18、22日 キリ・テ・カナワ 関西初単独公演(ザ・シンフォニーホール)
英国デビュー間もない無名時代、EXPO´70に参加のニュージーランドのヴォーカル・グループの一員として初来日。当公演が関西における本格的な初単独公演となった
7月30日~8月11日 京都市交響楽団 北朝鮮演奏旅行
朝鮮芸術協会の招聘を受け日本のオーケストラとして初訪朝。同団指揮者であった金洪才に率いられ平壌、元山などで3公演を行い、文化交流の成果を収めた

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10月8日 クロノス・カルテット 関西初公演(大阪国際交流センター)
先鋭的なパンク・ファッションで現代音楽からロックに至るクロスオーバーな演奏を行い、ニュー・ウェーヴ層に至る幅広い世代の支持を集めた

パンフレット表紙

10月31日~11月4日 京都国際音楽祭開催
京都で11月に開催された「世界歴史都市会議」のオープニング・イヴェントとして、京都会館などを会場に開催。音楽発信都市・京都として世界的なイメージアップを図り、音楽を通じて国際交流を目指すものとして、国内外の著名クラシック演奏家のほか、邦楽、民族音楽の演奏家なども参加した。1994年まで継続

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11月8日 フランクフルト放送交響楽団(現・hr交響楽団)関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
10日:京都会館第一ホール
音楽監督であったエリアフ・インバルに率いられての初来日。優れたCD録音などにより当時のマーラー・ブームの牽引役を果たした
11月21日 アムステルダム・バロック管弦楽団 関西初公演(宝ヶ池プリンスホテルゴールドルーム)
22日:和歌山市民会館 23日:ザ・シンフォニーホール
創設者トン・コープマン(1985年来日済)に率いられての初来日であった。22、23日はオランダ室内合唱団も加わりヘンデルの《メサイア》を演奏

プログラムより

高度消費社会におけるコマーシャルとクラシック音楽
日本が高度消費社会を迎えた80年代、クラシック音楽業界への一般企業進出が加速した。いわゆる「冠コンサート」が年々増加し、CM(コマーシャル)音楽の分野では広告産業と音楽産業がタイアップした「イメージソング」(企業などの広告音楽としてテレビやコマーシャルで使用されつつ、同時にレコードなどにより販売された楽曲)が全盛期を迎える。「イメージソング」は70年代半ばに台頭し、当時ニューミュージックと呼ばれた楽曲や洋楽ロックなどの使用で興隆を見せるが、それまでCM音楽としては珍しかったジャズやクラシック、新興のニューエイジ・ミュージックなども起用され始める。特にクラシックは、高品質・高級感と結びつくという要因によって様々な企業がその使用に積極性を見せた。「太田胃散」(ショパン《前奏曲第7番》)、松下電器産業(現・パナソニック)「光のメニュー」(ショパン《夜想曲第1番》)、マツダ「カペラ」(J.S.バッハ《トッカータとフーガ》)、サントリー「ウイスキーシルキー」(モーツァルト《ピアノ協奏曲第23番》第1楽章)などが当時の代表的なものであろうが、中でも1986年7月より放送されたニッカウヰスキー「スーパーニッカ」のCMは、類を見ない格調の高さで瞬く間に大きな反響をもたらした。これはザルツブルグ近郊の湖を背景としてキャスリーン・バトル(Sop)がヘンデルの《オンブラ・マイ・フ(オペラ「セルセ」より)》を可憐に歌い上げたもので、その美しい被写体を捉えた瑞々しい映像(実相寺昭雄監督)のサウンド・トラック盤が発売されるや、クラシックとしては異例の20万枚とも言われる売り上げを記録した。ニッカウヰスキーの企業イメージアップや他企業との差別化のみならず、バトルを一躍時の人としたこのCMの波及効果に、当時のマスメディアの絶大な影響力というものを見て取ることができるだろう(第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したスタニスラフ・ブーニンが1986年の初来日時に爆発的な人気を博したのも、NHKの特集番組放送によるところが極めて大きかった)。
一方、クラシック音楽ブームがCM制作に影響を与えた例もある。数多の外来オーケストラが来日プログラムにマーラーの交響曲を率先して組み入れ始めたのが80年代初頭(特に1983年に顕著であった)。また80年代は、小澤征爾(フィリップス)、ヴァーツラフ・ノイマン(スプラフォン)、ゲオルグ・ショルティ(デッカ)、ロリン・マゼール(CBS)、ガリー・ベルティーニ(ドイツ・ハルモニア・ムンディ/EMI)、クラウス・テンシュテット、サイモン・ラトル(EMI)、クラウデイオ・アバド、ジュゼッペ・シノーポリ、レナード・バーンスタイン(ドイツ・グラモフォン)といった錚々たる指揮者たちがマーラーの交響曲全集の録音に携わるなど、世界的にも空前のマーラー・ブームが到来していた(なお1986年には、著作権切れによる楽譜出版が相次いだサティのブームも起こっていた)。特に、1985年(昭和60年)から翌年にかけて短期間で完成されたエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団によるマーラー交響曲全集(DENON)は超優秀録音として話題を呼び、精度高く、しかもしなやかでスケール豊かな演奏は、80年代における新時代のマーラー像とも言うべきものを打ち立てるに至った。このようなマーラー・ブームに乗って制作されたのが、風神雷神図屏風(俵屋宗達)のアニメーションと相まって実に軽妙でユニークな印象を与えるサントリー「サントリーローヤル」(マーラー《大地の歌》第3楽章)のCMであった(1984年)。このCMは、時代に即したクラシック音楽に対するサントリーの芸術的センスの高さを示し(=企業のイメージアップ)、延いては国内におけるマーラー・ブームの更なる広がりをもたらすこととなった。広告産業と音楽産業の絶妙なバランスの上に成り立ったこのようなCMとクラシック音楽の見事な相乗作用は、高度消費社会という世相を反映した正に時代的な事象であったと言えよう。
関西の音楽団体の海外公演ラッシュ
元来、音楽団体が海外公演を実現するには多額の費用がかかり、1975年(昭和50年)の大阪フィルハーモニー交響楽団の初の欧州演奏旅行を例に挙げるまでもなく、官民などの強力な財源支援が何よりも必要不可欠であった。しかし80年代中期から後期にかけて、関西の様々な音楽団体がバブル景気に乗じるようにして積極的に海外公演を行っていく(関西に限らず全国的な傾向でもあった)。この背景には、海外からの招聘のほか、国際文化交流、楽員のさらなる演奏技術向上への期待などがあったと言えよう。
1980年代中期から後期における関西音楽団体の主だった海外公演
1985
  • 日本テレマン協会 東ドイツ演奏旅行
  • アルカディア協会 ヨーロッパ演奏旅行
  • 大阪フィルハーモニー交響楽団 台湾演奏旅行
1986
  • 京都・大阪ゲヴァントハウス合唱団 ヨーロッパ演奏旅行
  • 大阪フィルハーモニー交響楽団 ヨーロッパ演奏旅行
1987
  • テレマン室内管弦楽団 ヨーロッパ演奏旅行、韓国演奏旅行
  • 京都市交響楽団 北朝鮮演奏旅行
1988
  • 創作オペラの会「葦」オーストラリア公演
  • モーツァルト室内管弦楽団 東ドイツ演奏旅行
  • アルカディア協会 ヨーロッパ演奏旅行
1989
  • テレマン室内管弦楽団 フランス演奏旅行
  • アルカディア協会 シンガポール演奏旅行
  • 大阪コレギウム・ムジクム ドイツ演奏旅行
  • 創作オペラの会「葦」アメリカ公演

1988年(昭和63年)

大阪音楽大学の歴史

2月3日 学長選挙 永井譲を選出

3月1日 本学初の大学史『大阪音楽大学七〇年史 楽のまなびや』刊行
創立70周年事業の一環として、昭和59年秋から準備をし、制作を進めていた本学初の年史が3年半をかけて完成した

4月1日 第4代学長に永井譲就任 学長補佐小林峡介
    菊原初子に名誉教授の称号
    付属音楽学園長に田中喜一就任

4月1日 客員教授制度発足
ロジェ・ブートリー(作曲・指揮)、安川加壽子(ピアノ)、平井康三郎(作曲)、畑中良輔(声楽)が就任

4月17日 大阪音楽大学オペラハウス管弦楽団結成
オペラハウスの建設と同時に、演奏を支える人材の確保・育成のための計画も始動、その最初の事業として日本初の劇場付オーケストラを結成した。本学教員、卒業生より組織する登録団員57名の二管編成(楽員長山名公子、コンサート・ミストレス林泉)。常任指揮者にヨーロッパ各地の歌劇場指揮者を歴任したフォルカー・レニッケを迎えた

4月18日 春楽祭

5月2日 オペラハウス運営委員会設置

5月18日 オペラハウス管弦楽団発足記念演奏会(メイシアター中ホール)
結成から1カ月、関西の新たなプロ・オーケストとしてデビューを果たす

シューマン《ピアノ協奏曲 イ短調》op.54(ピアノ独奏:平井丈二郎教員)

5月19~22日 ‘88日本吹奏楽指導者クリニックに参加(ヤマハリゾート合歓の郷=現・合歓の郷ホテル&リゾート)
本学ウインド・アンサンブルがスクールバンド指導者のための総合吹奏楽講習会に参加、リーディング・コンサート出演や、講習会においてモデル・バンドとして演奏を行った

指揮:辻井清幸(左上)日本バンドクリニック委員会からの感謝状(右上)

6月15日、17、23、28、30日 大阪音楽セミナー“古今東西音楽考”その3(大阪府立文化情報センター)

第4日 中村孝義「バロック室内楽の世界」

6月16日 楽器博物館第24回レクチャー・コンサート「祝祭と熱狂」
本学のガムラン合奏団「スワル・アグン」が2年前にバリ島で指導を受けたガムランの権威、ワヤン・ベラータ師がシルクロード博出演のため来日、同師ら一行20名とスワル・アグンのメンバー16名によるガムラン演奏と舞踊のレクチャー・コンサートを中庭と本学ホールにおいて開催した。中庭での公演は昼休みに行われたが、本来野外で演奏されるバリ島でのガムラン音楽の雰囲気を再現する企画であった

中庭での公演

ホールでの公演

9月19日 ボリス・ルヴォフ 協奏曲演奏会
9月5日~10月7日に特別講義、公開レッスンを行ったB.ルヴォフによる協奏曲演奏会を開催。10月5日にはリサイタルも開催した

協奏曲演奏会(指揮:デイヴィッド・ハウエル オペラハウス管弦楽団)

10月25日 日韓 邦楽・国楽交歓演奏会
韓国の国立国楽院の演奏団一行(朴世昌団長ら35名)が来学。楽器博物館を見学の後、本学ホールにおいて箏専攻の教員、学生ら24名と演奏会を行った。終演後、韓国人留学生3名らも参加して、歓迎パーティーが催された。国立国楽院からは翌年も訪日研修団が来学し、オペラハウスなどを視察した

10月27~29日 大学祭「Body&Soul」

11月7~24日 昭和63年度演奏週間
期間中、14~19日の平常授業を中断し、学外で6公演、学内で11の演奏会と13の特別講義などの催しを開催した。四年制大学昇格から30年の節目を迎えた演奏週間であり、鑑賞及び受講者はのべ13,597名(うち学外4,596名)であった(★は演奏週間の催し)

11月7日 第21回吹奏楽演奏会(大阪厚生年金会館大ホール)★
辻井清幸教員の指揮で、リード《エルサレム讃歌》、マスランカ《交響曲第2番》を本邦初演するなど、意欲的なプログラムであった
11月14日 第3回ピアノ・グランド・コンサート(大阪厚生年金中ホール)★
オーディションにより、33組44名の学生の中から3組4名の出演者が決定した。協奏曲の指揮は、客員教授に就任したロジェ・ブートリーが務めた。オーケストラは当回よりオペラハウス管弦楽団

モーツァルト《2台のピアノのための協奏曲 変ホ長調》K.365

11月17日 第31回定期演奏会(ザ・シンフォニーホール)★
指揮者ロジェ・ブートリー教員の提案により、ピエルネ《ラムンチョ》序曲をはじめ、全3曲ともフランスの作品となった

フォーレ《レクイエム》(独唱:樋本栄教員(Sop)独唱:横田浩和教員(Bar))

サン=サーンス《交響曲第3番》「オルガン付」(オルガン:土橋薫教員)

11月18日 第22回合唱演奏会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)★
パイプオルガンのある教会を会場に、合唱授業の全11クラスがミサを演奏した。オルガン専攻の学生ら4名が伴奏を行った

11月18日 第11回邦楽演奏会(メイシアター中ホール)★
長澤勝俊《飛騨によせる三つのバラード》や、同年の宮城会主催「第23回箏曲全国コンクール」の演奏部門一般部で第1位に入賞した学部専攻科の大倉佐和子による宮城道雄《秋の調》(コンクール演奏曲)などが演奏された

山本邦山《峠花》箏:砂崎知子 尺八:石垣征山(客演)

福井和子《夜のドウズ~石垣りんの詩による歌曲》

11月24日 第2回新作展(テイジンホール)★
十数曲の応募作品の中から、在学生3名、大学院生2名、卒業生1名の作品が選ばれ、教員、助手、演奏員らによって演奏された
12月6~8日 演奏旅行(兵庫、島根県)
本学管弦楽団が加西、松江、山崎の3市で演奏会を行った。各地の合唱団も出演
本学初の校史編纂
本学初の校史の編纂は、1984年(昭和59年)秋からの史料収集に始まった。本学は鉄筋コンクリート造りの味原校舎により戦火を免れたが、終戦後、焼き出された周囲の住民の避難所となり、机や椅子だけでなく、書籍や楽譜と一緒に書類なども燃やせるものは何でも燃料代わりにされ、大半の史料を失っていた。生き残るために、仕方のない時代であった。史料収集は困難を極めたが、卒業生をはじめ、関係諸氏の協力、貴重な史料の提供を受け、欠落した本学の歴史資料をかなりの部分補うことができた。
1980年(昭和60年)9月末、田中喜一学長・理事長を委員長に、梅本俊和、鎌谷静男、高橋準二、永井譲、西岡信雄、野口幸助、横井輝男ら7名の編集委員が決定、塩津洋子、高山正朗、西岡信雄、橋口武仁ら4名の編集スタッフが実務に当たった。創立70周年となる同年10月1~15日、水川記念館(現・K号館)において、年史刊行に先立ち、フェスタ70の関連行事の一つとして、収集した史料による「70年史写真展」を開催、本学演奏会のチラシ、プログラム、出版楽譜、永井幸次自筆楽譜などとともに展示を行った。
1988年(昭和63年)3月1日、『大阪音楽大学七〇年史 楽のまなびや』を刊行。田中編集委員長は巻頭にこう記している。「校史を綴るに当たっては、学生諸君が建学の精神を受けとめ、先輩諸兄姉の築かれた学風をひき継ぎ、それが現在に生かされることを期待しつつ進めてまいりました」。記述は、音楽教育の大きな流れを軸に本学の歴史をたどり、音楽大学らしい暖か味のある読み易い内容とするよう努めたとしている。そのために400枚近い写真、図版、それに加え校史の背景、古今の音楽事情、社会事情などを織り込んだ。これには当時の音楽文化史研究室が、音楽文化研究所時代より20年余りをかけて収集してきた洋楽史資料と、それにもとづく研究成果が活用されている。
関西に音楽教育を根付かせ、「関西音楽界の父」と称された創立者永井幸次の歩んだ道は、関西音楽界の歴史だともいわれたが、その永井が導いた本学の歴史を振り返ることで、大正・昭和の関西の音楽界も同時に垣間見ることのできる内容となっている。翌1989年度(平成元年度)、70年史編纂のため収集した資料をもとに校史史料室を開設。70年史編集スタッフが史料室委員となり、事務職員1名、非常勤職員1名の体制でスタートする。恒常的な史料収集・整理・管理及びレファレンス対応とともに、以後の年史編纂のための準備を行う。その後、様々な変遷を経て、現在校史史料室の業務は2002年度(平成14年度)に組織統合された音楽博物館で行っている。

70年史のあと、『追録(1986~1990)』、『追録(1986~1992)』を、1996年(平成8年)には『大阪音楽大学八〇年史 楽のまなびや』を刊行
日本初劇場付オーケストラの誕生
“自前のオペラハウスに自前のオーケストラ”──本学の歴史にまた一つ、日本初が加わった。劇場専属のオーケストラを発足させたのである。元来、オペラハウスとは、専属のオーケストラ、合唱団、バレエ団、さらに演出、舞台監督、照明、音響、衣裳、大道具、小道具などのスタッフが一体となったものである。オーケストラにとってオペラの演奏は、オーケストラ・ピットにいながら舞台上の劇的状況を正確に把握した上で、柔軟性のある、他の場合と全く違った演奏方法が求められる。自前の劇場で充分なリハーサルができてこそ、より上質な演奏につながる。そしてそれが経験となり、レパートリーとして蓄積されていく。本学はハード面であるオペラハウスの建設開始とともに、演奏というソフト面の充実を図るため、竣工に先立つこと1年前より、人材の確保・育成に着手した。
発足当初は「大阪音楽大学オペラハウス管弦楽団」、のちに「ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団」と称するこのオーケストラは、本学教員及び卒業生57名の登録団員からなる二管編成。楽員長に山名公子、コンサート・ミストレス林泉をはじめ、クラリネットの小川哲生、本田耕一、打楽器の北野徹ら関西楽壇で活躍する顔ぶれが名を連ねた。常任指揮者には、ヨーロッパ各地のオペラハウスで指揮者として経験豊富なフォルカー・レニッケ氏を迎え、1988年(昭和63年)4月17日、F号館合同演習室において結団式を行い、翌日より練習を開始した。
1カ月後の5月18日、吹田市文化会館メイシアター中ホールにおいて発足記念演奏会を開催、その産声を上げる。ウェーバー《歌劇オベロン》序曲、平井丈二郎教員をソリストにシューマン《ピアノ協奏曲 イ短調》op.54、ベートーヴェン《交響曲第6番「田園」》の3曲を演奏した。初めてのオペラ演奏となったのは、同年10月7、8日に堺市民会館大ホールで行われた堺市民オペラ協会第3回公演のJ.シュトラウス《こうもり》であった。レナード・アサトンの指揮で全3幕を演奏、本拠地ザ・カレッジ・オペラハウスのこけら落とし公演《ファルスタッフ》への貴重な経験となった。
同団は結成以来、本学主催のオペラや演奏会、学生のための各種演奏をはじめ、その他学外との共催企画や、関西の地域オペラ、文化庁巡回公演など、学内外で幅広い活動を行っている。従来、学生たちによる「大阪音楽大学管弦楽団」が教育的意義と本学の広報目的を兼ねて演奏旅行や出張演奏を行ってきたが、学生たちの負担も少なくなかった。新設のこのオーケストラが各地へ赴き演奏することによって、学生たちが果たしてきた広報的役割を担っていくことになった。
1989年(平成元年)5月25日にオペラハウスで初回を開催した定期演奏会は、2015年10月30、11月1日開催の創立100周年オペラ《ファルスタッフ》で52回を数える。現在、名誉指揮者に飯森範親、山下一史、チャン・ユンスン、正指揮者に大勝秀也、牧村邦彦を擁している。2000年(平成12年)、黛敏郎《金閣寺》公演はじめ本拠地オペラハウスや、東京・滋賀でのオペラ公演、並びに定期演奏会等の成果により、第20回音楽クリティック・クラブ賞を受賞。2008年より公益社団法人日本オーケストラ連盟準会員となっている。

発足後の初練習(1988年4月18日)
レニッケ氏は3年間常任指揮者を務めた

発足記念演奏会出演メンバー
(同年5月18日)

大学院協奏曲演奏会(同年7月12日)発足記念演奏会に次ぐ出演となった

堺市民オペラ協会第3回公演《こうもり》チラシ
初のオペラ演奏であった(同年10月7、8日)

昭和63年度 特別講義・演奏週間
特別講義

R.リッチ
( 4月20日~7月19日声楽)

P.Y.アルトー(6月1日作曲)

在里寛司/A.西古
(6月15日音楽専攻(伊語発音))

畑中良輔
(6月24日、11月9日声楽)

B.ルヴォフ
(9月5日~10月7日ピアノ)

K.ベルナー(10月14日ピアノ)

E.タブ/M.フィールズ
(11月9日楽理)

今村三明(11月11日打楽器)

R.トゥッチ(11月29日 テューバ)

H.シュトゥップナー
(12月13、14日ピアノ/作曲)

当年度はこの他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。演奏週間中のものを含め、全31件。1カ月間ボリス・ルヴォフ氏の公開レッスンを受講した学生22名の中から選ばれた8名による修了演奏会を開催(10月7日)。
  • 10月7日:松本ヒロ子/W.大橋(音楽専攻(独語発音)
  • 11月1、2日:L.フィッシャー=ネル(声楽)
  • 12月13日:D.ドワイヨ(トランペット)

1カ月にわたるレッスン受講生に授与された修了証書
その他、以下の演奏会も開催

C.ラルデ/M.C.ジャメ 特別演奏会(4月9日)

L.ブルンベルク リサイタル(5月20日)

M.ベルク/M.デッカー 特別演奏会(11月8日)
演奏週間

総合プログラム

学内外30件の催し一覧(11月7~24日)

【14日】日本歌曲におけるうたと語り

【15日】青島広志による特別講義

【16日】菅沼潤による特別講義

【17日】梅本俊和による特別講義

【18日】大学院2年生室内楽演奏会

【19日】ロジェ・ブートリーによる特別講義

関西音楽の歴史

プログラム表紙より

1月13日 ヒリヤード・アンサンブル 関西初公演(京都府立文化芸術会館)
中世・ルネサンス期の声楽作品を主なレパートリーとして活躍した

プログラムより

1月30日 オルフェウス室内管弦楽団 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
指揮者を置かずに活動する室内管弦楽団として話題になった

プログラムより

3月15日 ヨーロッパ室内管弦楽団 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
創立者クラウディオ・アバドに率いられての初来日であった
3月16日~11月15日 大阪国際フェスティバル30周年記念シリーズ(フェスティバルホール)
従来の公演期間を大幅に拡大し13演目全21公演を開催。オーケストラ・シリーズ公演(イスラエル・フィル、ケルン放送響、セント・マーティン・アカデミー管、フィルハーモニア管)、バレエ・シリーズ公演(英国ロイヤル・バレエ、第5回世界バレエ・フェスティバル、ベジャール・バレエ団)、ミラノ・スカラ座公演や恒例のフェスティバル能、セシル・ウーセ(Pf)、ジェシー・ノーマン(Sop)などのリサイタルが行われた。特にジュゼッペ・シノーポリ指揮フィルハーモニア管弦楽団によるマーラー《交響曲第8番「千人の交響曲」》の公演は、外来オーケストラによる同曲の国内初演奏として注目を浴びた
(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

ジェシー・ノーマン

G.シノーポリ指揮《交響曲第8番「千人の交響曲」》

4月10日~12月29日 朝比奈隆80歳記念演奏会 ベートーヴェン シンフォニー・チクルス開催
朝比奈と大阪フィルによる実に5度目のチクルスで、メイシアター大ホールを皮切りに京阪神の6会場を巡演して開催。傘寿を迎えた7月9日には大阪フィルの第234回定期演奏会を記念公演として行い、R.シュトラウス《アルプス交響曲》などを演奏した

4月29、30日 ヘルベルト・フォン・カラヤン 最後の大阪公演(ザ・シンフォニーホール)
1954年の単身初来日(NHK交響楽団客演)以来、11度目にして最後の来日となった。ベルリン・フィルを指揮し、チャイコフスキー《交響曲第6番「悲愴」》やムソルグスキー(ラヴェル編)《展覧会の絵》などを披露。翌年4月に健康上の理由により同団芸術監督及び終身指揮者を辞任、7月16日に満81歳で死去した

5月18日 大阪音楽大学オペラハウス管弦楽団発足記念演奏会(メイシアター中ホール)
本学ザ・カレッジ・オペラハウス竣工に先駆け結成された、日本初の劇場専属オーケストラが始動。関西の音楽界に新たなオーケストラが誕生した

プログラムより

5月20日 18世紀オーケストラ 関西初公演(京都府長岡京記念文化会館)
22日:ザ・シンフォニーホール

6月4、5日 関西歌劇団創立40周年記念公演 プッチーニ《お蝶夫人》(アルカイックホール)
小松一彦指揮、武智鉄二演出、関西フィルハーモニー管弦楽団、関西歌劇団合唱部
1954年に大阪歌舞伎座で上演され大きな反響を呼んだプロダクションを再現。当時病床にあった武智が演出した最後の公演となった
6月9、10日 ジェームズ・レヴァイン 関西初公演(フェスティバルホール)
芸術監督であったメトロポリタン歌劇場の引越し公演で初来日。モーツァルト《フィガロの結婚》、オッフェンバック《ホフマン物語》を指揮した。なお、字幕スーパーを外来歌劇場公演として初めて使用

10月5日 新神戸オリエンタル劇場 開館
新神戸オリエンタルシティ内に建設された劇場。馬蹄形の3層構造で客席数は668席(セミスタンドシート29席含)。東京グローブ座との提携により、1990年12月に本格的オペラ企画として、トマ《ハムレット》(松尾葉子指揮、ペーター・ストルマーレ/高橋英郎演出)とロッシーニ《オテロ》(松岡究指揮、出口典雄/松尾洋演出)を上演。シェイクスピアに因んだ両オペラの関西初演となった

オペラ公演パンフレット(1990年12月)

12月31日 スタニスラフ・ブーニン 特別演奏会(ザ・シンフォニーホール)
実質的に関西初となる年越しのジルベスターコンサートであった。1990年の大晦日には、初めて「ジルベスターコンサート」と銘打たれた公演がウィーン・シュトラウス・カペレにより同会場で開催された

S.ブーニン公演案内ハガキ

JTジルベスターコンサートのチラシ(1990年)

関西歌劇団創立40周年記念~武智鉄二ゆかりのオペラ上演
当年に創立40周年を迎えた関西歌劇団は、その記念事業として3つのオペラ公演を行っている。その第1弾は、「歌舞伎調オペラ」と銘打ったプッチーニ《お蝶夫人》の上演であった(6月4、5日:アルカイックホール)。これは、1954年(昭和29年)に朝比奈隆の指揮・訳詞、武智鉄二の演出により上演した《お蝶夫人》のプロダクションを再現したもので、当時と同じく武智が演出にあたった。しかしながらその武智は病により直接的な演出は叶わず、同団は病床の武智から演出指示を仰いだという。
続く記念公演第2弾として、メノッティ《電話》と同団の十八番であった大栗裕《赤い陣羽織》の2つの室内オペラを併演(9月3、4日:森ノ宮ピロティホール)。特に《赤い陣羽織》は、武智がその発案者にして初演(1955年)の演出を行った作品でもあった。武智は7月26日に死去し、当記念公演はその霊に捧げられた。
そして、同団は創立40周年記念を締め括る公演として、ヴェルディの《アイーダ》を舞台にかけた(10月22、23日:アルカイックホール)。同団にとって当オペラは、1957年(昭和32年)の甲子園球場を会場とした武智の演出によるスペクタクルな野外公演を含め4度目となる上演であったが、当公演では外来指揮者の初起用(ミリボイ・スールベック)や、原語上演による初めての字幕スーパー使用(藤原歌劇団が1986年に初めて本格的な字幕スーパー付上演を行い全国的に普及した)、そして当時の5千万円という巨費を投入した豪華セットなど、創立40周年記念に相応しい斬新かつエポックメーキングな舞台をつくり上げた。
これらの関西歌劇団創立40周年記念公演は、同団で1954~59年にかけて演出家として活躍した武智鉄二と縁あるオペラを上演し、回顧展的な意味合いを持つものとなった。そしてまた同団は90年代に入ると、初演を手掛けた大栗裕の《飛鳥》、《夫婦善哉》、《地獄変》の再演という、大栗の創作オペラの回顧展的企画を成し遂げることになる。

1989年(平成元年)

大阪音楽大学の歴史

1月7日 昭和天皇崩御
昭和天皇が崩御され、補講は中止、練習室での練習も4日間自粛とした。昭和の時代が終わり、翌8日より平成と改元される

(左)正門前の掲示、(中)半旗を掲げた
(右)練習自粛を呼びかける掲示

3月15日 ザ・カレッジ・オペラハウス竣工

3月17日 ザ・カレッジ・オペラハウス竣工式・記者会見・施設案内

(左)竣工式、(中)記者会見、(左)直会

4月1日 横井輝男に名誉教授の称号

4月1日 校史史料室開設
70年史『楽のまなびや』編集に際し収集した史料を母体に校史史料室を設置、恒常的な史料の収集、整理、保管とともに、レファレンス業務も行うこととなった

4月17日 春楽祭

4月20~25日 ザ・カレッジ・オペラハウスこけら落とし
日本初のオペラハウスはヴェルディのオペラ《ファルスタッフ》で幕を開けた。オペラハウス竣工を記念して結成されたオペラハウス・トリオの室内楽、選抜学生たちによるジョイント・コンサート、最終日のダン・タイ・ソンのピアノ・リサイタルと、6日間で5,000人を超す聴衆を集めて行われた

20~23日 《ファルスタッフ》

24日 学生によるオープニング・コンサート

24、25日 室内楽演奏会

25日 ダン・タイ・ソン ピアノ・リサイタル

5月25日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第1回定期演奏会
発足記念演奏会から1年、改めて本拠地でのデビューとなった。その本拠地に最適といわれるモーツァルトの作品でのスタートであった

チラシ

ピアノ独奏:清水淳彦教員

6月2、7、9、14、16、21日 大阪音楽セミナー“古今東西音楽考”その4(大阪府立文化情報センター)

第1日 井野辺潔「人形浄瑠璃の道行」

6月11日 付属音楽学園第1回実技診断テスト
昭和32年の発足以来、ソルフェージュ教育を軸に音楽基礎能力の育成を行ってきた音楽学園が、平成元年度より実技レッスンも開始、毎年数回、定期的に実技診断テストを公開で実施することになった

6月17日 選抜学生による第1回ザ・コンチェルト・コンサート
大学院生を除くピアノ・管弦打専攻生による新たな演奏会を新設。ピアノ専攻11名、管弦打専攻17名の学生の中から第一次オーディション、本選を経て、4名の出演者が決定した。アメリカの新鋭ロナウド・ブラウンスタイン指揮のオペラハウス管弦楽団が共演。学生にとって協奏曲を演奏できるのは貴重な経験で、現在も継続開催している

チラシ

6月29日 大学院オペラ試演会《2日間》本邦初演

7月 K号館に20ストップのパイプオルガン設置


西ドイツ・ボッシュ社製、20ストップ、パイプ1,290本、二段鍵盤、縦4.20、横5.62、奥行き1.85m、総樫の木造り。ボッシュ社派遣の技師と日本人技師の2人で組み立てられた
12月4日の楽器博物館第28回レクチャー・コンサート「オルガンの構造と音楽」で披露される
8月1~3日 付属音楽学園第1回指導者研修会

音楽学園が音楽指導技術の交流、向上をめざすとともに、本学園と園外の音楽指導者との連携を図ることを目的に、音楽指導者のための研修会を企画。付属音楽学園認定指導員制度を発足させ、その資格取得のための第1期スクーリングなどを開催した
9月8、9日 選抜学生によるオペラ《魔笛》
オペラハウスにおけるオペラ公演第2弾は、選抜学生たちによるモーツァルト《魔笛》。
オーディションにより大学院8、大学専攻科4、大学4年生16名のダブルキャスト、計28名の出演者が決定。指揮、演出は松尾昌美、桂直久両教員で、オーケストラは本学管弦楽団。フェスタ70以来の学生オペラ公演で、現在も継続している

10月1日 企画振興部を演奏部、企画課を演奏課に名称変更、広報室新設
広報室は広報誌の発刊を引き継ぎ、本学の情報を学内外に発信するほか、プレイガイドとしての機能を果たす。公募により「Muse(ミューズ)」の愛称が付けられ、翌年3月、正門前の駐車場跡に事務室を新築、A号館より移転する(現・幸楽会事務室、YAMAHA売店)

(左)1990年に新築の広報室、(中)演奏週間発券時は大混雑、
(右)旧ホール前に催物案内板を新設

10月26日~11月2日 楽器博物館特別展示「アコーディオンのさまざま」
楽器博物館が日本アコーディオン振興協議会会長、尾上隆治のコレクションを中心に、世界9カ国のアコーディオンの名品、珍品32点を集めた特別展示を開催、初日には第27回レクチャー・コンサートも行った

展示に見入る来館者

NHKのテレビ番組でも紹介された

11月2~4日 大学祭「MAXIMA」

11月7~22日 平成1年度演奏週間
期間中、7~13日の平常授業を中断し、オペラハウスを中心に学内外11会場で30の演奏会・特別講義を集中開催。オペラハウス開館を記念して、新ホールにふさわしいモーツァルトを中心テーマに取り上げた。定期演奏会はジェームズ・ロッカートを指揮者に迎え、オペラハウスとザ・シンフォニーホールの2会場で開催。32回を数える定期演奏会を学内で開催するのは初めてのことであった。鑑賞及び受講者はのべ13,597名(うち学外4,596名)であった

ポスター

整理券を求めて並ぶ学生の列

7日
大阪音楽大学管弦楽団演奏会
指揮:デイヴィッド・ハウエル教員
全曲イギリスの作曲家の作品を演奏
左から第4回ピアノ・グランド・コンサート(8日)、A.ディコフ ピアノ・リサイタル(9日)、第12回邦楽演奏会(10日)、会場はすべてオペラハウス。ピアノ・グランド・コンサートの指揮は定演と同じくJ.ロッカート

第32回定期演奏会はモーツァルトの2作品で、《ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲》K.364と《レクイエム》K.626というプログラム

11日 オペラハウス(ヴァイオリン独奏:宗倫匡教員、ヴィオラ独奏:岡田伸夫教員)

13日 ザ・シンフォニーホール(独唱:芝田真理(Sop)小杉かおり(Alt)、山下文裕(Ten)田中勉(Bass)各教員、オルガン:土橋薫教員)

20日 第3回新作展

22日 第22回吹奏楽演奏会(アルカイックホール)指揮:辻井清幸教員

11月24日 ディスカバー・オペラ・シリーズI ヘンデル《セルセ》
大学ベースの新しいオペラ運動を定着させるため、毎年春と秋の2回、本格的なオペラのシリーズ公演を行うとして、その長期計画を策定。秋のオペラは“ディスカバー・オペラ・シリーズ”と銘打ち、わが国では公演機会に恵まれない名作を取り上げ、上演史の狭間を埋めていこうというもの。シリーズ開幕となる《セルセ》の全幕上演は本邦初。高橋浩子教員の日本語訳による上演であった。当シリーズは1992年まで4作続くが、全作通じて指揮、演出は松尾昌美、菅沼潤の両教員が行った

チラシ

12月9日 第23回合唱演奏会

12月9~10日 演奏旅行(丸亀、赤穂市)

12月18日 K号館食堂オープン
日本初のオペラハウス開幕
1989年(平成元年)4月20日、ザ・カレッジ・オペラハウスはついにこけら落としの日を迎える。初日は来賓、学内外の関係者を招いた特別招待日で、公演に先立ち開館式典を執り行った。挨拶に立った田中喜一理事長は「商業ベースでもなく、官公庁ベースでもない、大学ベースで、新しい音楽の発信基地として全精力を結集します。オペラハウスを持つ大学としての教育・研究の新たな成果を期すものであります。そのための人材を養成し、より高度な音楽、より秀でた音楽人を世に送り出す。そのことを一大使命と考える次第であります」と述べた。
カーテンが開き、六曲二双の金屏風の前にしつらえた板敷で、茂山千之丞教員らによる狂言式楽《三番三》が演じられた。オペラハウス初の演目である。式典の最後を永井譲学長が、次のような謝辞で締めくくった。「本学は今、オペラハウスという新しい生命の灯をともしました。このホールでいろんな経験を積んだ学生たちが、その灯を分け継ぎ、やがて家に帰り、それぞれの灯を燃やし続けて欲しい。灯を育て、守り続けていくことをお約束して感謝の言葉に代えます」
式典終了後、ヴェルディ《ファルスタッフ》で6日間のこけら落とし公演の幕を開ける。フォルカー・レニッケ指揮のオペラハウス管弦楽団演奏、菅沼潤教員の演出で、1968年(昭和43年=大学院設置)以後の卒業生から選ばれたダブルキャスト20名の出演者が、ヴェルディ唯一の喜劇を演じた。このオペラはヴェルディ最後の作品で、オペラ・ブッファの名作といわれるが、ほぼ全曲が複雑なアンサンブルでできており、数多くの登場人物にいずれも高い演奏能力が求められることから、至難の曲として知られている。本学はこけら落としであえてこの難曲に挑戦し、大学ベースのオペラハウスをアピールした。関西では1956年(昭和31年)の第1回イタリア歌劇団公演以来33年ぶりの上演で、日本人としては関西初演。終幕の森の場面等、オペラハウスならではの奥行きの深い舞台を披露し、舞台機能を存分に発揮できるというのも、この作品を選んだ大きな理由であった。
4日間のオペラ公演のあと、24日昼は49組の学生の中から1次、2次のオーディションで選ばれた学生によるオープニング・コンサート(クラリネット長門由華、ピアノ油井美加子、ソプラノ貞清直美)を開催。同日夜と25日昼は、ヴァイオリン宗倫匡、チェロ河野文昭、ピアノ小森谷泉の3教員によりオペラハウス竣工を記念して結成されたトリオが、三大Bといわれるバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの作品による室内楽演奏会を行った。同日夜に行われた最終公演では、ダン・タイ・ソンがショパンとラフマニノフを弾いて6日間のフィナーレを飾った。
日本初のオペラハウスの開幕には、全国から大きな注目が集まった。公演は入場無料とし、特別招待日の初日を除く5日間は、1人1公演1席のみという条件で申込を受付け、応募者多数の場合は抽選を行った。6日間の来場者数は5,110人。出演者に卒業生、教員、学生、著名音楽家をそろえた公演であったが、このこけら落としはオペラハウスの◆総合芸術たるオペラの本格公演◆学生、教員、卒業生への活躍の場の提供◆世界的演奏家の招聘◆「開かれた大学」の更なる推進──という今後の方向性を示唆したものである。公演はそれぞれ高く評価され、前年の6月から音楽練習、10月下旬から立ち稽古を行い、長い時間をかけてアンサンブルを練り上げた《ファルスタッフ》も期待を裏切らない成果を得ることができた。また、残響可変装置によるホールの音響の素晴らしさは、どのジャンルの演奏会においてもそれを証明した。
こけら落とし後、オペラハウスは田中理事長が述べた「大学ベースの新しい音楽の発信基地」として、人材の育成を図りながらの音楽運動を模索する。それが先の劇場専属のオーケストラの創設であり、本学卒業生の登録出演ソリスト募集、コレペティトールの研修、専属合唱団の創設、演出・舞台監督その他スタッフの養成である。学生たちには演奏の場であるとともに、多くの演奏を聴いて耳を養う機会を与えていく。また、「開かれた大学」として、一般市民にも良質な音楽を低料金で提供し、聴衆を育てるなど、学外の音楽文化向上にも尽くしながら、さらに「新音楽 新歌劇の発生地たらんことを」という建学の精神をめざしていくことになる。
ヴェルディ 《ファルスタッフ》

初練習('88年6月19日)

立ち稽古('89年1月23日)

オケ合わせ(4月15日)

ゲネプロ(4月18日)

ゲネプロに駆け付けたR.リッチ特別招聘教授

こけら落とし当日(4月20日)

(左)音大通りの横断幕、(中)狂言式楽《三番三》、
(右)式典で挨拶する田中理事長

来賓の中には本学の元教員で、1948年(昭和23年)に本学が初めて学校をあげてオペラ公演に参加した 関西音楽研究集団第1回公演《カヴァレリア・ルスティカーナ》を指揮した中川牧三氏の姿もあった。

オペラハウス前

ロビー

中川牧三氏

客席

第1幕

終幕

指揮者V.レニッケ氏(21日)

楽屋

初日終演後

ダン・タイ・ソン氏を囲んで

左より永井譲学長、ダン・タイ・ソン氏
小林峡介・梅本俊和・安則雄馬各教員(楽屋にて)

こけら落としプログラム表紙

こけら落とし公演チケット(各日ともキャンセル券を発行)

上田俊光氏デザインのロゴ

オペラハウス完成記念ワイン

付属音楽学園の改革
昭和60年度大学入試に推薦入試制度を導入して以降、付属音楽学園からも成績認定を受けて進学する生徒が出ていたが、大学教育の質的向上をめざすには、大学内部の改革と並行して、入学以前の教育にも力を注ぐ必要があるとして、本学は平成元年度より音楽学園について様々な改革を行った。1957年(昭和32年)の発足以来30年余り、音楽学園は4歳児から高校生までを対象に、ソルフェージュ教育を軸とした音楽基礎能力の系統的な育成を行い、実績を蓄積してきた。その成果を継承しつつ、さらに指導範囲を広げるべく、実技レッスンも併せて行うことにした。
同時にその実技科目について、学習の進度を確認し、その後の勉強の目標や方法について個々にアドバイスを行うため、定期的に「実技診断テスト」を開始する。審査には大学と学園の教員が当たり、学園生以外の受験も可能とした。テストは公開のため、受験生の指導者や保護者も聴くことができる。受験者は自分の指導者以外の評価を知ることができ、他の生徒の演奏を聴くことで、自分の到達段階を客観的な基準の上に置いて見ることができる。毎年数回実施するが、1989年(平成元年)6月11日の初回に行ったピアノ、ヴァイオリン、管楽器のテストには5歳児から高校3年生まで215名の受験があった。
また、より良い音楽教育のためには、学園内外に数多くの優秀な音楽指導者が必要である。本学は指導技術の交流・向上を図り、学園と学園外の音楽指導者の連携の輪を広げる第一歩として、同年8月1~3日、第1回指導者研修会を開催した。初年度は「ピアノ指導者のための一般研修」と「音楽学園認定指導員資格取得のための第1期スクーリング」(ピアノ・幼児のためのソルフェージュ)を実施。前者は受講資格を問わず、後者は本学卒業生と本学園生徒の指導者を対象としたものである。“音楽学園認定指導員”とは、一定の研修を受け、その指導力が音楽学園としての推薦に相当することを証する資格で、当年度よりこの制度を発足させた。指導員の資格を得るには第1期と第2期のスクーリングを受講し、その間に実習・見学などを行い、報告書を提出後、資格試験に合格することを条件とした。第1回指導員認定試験は2年後の8月4日であった。
翌1990年(平成2年)には「音楽基礎科目到達度テスト」をスタートさせる。これは本学への入学希望者を対象に、ソルフェージュ・楽典・副科ピアノ(電子オルガン含む)の3科目について学習の到達度を調べるためのテストで、所定の成績を収めた科目については、入学試験の際に受験を免除するというもの。受験生はそれだけ専攻科目に専念することができる。平成4年度からの新入試制度を前に、1990年12月27日に第1回を実施、初回認定者がその科目の試験を免除されるのは、翌年11月実施の推薦入試からとした。以後、この到達度テストは、毎年3回実施している。
学生オペラ復活
1988年(昭和63年)5月の設置当初から、オペラハウス運営委員会はこけら落とし後のオペラハウスの活用について、討議を重ねていた。様々な案が出されたが、オペラについてはA企画:卒業生・教員が出演するもので、本学の力量を世に問うもの(4月頃開催)、B企画:選抜された学生が出演するもの(9月頃開催)、C企画:研究的色彩が濃いもの(11月頃開催)という3つの柱が決定し、それぞれの担当者によって具体的なプランが検討された。
このうちB企画である学生によるオペラを担当したのは委員の一人、桂直久教員で、公演は1989年(平成元年)9月8、9日、演目はモーツァルト《魔笛》と決定する。同年5月8日に大学院、大学専攻科、大学4年の声楽専攻生対象にオーディションが行われ、ダブルキャスト28名の出演者が選ばれた。ザラストロには山本正三教員が特別出演。演出は桂教員、オーケストラは松尾昌美教員指揮の本学管弦楽団。54名の学生たちがオーケストラ・ピットに入った。合唱は学生61名による本学合唱団、小鳥や動物たちに扮した25名の付属音楽幼稚園の園児たちが賛助出演した。演奏は従来の朝比奈隆訳の日本語で行った。公演は無料で公開したが、整理券を求めて両日とも申し込みが殺到し、相当数、希望に沿うことができなかったという。
翌年の第2回はモーツァルトの《フィガロの結婚》を取り上げたが、先に行われた春のモーツァルト・オペラ・シリーズの時と同じ舞台装置、衣裳、スタッフで上演するという、大変贅沢な公演となった。また、その春の公演の際に、稽古・ゲネプロ・本番と制作過程を見学し続けた学生や、3階立見席に4日間楽譜を持って通い詰めた学生の姿も見られたという。このように学生たちが身近に最良の教材を得て学ぶことができるというのも、自前のオペラハウスを持った大きな教育的意義である。
本学の学生たちによるオペラは、故朝比奈名誉教授の提唱を受けて、1961年(昭和36年)の《フィガロの結婚》に始まり14年続いたが、その後、大学、大学専攻科、大学院と声楽専攻がそれぞれに試演会を行うようになり、オーケストラも含めた全学あげてのオペラは、フェスタ70での《フィガロの結婚》が12年ぶりであった。それから4年、28年前の第1回研究公演に寄せられた朝比奈の「教育の場でオペラを取り上げ、将来に備えて技術と人材の積み重ねをしていかねばならない」という思いは、日本初のオペラハウスというこの上ない舞台で、再び実現されることとなった。
以来、現在までこの学生オペラは継続され、創立100周年となった本年度、2016年2月20、21日開催のモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》で27回を数える。
《魔笛》本番まで
オーディションから1週間後の5月15日に音楽練習に入り、31日から立ち稽古を開始した。声楽指導には桂斗伎子、阪上和夫、草野道広教員が当たった。

(左)立ち稽古、(中)オペラハウスでの稽古、(右)ゲネプロ

第1回公演 《魔笛》 1989年9月8、9日

第2回公演 《フィガロの結婚》 1990年9月7、8日

選抜学生によるオペラ (1989~2016年)
演目 開催年
魔笛 1989、95、99、2003、05、09、12、14
フィガロの結婚 1990、92、94、97、2000、06、13
コジ・ファン・トゥッテ 1991、93、96、98、2002、04、10、15
ドン・ジョヴァンニ 2001、08、11、16
ディスカバー・オペラ・シリーズ
“大学ベースのオペラ運動” を標榜した本学は、オペラハウス運営委員会において検討していた学生オペラ以外の残る2つの柱についても、その具体的な公演プランを決定する。それは毎年春と秋に本学教員・卒業生によるシリーズ公演を行うというもので、「春のオペラ」はモーツァルトの5作品による“モーツァルト・オペラ・シリーズ”、「秋のオペラ」は埋もれた名作を取り上げる“ディスカバー・オペラ・シリーズ”。1989年(平成元年)秋、各5年及び4年にわたる長期計画を発表した。
同年11月、先にスタートしたディスカバー・オペラ・シリーズはそのネーミングが表す通り、オペラを“発見”“発掘”していこうというシリーズで、研究的色彩の強い企画として考えられていたものである。オペラ誕生から400年、その間に作られた数え切れない数の作品のうち、日本で上演されるのは、大抵18世紀後半から20世紀初頭にかけて約150年間の特定の作曲家による作品に限定されている。実際にはそれ以外にも素晴らしい作品は数多く存在するが、ただでさえ赤字のオペラ制作を考えると、一般に知られていない作品の上演は、興行的に成り立ちづらい。しかし、あえてこのように商業ベースに乗りにくいために、上演機会に恵まれることなく忘れ去られようとしている作品に光を当て、現代にその楽しさをよみがえらせることは、ザ・カレッジ・オペラハウスの使命の一つではないか──“大学にあるオペラハウス”の意義を追求する中、このシリーズは生まれたのである。大学にしかできない、大学だからこそできる、学術的研究に支えられた実験的な挑戦であった。
ヘンデル《セルセ》、モンテメッツィ《三人の王の恋》、ピッチンニ《ラ・チェッキーナ》、ヘンツェ《若い恋人たちへのエレジー》というバロックから現代まで幅広い時代の作品を取り上げたが、《セルセ》(全幕上演において)、《三人の王の恋》の2作品は本邦初演、《若い恋人たちへのエレジー》は関西初演で、日本人による上演は初めてであった。シリーズを通じて企画者である4名の教員、制作:樋本栄、訳詞:高橋浩子、指揮:松尾昌美、演出:菅沼潤という陣容で行った。
このシリーズの重要なコンセプトは、学術・研究的要素を踏まえながら、歴史上の形式に忠実な再現を目標とするのではなく、当時の人々がオペラを娯楽として楽しんでいたように、現代の日本人が身近に楽しめるように様々な工夫を取り入れ、ザ・カレッジ・オペラハウスのレパートリーにしていくことであった。例えば1作目の《セルセ》では原作が3幕3時間半の上演時間を要するところ、スピーディーな現代人の感覚に合わせるために原作の意図を損なうことなく2時間半に圧縮し、2幕として上演。演出の菅沼はバロック時代の人間喜劇を現代風にアレンジして、その魅力を引き出すことをめざした。本作は1991年(平成3年)に岡田司を指揮に迎え、再演する。
ディスカバー・オペラ・シリーズは1992年(平成4年)で幕を閉じるが、3つの柱の中でも最も大学ベース色の強いこの独創的なシリーズは、その後も“日本オペラ・シリーズ”、“オペラ・シリーズ「世紀末から新世紀へ」”、“20世紀オペラ・シリーズ”へと引き継がれる。その成果は高く評価され、数々の受賞の栄に浴して、日本の音楽界にザ・カレッジ・オペラハウス、そして大阪音楽大学の名を刻んでいくことになる。
ディスカバー・オペラ・シリーズ《セルセ》(1989年)

(左)立ち稽古、(中)舞台仕込み、(右)カーテンコール

ディスカバー・オペラ・シリーズII~IV(1990~1992年)

(左)《三人の王の恋》、(中)《ラ・チェッキーナ》、
(右)《若い恋人たちへのエレジー》

平成1年度 特別講義・演奏週間
特別講義

渡邊順生(5月31日楽理)

畑中良輔(6月27日、10月19日声楽)

E.ベイリー(9月9日打楽器)

R.コーロフ T.カルティス(9月11、12日声楽)

K.ベルナー(10月2、5日ピアノ・アンサンブル)

J.ウルザーマ(10月6日楽理)

R.ホフマン(10月6日ピアノ伴奏法)

A.ディコフ(10月13日~11月18日ピアノ)

C.ラルデ(10月30日フルート)

W.モーア(10月30日声楽)

当年度は、この他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。演奏週間中のものを含め、全26件。アントン・ディコフ氏のピアノ公開レッスン修了生による演奏会も開催(11月18日)。
  • 4月18、19日:山本隆雄/松本ヒロ子/在里寛司/瀬ヶ谷俊一(音楽専攻(独語・伊語発音))
  • 4月20日~7月19日:R.リッチ(声楽)
  • 11月14日:L.フィッシャー=ネル(声楽)
その他、以下のリサイタル等も開催

E.デルガド(6月29日 )

K.ヤヴォンスキー(7月10日)

チョウ ピアノ・トリオ(9月12日)

D.ゴギュラン(9月20日)

K.ベルナー/J.ミューラー
(10月4日)

演奏週間

総合プログラム

学内外31件の催し一覧(11月7日~11月22日)

【7日】海老沢敏による講演

【8日】ゲーベルトリオによる講演と演奏

【9日】畑中良輔による特別講義

【10日】佐藤允彦による特別講義

【11日】邦楽合奏演習発表会

【13日】文楽人形について

1989年 ザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
年表に掲出以外の1989年(平成元年)のザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
5月21日 アンサンブル・コントレシャンプ室内楽演奏会

6月5日 マテュー・グッドマン クラリネット・リサイタル

6月7日 イングリット・ヘブラー ピアノ・リサイタル

9月12日 チョウ・ピアノ・トリオ演奏会

9月18日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第2回定期演奏会

10月11日 ディーナ・ヨッフェ ピアノ・リサイタル

10月24日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団特別演奏会

11月1日 オペラハウス・トリオ第2回室内楽演奏会

関西音楽の歴史

1月7日 昭和天皇崩御 年号が平成へ
1月31日~5月14日 大阪国際フェスティバル特別企画(フェスティバルホール)
前年の30周年記念シリーズに続き、従来とは異なる変則的な日程で特別企画として開催。アンヘル・ロメオのギター・リサイタルで開幕し、8演目全11公演が行われた。初来日であった若手コロラトゥーラ・ソプラノのエヴァ・リンドのアリアの夕べや、フランス革命200周年記念として来日したダニエル・バレンボイム指揮パリ管弦楽団のドビュッシー・プログラムなどが話題を呼んだ
(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

M.G=マルティネスの指揮で歌うエヴァ・リンド

パリ管弦楽団を指揮するD.バレンボイム

2月5日 ミシェル・コルボ 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
アムステルダム・バッハ・ソロイスツ、ローザンヌ声楽アンサンブルを率いての初来日でJ.S.バッハ《ミサ曲ロ短調》を指揮

3月7日 ジョン・エリオット・ガーディナー 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
イギリス・バロック管弦楽団、モンテヴェルディ合唱団を率いての初来日でヘンデルのオラトリオ《エジプトのイスラエル人》を上演
4月1日 消費税導入
4月20日 ザ・カレッジ・オペラハウス開館
本学創立70周年記念事業の一環として建設。国内初のオペラハウスとして注目を浴びた。本学の教育・研究・芸術活動の拠点となる。25日にかけてこけら落とし公演を行い、ヴェルディ《ファルスタッフ》などを上演

《ファルスタッフ》

6月19、22、23日 関西二期会創立25周年記念 第31回オペラ公演 ヴァーグナー《タンホイザー》(アルカイックホール)
佐藤功太郎指揮 西澤敬一演出 京都市交響楽団 関西二期会合唱団 京都大学ハイマート合唱団 東京バレエグループ
同会初のヴァーグナー上演で、ドレスデン版を使用。同会は12月14日に同じく周年記念としてポピュラーからクラシックに至る豪華な歌の饗宴「ゴールデン・コンサート」を開催した(毎日ホール)

《タンホイザー》 関西二期会提供『関西二期会創立30年記念誌』より

7月16日 ヘルベルト・フォン・カラヤン没

プログラム表紙

9月22日~10月28日 大阪市制100周年記念音楽祭開催
大阪城音楽堂をはじめとする市内主要6会場にて、クラシック、ジャズ、ポピュラー、邦楽などの12演目全14公演が開催された

9月24日 ハーゲン弦楽四重奏団 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
25日:京都府立文化芸術会館
世界最年少のプロ弦楽四重奏団として話題となった

11月5日 グランド・オペラ《カルメン》大阪公演(ザ・シンフォニーホール)
アリーナ形式の舞台で総勢500名により上演されたロンドン発の大規模なオペラ・プロダクションが来日。大阪ではコンサート形式であったが、東京・国立代々木競技場(第1体育館)では豪華舞台上演が行われた。当時はバブル絶頂期であり、全国的なオペラ・ブームが到来していた
11月5日 ウラディーミル・ホロヴィッツ没

11月9日 ベルリンの壁崩壊

11月24日 ザ・カレッジ・オペラハウス ディスカバー・オペラ・シリーズI ヘンデル《セルセ》(ザ・カレッジ・オペラハウス)
松尾昌美指揮 菅沼潤演出 オペラハウス管弦楽団 同合唱団
本学が“大学にあるオペラハウス”として独自の活動をめざし打ち出した、春秋オペラ・シリーズの秋のオペラ第1弾「ディスカバー・オペラ・シリーズ」。既存の団体が商業ベースでは取り上げにくい埋もれた作品を、4年にわたり上演していくという本学ならではの画期的な企画に注目が集まった。2年前のキャスリーン・バトルが歌うCMで、アリア「オンブラ・マイ・フ」が有名になったが、全幕上演は本邦初であった

12月15日 ルチアーノ・パヴァロッティ 関西初公演(大阪城ホール)
1971年初来日。大規模な当アリーナ・コンサートが関西デビューとなった。レオーネ・マジェーラ指揮大阪フィルと共演し、得意のオペラ・アリアなどを披露
関西における市制100周年記念の音楽イヴェント
1989年(平成元年)は市制が施行されてから100年という節目に当たり、全国37都市が市制施行100周年を祝った。各都市では様々な市制100周年記念事業が計画され、関西では特に政令指定都市たる神戸市、京都市、大阪市などが100周年記念事業の一環として特色ある音楽イヴェントを開催した。
「市民文化都市」を掲げた神戸市は、4月2日、市制100周年記念として「管弦楽曲発表演奏会」を神戸文化ホール(大ホール)で開催。これは、神戸市制100周年記念作曲事業委員会(委員長・朝比奈隆)の下、委嘱を受けた神戸生まれの平吉毅州が作曲した《ファンタジー「神戸の詩」》の初演を含むオーケストラ・コンサートで、朝比奈千足指揮の神戸フィルハーモニックがその演奏に当たった。この《ファンタジー「神戸の詩」》は、神戸の夜の海をテーマとした子守歌風の静かな前半部と、サンバのリズムを取り入れた華麗な後半部から構成され、港町「神戸」や日本のサンバ発祥の地「神戸」を反映したオリジナル性の強い作品となった。
京都では、京都市市制100周年記念〔きのう・京・あした〕として、京都市などの共催による「ザイラー・ピアノデュオ連弾曲連続特別演奏会」が行われた。6月25日、7月2、9日、11月25日の4夜、京都市美術館(大理石の間)と関西日仏学館で開催。リストが作曲したピアノ4手版による《交響詩》12曲の本邦初演という意欲的なものであり、通常の演奏会場ではなく美術館を主舞台とした異色のコンサートであった。
大阪市は9月22日から10月28日にかけて、大阪城音楽堂、大阪厚生年金会館、森ノ宮ピロティホール、フェスティバルホール、大阪国際交流センター、ザ・シンフォニーホールの6会場で「大阪市制100周年記念音楽祭」を大々的に開催した。大阪に縁ある音楽家を中心に、プロ・アマ約2300名が参加。大阪市音楽団などによる前夜祭コンサートを皮切りに、朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団公演、関西歌劇団と関西二期会の合同によるモーツァルト《フィガロの結婚》上演(小松一彦指揮、菅沼潤演出)、カラベリ・グランド・オーケストラによるポピュラーコンサート、姉妹都市提携15周年記念と銘打たれた上海交響楽団公演(福村芳一指揮他)など、12演目全14公演という実に多彩な企画が繰り広げられた。来るべき21世紀に向け、大阪音楽文化の更なる振興を目指した大規模な音楽祭となった。
外来オペラ来演に見る関西と首都圏の商業的格差
1989年は、昭和天皇の崩御(1月7日)により元号が「平成」へと改元された大きな時代の転換点であった。また同年、国民的歌手であった美空ひばりの死去(6月24日)により、日本歌謡界もまた「昭和」という時代の終焉を迎えることとなった。クラシック界においても、世界的な名声を得た指揮者へルベルト・フォン・カラヤンが没し(7月16日)、ピアノの巨匠ウラディーミル・ホロヴィッツもこの世を去り(11月5日)、正にカリスマ的な大音楽家が音楽界の中心であった時代が終わりを告げようとしていた。この当時、日本国内はバブル期が絶頂を迎えようとしており、一般企業の文化事業や企業メセナ活動の活況はもとより、放送や音楽業界などの強力な発信力によってクラシック音楽は商業的に大きなブームとなっていた。
このような動向の中、同年には首都圏を中心として外来オペラの来日が相次いだ。ウィーン・フォルクスオーパー(6月)、ボリショイ・オペラ(7月)、バイロイト音楽祭(9月)、ウィーン国立歌劇場(10~11月)の引越し公演のほか、東京ドームで行われた丸井スペクタクル・オペラ《アイーダ》(7月)、国立代々木競技場(第1体育館)でのグランド・オペラ《カルメン》(10~11月)、同じく国立代々木競技場(第1体育館)でのアレーナ・ディ・ヴェローナの《アイーダ》(12月)といったイヴェント性の高い大型オペラ公演が開催され、大衆的なオペラ・ブームを呈するに至った。しかし、この中で関西(大阪)公演が行われたのは、ウィーン・フォルクスオーパーとグランド・オペラ《カルメン》のみで、後者はコンサート形式での公演であった。関西歌劇団や関西二期会といった主要オペラ団体の活動に加え、独自の上演企画を打ち出したザ・カレッジ・オペラハウスの開館によって関西のオペラ界は1つの転機を迎えていたが、バブル期のさなかにおける外来歌劇場の来演には、首都圏一極集中、関西と首都圏との商業的格差というものが明確に浮かび上がることとなった。

1990年(平成2年)

大阪音楽大学の歴史

2月 大学3年次編入に推薦入学制度導入

3月26日 教育職員免許法改正による再・新課程認定を受ける
中学校二種(音楽)=短期大学、中学校・高校一種(音楽)=大学、中学校・高校専修(音楽)=大学院・大学専攻科

3月27、29日 第1回アジア・フルート・フェスティバル参加(韓国)
曽根亮一教員率いる本学フルート専攻生30名による本学フルート・オーケストラが、韓国管楽指導者協会主催の第1回アジア・フルート・フェスティバル(27日釜山、29日ソウル)に参加、韓国の音大生、台湾の若いフルーティストたちと共演した

4月1日 松井克之に名誉教授の称号
4月1日 大学院弦研究室を管弦打研究室へ改組

4月1日 授業時間帯を変更
近畿の住宅圏拡大に伴い、通学時間が延び、9時からの第1限始業に支障が生じるようになったため、始業時間を30分繰り下げ、昼休みも5分延長して45分とした

4月 平成4年度からの新入試制度発表
推薦入試〔大学〕一般高校生も受付 〔短期大学〕推薦入試制度を導入
音楽基礎科目(楽典・ソルフェージュ・鍵盤楽器)の到達度テストによる認定制度導入

4月14日 春楽祭

4月26~29日 モーツァルト・オペラ・シリーズI《フィガロの結婚》
オペラハウス春秋のシリーズ公演、春のオペラは5年にわたる「モーツァルト・オペラ・シリーズ」。演出に招聘した栗山昌良が、安則雄馬教員とともに開幕当初の企画・制作も担当。シリーズ第1弾はオペラハウスオープン1周年記念公演として《フィガロの結婚》を日本語、原語で交互に上演。1演目を同時期に同じ指揮者・演出家で日本語・原語上演するのは日本初で、ノーカット上演とともに大きな話題となった

モーツァルト・オペラ・シリーズを象徴する紗幕(モーツァルトの横顔に5年計画で取り上げる作品名が順に書かれている。この紗幕はシリーズを通じて毎回使用された)

5月15、22、29日、6月5、12日 大学開放講座「音楽・心の旅」(豊中市立中央公民館)
豊中市立中央公民館からの要請を受け、同館と大学開放講座を共催することになった。受講者の要望により、同年10月に早くも2回目のシリーズが開催される。以後毎年恒例となり、今年で29回を数える。本学にとって4年前に開始した「古今東西音楽考」に次ぐ2番目の学外講座

第1回 山本徹「日本歌曲の流れ」

6月1日 昼休み学内放送、本格的に開始
学内放送は広報室が正門前に移転したのを機に、3月末よりA号館の電話交換室から随時行っていたが、同館に放送室を整備し、月・水・金曜日の昼休みに広報室制作の学内ニュースを定期的に放送することになった。放送は公募で選ばれた学生3名が担当

当時のオープニング、エンディングのテーマはヴィヴァルディの協奏曲。放送は「こんにちは。広報室ミューズです」で始められていた。現在のテーマ曲は《フィガロの結婚》序曲で、学生支援センターが制作している
6月6、8、13、15、20、22日 古今東西音楽考 その5(大阪府立文化情報センター)

6月8日 第1回ザ・カレッジ・コンサート
ピアノ・声楽・管弦打専攻の大学3年生から大学院生までの選抜学生によるジョイント・リサイタルを新設。オーディションに選ばれた大学院生3名が出演した。現在も継続して開催している

6月19日 オペラハウス、関西照明技術普及会賞受賞

オペラハウスの卓越した企画設計による優秀な照明施設が照明技術の普及・発展に貢献したとして、ロイヤルNCB会館で、社団法人照明学会・照明普及会より表彰された。オペラハウス初の受賞となった演写
6月28日 大学院オペラ試演会 ボワエルデュー《白衣の婦人》本邦初演

6月28日 第2回ザ・コンチェルト・コンサート
学内オーディションにより選ばれた学生3名が、佐藤功太郎指揮のオペラハウス管弦楽団と共演

ボワエルデュー《白衣の婦人》

第2回ザ・コンチェルト・コンサート

7月1日 アドミッション・オフィス設置
入試課、付属音楽学園事務室、入試改革に伴い設置されていた入試広報デスクを統合。本学入学のための受験準備支援、情報提供などの業務にあたる

7月7日 松村英臣、「第9回チャイコフスキー国際コンクール」ベスト・バッハ賞受賞
本学最後の付属高校卒業生で、1988年に大学院を修了した松村英臣(現・教員)が、第一次予選におけるJ.S.バッハの演奏を高く評価され、特別に創設された“ベスト・バッハ賞”を受賞。翌日、モスクワ音楽院での受賞者によるガラ・コンサートに出演した

8月15日 EXPO’90 国際・音楽学生フェスティバルに出演(花博会場 テアトル花座)
世界の4大音楽院─ウィーン国立音楽大学、パリ国立高等音楽院、ミラノ・ヴェルディ音楽院、ジュリアード音楽院の学生11名が一同に会して交流するという、世界初のコンサート「EXPO’90 国際・音楽学生フェスティバル」が花博会場内で8月11日から5日間にわたり開催された。最終日、地元のホスト・カレッジとして、松尾昌美、加藤完二の両教員率いる本学管弦楽団53名が“4音楽院と大阪音楽大学”と題するモーツァルト・ガラ・コンサートに出演。4音楽院を代表する学生たちとアリアや協奏曲で共演した

《フルートとハープのための協奏曲》K.299(フルート独奏:エマヌエル・パウド、ハープ独奏:ドミニク・ピュイサン、指揮:加藤完二教員)

9月7、8日 第2回選抜学生オペラ《フィガロの結婚》
選抜学生によるオペラ第2弾は春のオペラと同じく《フィガロの結婚》。舞台装置、衣裳、スタッフも同じという、自前のオペラハウスを持つ利点を大いに活用できる公演となった。横田浩和教員がプロデュースに当たり、指揮は加藤完二教員、演出には本学短大卒でコロラド州立大オペラ科名誉教授・京都芸大教授であった秦邦明を招聘した

9月11日 三音楽大学邦楽の競演(いずみホール)
大阪文化団体連合会主催で、本学の箏曲、大阪芸術大学の長唄、相愛大学の雅楽という三大学の邦楽部門が一堂に会する演奏会が行われた。プログラム最後に当演奏会のための委嘱作品、辻井英世《雅楽器群、箏群、三絃群のための“華臺”》で合同演奏を行った

9月14、15日 永井幸次先生顕彰演奏会(米子市公会堂・鳥取市民会館)
創立者永井幸次の没後25周年と本学創立75周年を記念して、地元の「永井幸次先生顕彰会」と本学が演奏会を共催。デイヴィッド・ハウエル教員指揮のオペラハウス管弦楽団、小森谷泉教員がソリストとして出演し、地元合唱団と共演するなど、交流を深めた

10月18日 選抜卒業生による第1回オペラハウス協奏曲の夕べ
オペラハウスを本学出身のソリストに提供、演奏活動の発進・飛躍の場としてもらおうと企画。オーディションにより選ばれた2名の卒業生が出演した

10月23日 大阪音楽大学管弦楽団演奏会★
期間外の演奏週間企画演奏会。指揮はデイヴィッド・ハウエル教員

10月23、30日、11月6、20、27日 大学開放講座「音楽・心の旅」II(豊中市立中央公民館)

11月1日『電子オルガン曲集I』刊行
本学の電子オルガン教員による編集委員会を設け、電子オルガン学習のための楽譜を大阪音楽大学編として出版

11月1~3日 大学祭「楽」

11月13日~18日 平成2年度演奏週間
オペラハウスを中心に9会場で、前後3演奏会を含む28の演奏会・特別講義を集中開催。定期演奏会は前年同様全曲モーツァルトというプログラムで、オペラハウスにおいて連夜2公演が行われた。指揮は松尾昌美教員。ピアノ・グランド・コンサートの指揮はデイヴィッド・ハウエル教員

左から第5回ピアノ・グランド・コンサート(8日)、松浦豊明 ピアノ・リサイタル(13日)、 第13回邦楽演奏会(14日)

左から第4回新作展(15日)、第33回定期演奏会(17、18日)、
第23回吹奏楽演奏会(12月5日 アルカイックホール)

11月27日 ザ・カレッジ・オペラハウスが第10回大阪まちなみ賞(大阪都市景観建築賞)奨励賞受賞
オペラハウスが都市景観上、優れた建物や町並みを表彰する第10回大阪まちなみ賞の奨励賞を受賞。2階建木造密集地区に割り込むように作られているが、外観を小壁面に分割して周辺環境に馴染ませるよう工夫している点が評価された

11月27、28日 ディスカバー・オペラ・シリーズII モンテメッツィ《三人の王の恋》
シリーズ第2弾となる本作は、ロマン派最後の傑作といわれるもシリアスな内容と演奏が困難であることから、近年上演されることなく忘れ去られようとしていた作品で、本邦初演。高橋浩子教員の日本語訳による上演で、ダブルキャストの2日公演であった

12月12日 付属音楽幼稚園第10回こどものミュージカル《アリとキリギリス》(豊中市民会館)

12月22日 第24回合唱演奏会

12月27日 第1回音楽基礎科目到達度テスト実施
入試以前に、ソルフェージュ・楽典・副科ピアノ(電子オルガン含む)という音楽基礎科目の学習到達度をテストし、所定の成績を収めた科目については平成4年度入試より受験を免除とするとした
モーツァルト・オペラ・シリーズ
1990年(平成2年)4月26日、ザ・カレッジ・オペラハウス オープン1周年記念公演として、春のオペラ“モーツァルト・オペラ・シリーズ”が幕を開けた。このシリーズはオペラハウスでの演奏に最もふさわしいモーツァルトの作品を5年にわたり、1年に1作ずつ取り上げるもので、全作の演出を栗山昌良氏が務めた。このシリーズを始めるにあたり、演出を誰に依頼するかが一番の難題であった。各方面からの意見をもとに検討した結果、栗山氏の名前が浮上、交渉の末、快諾を得ることができた。同氏との協議により、演目とその公演順、1作目の指揮者に小泉和裕氏を招聘、4日間の公演は日本語・原語の交互に行う、5回分のプログラムは同一企画でまとめ、一つの読み物になるような学究的なものにする等が決定していった。
外国作品のオペラにおける上演言語については古くから議論のあるところだが、当時は原語上演が主流となり、字幕スーパーを用いての公演も多くなっていた頃であった。本学はあえて性急に結論を出さず、それぞれの効果を見比べたいと、日本語・原語の併演を試みた。これは栗山氏の「母国語による芸術性豊かな音楽表現があってこそ、原語表現もその意義を確実なものとし得る」との主張に基づくものであった。この考えは、自ら日本語訳を施して関西歌劇団の上演を行った、故朝比奈隆名誉教授のそれと共通するところがある。この二カ国語による上演もまた大学ベースならではの実験的なもので、大いに注目を集めた。
シリーズ第1作は《フィガロの結婚》。オペラハウス独自の最高水準の公演を求めて、以下の方針を打ち出した。
  • ノー・カット版で、従来の公演では削除されていた難しいアリアも取り上げたい。
  • ザ・カレッジ・オペラハウスならではの、モーツァルトらしい響きを実現するため合唱を小編成(24名)のものとし、管弦楽についても同様の配慮を行う。
  • キャストはザ・カレッジ・オペラハウスの明日を託して、本学出身の中堅、若手の歌手を登用。
  • 演出方法としては、1~2幕通し、3~4幕通しで、スピーディーな展開を図る。舞台機構・機能を活用し、ノー・カット版による上演時間の伸びを圧縮する。
  • 原語上演の際、聴衆の音楽への集中を妨げないため、字幕スーパーは使用しない。
序曲が終わり、幕が上がると舞台全面に縦長の白い紗幕──中央に描かれたモーツァルトの横顔のシルエットの上に、モーツァルト・オペラ・シリーズの5作品名が記され『Le Nozze di Figaro 1786』にライトが当たる。この演出は、各回の上演作品にライトを当てながら、シリーズを通じて踏襲された。舞台は客席壁面と同色のバルコニー付きアーチで仕切られ、上部中央にオペラ名。その枠内で4幕を展開するという趣向で、これも全作に用いられたスタイルであった。「オペラハウスならではのモーツァルト・オペラを“原点に返って、商業的粉飾を排し、しかも楽しい”ものにしたい」と長期にわたる演出への意気込みを語った栗山氏の創意が凝らされた。
シリーズ最終回となった1994年(平成6年)の《魔笛》は6日間公演し、オペラハウス2階ロビーでは過去の衣裳展も行った。初日のプレ・トークに出席した栗山氏は、「5年前、このオペラハウスに来て『ここでモーツァルトがやれる』と感銘した。全国でここ程オペラに適したホールはない。この5年間、大阪音楽大学卒業の方々と付き合え、本当に幸せでした。表現意欲にあふれる人たちの、その心に私のひと言が響いて、輝きを見せる。それが芸術というものでしょう」とシリーズを振り返った。また後日、制作担当であった安則雄馬教員は、「5年間を終え、何よりもまず一つの目標に向かって先輩、後輩が競い合い、協力しながら“自前の劇場”で練習できたことが、何よりの喜びであった。キャスト、スタッフ各人がそれぞれに素晴らしい成果を上げてくれたが、さらに“栗山教室”で学んだ多くの財産を、後輩に伝え、大阪音大オペラの伝統を作り上げて欲しいと念じている」と本学広報誌に記している。(1994年5・6月号)
このシリーズはレパートリー化という当初の計画通り、《フィガロの結婚》《コジ・ファン・トゥッテ》が再演され、舞台装置、衣裳などは学生オペラにも使用された。
モーツァルト・オペラ・シリーズ開幕まで
【キャスト】

(左)初顔合わせ、(中)音楽練習、(右)栗山氏の演出プラン説明

(左)オペラハウスでの稽古、(中)立ち稽古、(右)ゲネプロ

【ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団】

【練習の表情】

(左)演出の栗山氏、(中)キャスト、(右)オーケストラ

【舞台作りの様々】
5作を通じて使用されたモーツァルトアーチを製作

小道具

照明

衣裳

かつら

公演本番

【舞台裏の表情】

モーツァルト・オペラ・シリーズ(1990~1994年)
全作演出は栗山昌良
公演日 作品 指揮
1990年4月26~29日 フィガロの結婚 小泉和裕
1991年4月26~29日 コジ・ファン・トゥッテ 松尾葉子
1991年5月10、12日 フィガロの結婚 小泉和裕
1992年4月26~29日 ドン・ジョヴァンニ 星出豊
1993年4月26~29日 後宮からの逃走 小泉和裕
1993年5月28、30日 コジ・ファン・トゥッテ 松尾葉子
1994年4月26~29日
1994年5月7、8日
魔笛 小泉和裕

シリーズ全5作品の演出に当たった
栗山昌良氏

小泉和裕氏

松尾葉子氏

星出豊氏

平成2年度 特別講義・演奏週間
特別講義

浅野義弘(4月17日~全5回 音楽専攻(コード進行))

J.Y.フルモー(4月21日サクソフォーン)

R.ケルターボーン(5月15日作曲)

L.J.ウォン(5月18日声楽)

E.ピヒト=アクセンフェルト
(5月29日~6月15日ピアノ)

J.マーセラス(5月30日金管楽器)

S.グッドマン(5月31日打楽器)

小杉博英/宗倫匡
(6月11日弦楽合奏)

前金奈千子(6月21日打楽器)

K.シュミット
(7月2日クラリネット)

前田昭雄(10月2日楽理)

P.ザドロ(10月5日打楽器)

I.ジェームス(10月18日ホルン)

M.デッカー(10月23日ピアノ)

I.ベーヤー/H.ディガル
(11月8日ピアノ)

当年度はこの他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。演奏週間中のものを含め、全34件。また、1985年度(昭和60年度)大学4年専門特殊研究受講生を第1期生に、以来6年間、毎年4~7月に大学院、大学専攻科生らを加え、のべ200名の学生にベルカント唱法の公開レッスンを行って来たロドルフォ・リッチ特別招聘教授が帰国することになり、レッスン受講生たちによる送別演奏会を開催。
  • 4月2、3、11、12日:在里寛司/瀬ヶ谷俊一/山本隆雄/松本ヒロ子(音楽専攻(伊語・独語発音))
  • 4月17日~7月6日:R.リッチ(声楽)
  • 6月25日、10月26日:畑中良輔(声楽)
  • 10月29、30日:L.フィッシャー=ネル(声楽)
  • 11月11日:A.アドリアン(フルート)

R.リッチ氏 最終レッスン

Arriveder La Concerto~ロドルフォ・リッチ先生へ感謝をこめて~(7月13日)

演奏週間

総合プログラム

【13日】平尾雅子による特別講義

【14日】本山秀毅による特別講義

【15日】山村弘による特別講義

【15日】西岡信雄・松尾昌美による特別講義

【16日】文楽人形浄瑠璃について その2

【17日】H.ヴィンシャーマンによる特別講義

1990年 ザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
年表に掲出以外の1990年(平成2年)のザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
1月11日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団ニュー・イヤー・コンサート

5月17日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第3回定期演奏会

5月28日 ゲルハルト・オピッツ ピアノ・リサイタル
6月12日 エディット・ピヒト=アクセンフェルト ピアノ・リサイタル

6月2日 宗倫匡/ヴォルフガング・マンツ ヴァイオリンとピアノの夕べ

7月19日 V.フルーバ=フライベルガー教授を迎えて オペラ アリア・コンサート

10月5日 オペラハウス・トリオ第3回室内楽演奏会

10月27日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第4回定期演奏会

関西音楽の歴史

1月12日 神戸市混声合唱団 デビューコンサート(神戸文化中ホール)
前年9月、神戸市制100周年及びフェスピック神戸大会開催を記念して神戸市が設立。日本初の地方自治体運営によるプロ合唱団となった

平成2年 3月1日 関西音楽新聞より

2月14日 企業メセナ協議会発足

3月4日 林達次オラトリオシリーズ(4)「東と西・幽玄のかけ橋」 開催(ザ・シンフォニーホール)
朝日放送40周年記念として、能《隅田川》、及び、これにインスピレーションを得て作曲されたブリテン《カーリュー・リヴァー》を関西二期会の歌手を主力として上演。この成功により、翌年6月にブリテン創設のオールドバラ音楽祭に招聘され同演目を披露

《カーリュー・リヴァー》平成2年4月1日 関西音楽新聞より

3月22日~4月3日 京都フランス音楽アカデミー初開催
パリ国立高等音楽院をはじめとするフランス第一級の教授陣を招聘し、関西日仏学館(現・アンスティチュ・フランセ関西)などでのマスタークラスを中心とした音楽交流事業として開催

平成2年5月1日 関西音楽新聞より

3月27日 大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)デビュー・コンサート(ザ・シンフォニーホール)
府営の大阪府音楽団を発展的に改組し、大阪府文化振興財団が前年12月に2管編成のプロ・オーケストラとして設立。常任指揮者としてウリ・セガルが就任した
3月30日 日本芸術文化振興会内に芸術文化振興基金設立

4月1日~9月30日 国際花と緑の博覧会開催

4月7日~5月11日 第32回大阪国際フェスティバル(フェスティバルホール)
モーリス・ベジャール振付による東京バレエ団の《ジョルジュ・ドンの「ボレロ」》公演で開幕。圧巻の舞台でバレエ愛好家の人気を集めたほか、シュツットガルト・バレエ団の斬新な公演も称賛を浴びた。初来日のガリーナ・ハイフェッツ(Vn)のリサイタルや、ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団の重厚なブラームス・プログラムも話題となった
(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

ジョルジュ・ドンの「ボレロ」

バンベルク交響楽団と共演するF.P.ツィンマーマン

4月8日 いずみホール開館

4月25日 バッハ・コレギウム・ジャパン デビューコンサート(いずみホール)
1980年代半ばより神戸松蔭女子学院大学チャペルで定期的に演奏を行ってきた古楽器アンサンブルと室内合唱団が、いずみホールのオープニング・コンサートシリーズへの招聘を機に拡充・改編され、鈴木雅明の指揮によりデビュー
4月26~29日 ザ・カレッジ・オペラハウス モーツァルト・オペラ・シリーズI《フィガロの結婚》(ザ・カレッジ・オペラハウス)
小泉和裕指揮、栗山昌良演出、オペラハウス管弦楽団、同合唱団
同オペラハウスオープン1周年記念公演。このシリーズは、春のオペラとして5ヵ年計画でモーツァルトの作品を取り上げるもので、ダブル・キャストによる日本語と原語の相互上演が話題を呼んだ。同オペラハウスは11月、ディスカバー・オペラ・シリーズにてモンテメッツィ《三人の王の恋》の本邦初演も行った

4月29日 大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団(現・大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団) 第1回現代音楽シリーズ開催(豊中市立アクア文化ホール)
バロック音楽の演奏を中核としてきた同合唱団(大阪コレギウム・ムジクム所属)が、当間修一の指揮で新たに現代音楽に挑み柴田南雄の作品などを演奏
5月11日 ヘネシー・オペラ・シリーズ(1)モーツァルト《イドメネオ》(アルカイックホール) 
小澤征爾指揮、実相寺昭雄演出、新日本フィルハーモニー交響楽団、二期会合唱団
仏大手洋酒メーカーをスポンサーとした冠オペラ公演。国内外の歌手を起用し、外来オペラ団体とは異なる上演を国内で定期的に開催する試みで、1997年まで継続した

平成2年6月1日 関西音楽新聞より

6月 文化庁が「地域文化振興特別推進事業」開始
1990年代以降、文化政策が活発化する

6月22日 シェーンベルク《グレの歌》関西初演(フェスティバルホール)
秋山和慶指揮、鈴木敬介演出による大阪フィルハーモニー交響楽団第249回定期演奏会にて、同団と東京交響楽団の合同オーケストラ、国内外のソリスト6名と3つの合唱団の総勢600名が初演に参加した
9月 コレギウム・ムジクム・テレマン 発足
1983年より古楽器の演奏に取り組んできたテレマン室内管弦楽団は、バロック・ヴァイオリンのサイモン・スタンデイジ主宰による「コレギウム・ムジクム'90」との提携を機に、オリジナル楽器使用時に「コレギウム・ムジクム・テレマン」の名称で活動することとなった。後に、「テレマン室内オーケストラ」に統一

10月3日 統一ドイツ誕生

10月12日 クリスタ・ルートヴィヒ 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
1963年のベルリン・ドイツ・オペラ公演で初来日。27年振りの来日にして当リサイタルが関西初となった
10月14日 レナード・バーンスタイン没

11月9日 ギュンター・ヴァント 関西初公演(ザ・シンフォニーホール)
1968年初来日。首席指揮者の地位にあったハンブルク北ドイツ放送交響楽団を率いての当公演が関西初となった。朝比奈隆やセルジュ・チェリビダッケらと共にブルックナー演奏の大家として名声を集めた
大阪第2のクラシック音楽専用ホール誕生
1982年(昭和57年)10月にザ・シンフォニーホールが開館して以来、1990年(平成2年)4月に大阪第2のクラシック音楽専用ホールとなる「いずみホール」が、大阪市中央区の大阪ビジネスパークの一角に誕生した。これに先立つ同年2月には企業メセナ協議会が設立されており、当時は企業によるメセナ活動が活性化していた。このような時流の中、同ホールは住友生命創立60周年記念事業の一環として建設され、世界に名立たる音楽の殿堂「ウィーン楽友協会大ホール」をモデルとした821席のシューボックス型ホールとしてオープン。フル・オーケストラ規模の大型舞台を備える1704席のザ・シンフォニーホールに対し、いずみホールは室内楽に特化した中規模の会場として注目を集めた。美しいバロック調の内装には主材料として国産(北海道)のナラを使用。ゴージャスなクリスタル・ガラスのシャンデリア8基も音響効果として緻密に計算されたもので、残響時間は1.8秒~2秒とクラシック音楽に相応しい音響空間を実現。舞台正面に設置されたフランス・ケーニッヒ社製のパイプオルガンや、1820年代のナネッテ・シュトライヒャー製フォルテピアノなど、同ホールならではの特色ある楽器を備えた。また、音楽ディレクターとして音楽学者の礒山雅を迎えたことも同ホールの特色の1つであった。
4月7日のオープニング・セレモニーのコンサートには鈴木雅明(Org)とプラハ室内管弦楽団が出演。また、翌8日のオープニング・ガラ・コンサートには、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団、ヤナーチェク弦楽四重奏団といった国内外の演奏家が参加し、一般開館を祝った。以後、同ホールは7月7日までの約3カ月間にわたりバロック音楽を中心とした〈音楽の原点への旅シリーズ 〉、現代音楽による〈音楽の未来への旅シリーズ 〉、同館所蔵楽器による〈フォルテピアノシリーズ 〉などの「オープニング記念コンサートシリーズ」(全49公演)を華やかに開催した。関西の文化は民間主導という慣習に違わず、民間ホールたるいずみホールは公立のホールにはない欧米的な社交施設としての性格を有しつつ、ホール・オペラの開催や後にレジデント・オーケストラとして創設(2000年)される現代音楽の演奏を主目的とする「いずみシンフォニエッタ大阪」の運営など、大阪における多彩かつ先進的な音楽拠点としての評価を高めてゆく。
関西主要プロ・オーケストラ、5団体共立の時代へ
大阪にはかつて、都道府県が有する日本唯一のプロ吹奏楽団が存在していた。府職員により構成された大阪府庁吹奏楽団を前身とし、1952年(昭和27年)11月に発足した大阪府音楽団がそれである。戦後の大阪府民の音楽文化の向上を主眼に活動を展開した同団だったが、創立40周年を待たずして楽員の高齢化や人件費の増加などにより府の行政改革の対象となる。府は同団を発展的に改組し、国際都市・大阪の文化を担う「芸術性の高い、我が国有数の楽団」たる公営の新オーケストラ創設を目指してオーディションを行い、1989年(平成元年)12月に財団法人大阪府文化振興財団運営による2管編成の大阪センチュリー交響楽団を発足させた(2011年に府から独立し、日本センチュリー交響楽団と改称)。同財団は1991年(平成3年)7月に豊中市の服部緑地公園内に専用練習場の「センチュリーオーケストラハウス」(服部緑地野外音楽堂に隣接)を建設。新興オーケストラとしては極めて恵まれた設備環境などにより、中規模編成を生かした緻密なアンサンブルを獲得してゆくことになる。この大阪センチュリー交響楽団の誕生により、関西では大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪シンフォニカー(現・大阪交響楽団)を合わせた5つの主要プロ・オーケストラ(室内オーケストラを除いた日本オーケストラ連盟の正会員)が共立し現在に至っている(関西では他にプロ・オーケストラとして、日本オーケストラ連盟準会員である1985年設立の奈良フィルハーモニー管弦楽団や1988年設立のザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が存在し、また現在正会員である兵庫芸術文化センター管弦楽団は2005年に設立されている)。
上記関西オーケストラ5団体の内で歴史的に最も古参となるのは、1947年(昭和22年)1月に朝比奈隆を中心に関西交響楽団として設立され、1960年(昭和35年)に改組し今に至る大阪フィルハーモニー交響楽団である(年表1947年の「関西交響楽団創立」記事に前出)。創立から半世紀を超える2001年(平成13年)まで、朝比奈が常任指揮者・音楽総監督を務めた。「大フィル」という愛称で幅広い市民層から親しまれ、大阪を代表する個性的なオーケストラとして発展。現代音楽における貢献も少なからず、1962年(昭和37年)から1977年(昭和52年)にかけて開催された「大阪の秋」国際現代音楽祭では、内外の現代作曲家の作品を多数とりあげ、関西楽壇に大きな足跡を残している。また、「大阪」を冠する老舗オーケストラとして文化使節の面でも大いに貢献し、欧米などの海外演奏旅行で称賛を浴びた。1991年(平成3年)には、大阪市と南海電鉄のバックアップによりオーケストラ練習場としては日本最大と謳われた「大阪フィルハーモニー会館」を西成区に建設。大阪センチュリー交響楽団と同年に優れた練習場を得て、楽団の実力に更なる磨きをかけることとなった。
この大阪フィルハーモニー交響楽団に続き、京都市交響楽団が1956年(昭和31年)4月に国内初の自治体運営オーケストラとして誕生(京都市直営であったが、2009年に京都市管轄の京都市音楽芸術文化振興財団に運営移管)。ドイツ人のカール・チュリウスが初代常任指揮者として就任した。「市民文化の形成と青少年の情操の向上、住民の福利の増進に資する」という理念に基づいて創立された同団は、古都京都の新しい文化創造の担い手として活動を展開、「京響」の愛称で親しまれてゆく。1973年(昭和48年)から1998年(平成10年)にかけて行われた邦人現代作曲家を主とした新作委嘱は、自治体オーケストラとしての特性を生かしたものであった。1976年(昭和51年)には初の海外公演となる香港演奏旅行を行い、1987年(昭和62年)には国交のない北朝鮮への演奏旅行を実現。日本のオーケストラとして初訪朝し文化交流の成果を収めるなど、同団ならではの演奏活動が社会的に注目された。また同団は、大阪センチュリー交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団に先立ち、廃校となった北区の小学校を改築した現練習場を1989年(平成元年)に得ている。さらに1995年(平成7年)、京都市が建設した京都コンサートホールへ本拠を移し、一層の飛躍を遂げてゆく。
関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年(昭和45年)に神戸女学院大学音楽部の卒業生を中心に結成されたヴィエール室内合奏団をその前身とする。1975年(昭和50年)にヴィエール・フィルハーモニックと改称以来、海外演奏旅行を含む12年にわたるオーケストラ活動を基盤として、1982年(昭和57年)1月に現名称で新発足した。1993年(平成5年)3月、大阪市港区に本拠地を定め、弁天町のオーク200ハープ館(現・西館)内の「オークホール」を練習場として現在に至る。多くの公的支援は望みがたい民間のオーケストラながら、地域社会に密着した演奏活動を展開し、「関フィル」と親しみを込めた愛称で呼ばれている。練習場で開催する「コミュニティー・コンサート」における聴衆との親密な交流や、関西出身の若手アーティストとの共演を積極的に行うなど、独自のカラーを打ち出している点が同団の特徴である。
1980年(昭和55年)9月創立の大阪交響楽団は、アマチュア合唱団(大阪コーラルソサエティ)所属の一主婦であった敷島博子(現・永久名誉楽団代表)を主宰者として「大阪シンフォニカー」の名称で出立している。合唱団専属のオーケストラをという敷島の想いに端を発して誕生したオーケストラだが、一般的にはオーケストラ創設には多額の出資は無論のこと、日本においては自治体や放送メディアなどの組織、あるいは近衛秀麿や朝比奈隆、小澤征爾といった専門職としての指揮者がそれに関わってきたわけであるが、敷島博子のような事例は実に特殊なケースであったと言えよう。関西フィルハーモニー管弦楽団と同様、公的支援の僅かな民間オーケストラながら、敷島の『聴くものも、演奏するものも満足できる音楽を!』をモットーとして幅広く活動。1988年(昭和63年)には運営・支援組織として大阪シンフォニカー協会が設立されている。2000年(平成12年)に本拠地を政令指定都市である大阪府堺市へ移転し、その翌年には楽団名を「大阪シンフォニカー交響楽団」と改称。さらに創立30周年を迎えた2010年(平成22年)に楽団名を「大阪交響楽団」とした。
上記の関西5つのプロ・オーケストラのうち、大阪府を拠点に活動する在阪オーケストラは京都市交響楽団を除く4団体であるが、2006年(平成18年)にはこの4団体の累積赤字などの理由により経済界から合併提案がなされている(翌年の各団理事長の共存合意により回避された)。また、橋下徹大阪市長が大阪府知事時代より進めた文化行政の方針転換により、2011年(平成23年)に大阪センチュリー交響楽団は民営化、他の在阪オーケストラも補助金カットがなされた。経営的な困難に直面しつつも、各団は営業面での強化を目指し、2012年(平成24年)9月に開催された大植英次プロデュースによる「大阪クラシック」では初めて在阪4つのオーケストラが揃って参加、また2015年(平成27年)4月には4楽団が1つの舞台で交互に競演するという画期的なコンサート「大阪4大オーケストラの饗演」(フェスティバルホール)が開かれるなど、〈共生〉に向けた模索が続いている。

1991年(平成3年)

大阪音楽大学の歴史

1月8日 選抜学生によるニュー・イヤー・ストリング・コンサート
大学・短期大学の弦専攻学生から選ばれた57名による初演奏会。宗倫匡教員企画、指揮者に原田幸一郎を迎え、毎年新春に開催されるようになる

チラシ

2月26、27日 就職直前合宿研修会(六甲山YMCA研修センター=現・六甲山YMCA)
卒業後の就職に向け、入社直前の学生を中心に、初の合宿研修会を開催。講話、座談会、情報交換などを行った。4年目より大学3年生、短大1年生を主対象に継続していく

バブル崩壊とともに厳しくなった就職戦線を支援すべく、詳細なガイドブックなども発行

3月21日 クラウディオ・アバド指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団 特別公開練習
C.アバド率いるヨーロッパ室内管弦楽団が同月19日より3日間、日本公演のためのリハーサルをオペラハウスで行い、最終日の1時間を本学関係者に公開した。2階の限定200席は学生・教員で埋まり、巨匠の練習に聴き入った

C.アバド

若い演奏家の育成に熱心なアバドの計らいにより練習が公開された

4月1日 大阪音楽大学奨学事業財団に奨励金制度(海外研修、コンクール参加等への助成)導入

4月4日 第1回若いひかりコンサート
付属音楽学園の実技発表会として開催。実技診断テストで優秀な成績を修めた生徒と、前年度新設された弦合奏クラスの生徒が出演し、その成果を発表した。付属音楽院に改組される前年の2002年度まで継続

第1部:ピアノ独奏(小学生5名、高校生1名が出演)

第2部:弦楽合奏(指揮:原田幸一郎、小学生から高校生の14名が教員8名と共演)

4月13日 春楽祭

4月26~29日 モーツァルト・オペラ・シリーズII《コジ・ファン・トゥッテ》
シリーズ2作目は松尾葉子を指揮者に迎え、《コジ・ファン・トゥッテ》を上演。翌月の《フィガロの結婚》再演とともに、モーツァルト没後200年のモーツァルト・イヤーを記念する公演となった

チラシ

5枚の大すだれが場面転換に用いられた

5月8日 国際楽器博物館委員会委員来学
国際楽器博物館委員会(CIMCIM)の国際会議が初めて日本で開催されたのを機に、同委員会委員ら18名が本学を訪問、楽器博物館を見学した

本学ガムラン合奏団「スワル・アグン」と大阪楽所がガムラン、雅楽演奏を行った​
6月1日 ザ・カレッジ・オペラハウス初代館長に日下部吉彦就任
6月1日 オペラハウス事務室新設

日下部吉彦館長

より開かれたオペラハウスをめざし、対外活動の強化を図るため、館長制度を敷いた。初代館長には前年秋より本学理事を務めていた日下部吉彦(現・客員教授)が就任。同時に、教学面を運営する演奏部と切り離し、オペラハウス運営のための事務室を開設した
6月2日 インテグレーティッド・ギターズ&リコーダーズ、インテグレーティッド・ウィンズ発足演奏会
次年度からの短大音楽専攻の改革によるリコーダー・ギター・アンサンブル・コースとウィンド・アンサンブル・コースの開設に先立ち、両コースをサポートする為の2つのプロ合奏団を創設。次年度の新入生はこの合奏団に加わる形でアンサンブル教育を受ける

インテグレーティッド・ギターズ&リコーダーズ

同ウィンズ

6月29日 カレッジ・オブ・ミュージック・コンサート最終放送
1971年6月から20年間提供してきたラジオ番組を終了した。当時のFM大阪としては、最長寿番組であった。最終回は「音楽の小箱」と題し、終楽章特集を放送したが、最後はフィッシャー=ディースカウの歌うシューベルト《楽に寄す》で幕を閉じた(1971年「本学提供のラジオ番組開始」コラム参照)

最終収録の梅本俊和教員と4代目アシスタントの中島有美
(6月26日 FM大阪スタジオにて)
7月26日 ライブ・アット・オペラハウス~ジャズの夕べ~

赤松二郎教員

次年度からの短大音楽専攻へのジャズ・ポピュラー部門の導入に先駆け、赤松二郎教員が制作。自ら率いるジャズ研究グループD・J・O(ダイオン・ジャズ・オーケストラ)らと共に出演。ザ・カレッジ・オペラハウス初のジャズ・コンサートであった
8月4日 第1回付属音楽学園指導員認定試験実施
2年前に発足させた音楽学園認定指導員の初の資格認定試験を行った

9月12、13日 第3回選抜学生オペラ モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》

9月 N号館完成
本学東側第3駐車場に完成し、入試広報デスク、幸楽会事務室、ヤマハ売店、アドミッション・オフィス等が移転

10月9日 重松みか(大卒、現・客員教授)第60回日本音楽コンクール声楽部門(オペラ・アリア)第1位受賞
本学卒業生の同コンクール入賞は、1972年声楽第3位の林誠教員以来19年ぶり。翌年3月にザ・カレッジ・オペラハウスが受賞記念コンサートを開催

10月18、19日 ディスカバー・オペラ・シリーズIII ピッチンニ《ラ・チェッキーナ(よい娘)》
シリーズ3作目はアンサンブル・フィナーレを持つオペラの最初の例といわれる、ニコロ・ピッチンニのオペラ・ブッファ《ラ・チェッキーナ》。高橋浩子教員の日本語訳による本邦初演であった。舞台上に3千本のバラを飾る菅沼潤教員の華やかな演出も話題になった。法月紀江が本作の衣裳デザインで伊藤喜朔賞新人賞を受賞

チラシ

10月19、20日 日本音楽学会第42回全国大会
313名の会員がK号館に集まり開催された。本学教員らも講演、研究発表などを行った。大会後、一行は本学招待により《ラ・チェッキーナ》を鑑賞

10月29日~12月2日 平成3年度演奏週間

11月1~3日 大学祭「BREAK THROUGH」

11月17~21日 新制度による推薦入学試験(大学・短期大学)

11月27日 O号館地鎮祭
教育の改革、充実に伴い学舎が手狭となり、野田グラウンド北側に新学舎建設を決定、地鎮祭を行った。翌1992年8月完成、9月からの使用をめざし着工する

玉串を奉納する永井学長

着工時の様子

12月21日 第25回合唱演奏会
館長制度の発足
1989年(平成元年)の開館から2年、ザ・カレッジ・オペラハウスは春秋のオペラ・シリーズ公演の他、各種コンサートを実施し、1991年(平成3年)4月までの公演回数200回、のべ入場者数76,000人の実績を上げていた。これを踏まえ、さらなる活動の充実を図るべく、オペラハウスと教学面の運営部門を切り離し、それぞれの活性化を期することとなった。以後、オペラハウスの運営は理事会直轄となる。これに伴い、新たに企画・制作権限を持つ館長職を置き、同年6月1日付けでその初代館長に日下部吉彦が就任する。
日下部は朝日新聞記者、朝日放送音楽プロデューサー・解説委員長などを歴任、ラジオ、テレビのニュース・キャスターとしても長年活躍した音楽評論家であった。一方、関西合唱連盟会長や全日本合唱連盟理事の肩書も持ち、前年10月からは本学理事も務めていた。オペラハウスを本学の芸術活動の発信地としてより積極的に有効活用し、学外企画・公演の誘致など、対外的な活動も深めていこうとの狙いから、その担い手となる人材を学外から起用した。
就任に先立ち、5月27日に田中喜一理事長ら大学幹部同席のもと記者会見を行い、日下部が自身の抱負を語った。その中で特に大きな3つの構想として、オペラハウスをかつての大阪のように日本の創作オペラの拠点にすること、人材不足という日本のオペラ界の問題解消の為にオペラ・スタッフの確保、育成を図ること、オペラハウスに専属の合唱団を創ることを挙げた。
館長制度を敷き独自の運営を始めるにあたり、オペラハウス事務室を新設。以後、公演の主催者名も館長管轄のものは「大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス」、演奏部管轄のものは「大阪音楽大学」、と両者を区別して表示するようになった。それまでの「大阪音楽大学オペラハウス管弦楽団」が現在の「ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団」の名称になったのもこの時からである。
初代館長のもと、ザ・カレッジ・オペラハウスの新たな一歩が始まった。

記者会見(1991年5月27日 右から日下部館長、西岡副理事長、田中理事長、高橋常任理事)

就任当初(1991年6月2日)

テーマ研究講義で教壇にも立つ(1992年4月22日)

《夕鶴》 楽屋 指揮者團伊玖磨氏と(1993年11月24日)

《魔笛》 ゲネ・プロ 演出家栗山昌良氏と(1994年4月25日)

庄内公民館のオペラハウス見学のガイドをする日下部館長(1994年6月22日)

平成3年度 特別講義・演奏週間
特別講義

デニス・ウィック(5月10日トロンボーン)

林光(5月15日作曲)

ジャン=ポー・セヴィラ(6月11~15日ピアノ)

橋本英二(6月28日楽理)

アモーリ・ヴァレーズ(7月2日ファゴット)

デーヴィッド・ローブ(7月5日箏)

浅野義弘(7月16~18日音楽専攻(コード進行法))

前田昭雄(9月18日楽理)

ホルスト・ゲーベル(10月3、4、7、8、9日ピアノ)

マルタ・ランティエリ(10月11、14日声楽)

秦邦明(10月29日声楽)

ホルスト・ギュンター(10月31日、11月1日声楽)

ジャン=イヴ・フルモー(11月6日サクソフォーン)

ツィグモント・サットマリー(11月28日作曲)

ウタ・クッター(12月13日声楽)

当年度は、この他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。演奏週間中のものを含め、全26件。
  • 10月8日:木村絹子(声楽)
  • 10月25、26日:クリスチャン・ラルデ(フルート/室内楽)
  • 11月15日:ワルター・モーア(声楽)
  • ’94年1月14日:神澤哲郎 ピアノ(退任記念特別講演)

神澤哲郎教員(右)
門下生の清水淳彦教員(左)

神澤哲郎退任記念特別講演

本学で42年間教鞭をとった神澤教員が「J.S.バッハについて=インベンションと平均律」をテーマに長年の研究を解説。名誉教授の称号を授与。
演奏週間
演奏会9、発表・討論会4、特別講義4の全17件の催しを開催。出演者、鑑賞・受講者(学外含む)のべ約7,000名が参加した。会場は吹奏楽演奏会のアルカイックホールを除いて、他は全てオペラハウスを中心に旧ホール、K号館など学内であった。

総合プログラム

学内外17件の催し一覧(10月29日~12月2日)

大阪音楽大学管弦楽団演奏会
(10月29日)

第5回新作展(11月11日)

景山誠治ヴァイオリン・リサイタル(11月28日)

第14回邦楽演奏会(11月19日)

第34回定期演奏会(11月21、22日)

井野辺潔による特別講義(11月21日)

ダニエル・ドワイヨ モーニング・トランペット・リサイタル(11月22日)

シンフォニック・クラス発表会(11月22日)

第24回吹奏楽演奏会(12月2日)

(左)大阪音楽大学管弦楽団演奏会、(中)第34回定期演奏会、
(右)第24回吹奏楽演奏会

※定期演奏会のソリストとして出演予定の前橋汀子教員は都合により休演、漆原朝子氏が代演した
1991年 ザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
年表に掲出したモーツァルト・オペラ・シリーズII《コジ・ファン・トゥッテ》、ディスカバー・オペラ・シリーズIII《ラ・チェッキーナ》以外の公演は以下の通り。この年のザ・カレッジ・オペラハウス主催公演は全13件であった。
5月10、12日 モーツァルト・オペラ・シリーズI《フィガロの結婚》再演
前年同様、小泉和裕指揮・栗山昌良演出で、3役に新たな歌手が出演した。シングル・キャストで日本語のみの上演。再演による演目のレパートリー化を図った。

5月31日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第5回定期演奏会

6月2日 インテグレーティッド・ギターズ&リコーダーズ発足演奏会
    インテグレーティッド・ウインズ発足演奏会

6月10日 ジャン=ポール・セヴィラ ピアノ・リサイタル

10月4日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第6回定期演奏会

10月25日 ディスカバー・オペラ・シリーズI ヘンデル《セルセ》再演
指揮者に岡田司氏を迎え、7役のうち4役を新たなキャストで上演した。

10月31日 モーツァルト 弦の調べ(室内楽シリーズ その1)

11月14日 小山実稚恵 ピアノ・リサイタル

11月25日 オルランド弦楽四重奏団演奏会(室内楽シリーズ その2)

11月29日 第2回オペラハウス協奏曲の夕べ

関西音楽の歴史

1月17日 湾岸戦争勃発

パンフレット表紙

1月27日~2月3日 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト展(いずみホール)
いずみホール主催によるモーツァルト没後200年記念企画。ザルツブルク国際モーツァルテウム財団の協力により、モーツァルトの少年時代の肖像画をはじめ、書簡や《レクイエム》の直筆譜などの貴重な資料を展示
2月19日 財団法人ローム・ミュージック・ファンデーション設立
京都に本社を置く電子部品メーカーのロームが、助成などにより日本音楽文化の普及と発展に寄与することを目的に設立。2010年9月1日に公益財団法人に移行した

4月5~24日 第33回大阪国際フェスティバル(フェスティバルホール)
有田正広指揮の東京バッハ・モーツァルト・オーケストラ公演で開幕。イギリスのチリンギリアン弦楽四重奏団が初来演したほか、團伊玖磨のオペラ《ちゃんちき》が、作曲家自身の指揮、小田健也の演出、勝部太、中沢桂ら豪華歌手陣により関西初演された。本学のザ・カレッジ・オペラハウス合唱団も出演。重要な合唱パートを担い初演の重責を果たした
(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

チリンギリアン弦楽四重奏団

オペラ《ちゃんちき》

チラシ

4月22、23日 レ・ザール・フロリサン 関西初公演(いずみホール)
声楽と器楽によるフランスの古楽グループ。創設者ウィリアム・クリスティの指揮で、団名としたシャルパンティエの牧歌劇《花咲ける芸術(レ・ザール・フロリサン)》の抜粋などを演奏

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5月17日~6月3日、11月6~24日 アムステルダム・バロック・オーケストラ モーツァルト交響曲全曲チクルス開催(ザ・シンフォニーホール)
トン・コープマン指揮による全11公演。他ジャンルからの転用作品や新発見の作を含む全50曲を演奏。オリジナル楽器による国内初のチクルスとして注目を集めた

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7月12~15日 第1回姫路パルナソス音楽祭開催(パルナソスホール)
室内楽文化の振興などを目的として1989年開館のパルナソスホールで開催

9月 青山音楽賞創設
10月23日 モーツァルト《皇帝ティートの慈悲》本邦初演(いずみホール)
同ホールの自主企画「甦る最期のきらめき〈モーツァルト1791/1991〉」の一環として上演。クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント・ミュージック管弦楽団などによる演奏会形式であったが、オリジナル楽器を用いた当公演は楽界に新風を吹き込んだ

チラシ

いずみホール提供『いずみホール10周年記念誌』より

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10月27日 ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団公演(ザ・シンフォニーホール)
楽壇から引退していたクーベリックが1990年、民主化した祖国チェコに42年ぶりに帰国してスメタナの《わが祖国》を指揮した。この歴史的演奏をザ・シンフォニーホール開館10周年企画の一環として再現。聴衆を熱狂させた当公演は1991年度ザ・シンフォニーホール国際音楽賞大賞を受賞

チラシ

11月18日 サントリー音楽財団コンサート 音楽の20世紀-古典と現在初開催(いずみホール)
関西の演奏家により世界各地の現代音楽を体系的に上演する企画で、1995年まで継続
11月22~24日 関西二期会第36回オペラ公演 三木稔《春琴抄》 関西初演(アルカイックホール)
佐藤功太郎指揮、西澤敬一演出、京都市交響楽団、関西二期会合唱団
1975年に初演された当オペラの台詞部分を改訂(船場言葉への変更)しての上演。同会初の本格的創作オペラ公演となった。当公演により尼崎市市民芸術賞特別賞を受賞

チラシ

関西二期会提供『関西二期会創立30年記念誌』より

11月23、24日 レニングラード国立歌劇場(現・ミハイロフスキー劇場) 関西初公演(フェスティバルホール)
社会主義革命後のソヴィエト連邦で最初に誕生した歌劇場の初の引越し公演。ムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》、チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》を上演した。この90年代初頭より、訪日する外来オペラ団体の多様化が進むことになる

パンフレット表紙

プログラム表紙

12月21日 ソヴィエト連邦解体
関西楽壇におけるモーツァルト没後200年
才人モーツァルトの世俗的な側面をクローズアップし、従来の作曲家像を大いに刷新した映画「アマデウス」(1984年制作アメリカ映画)が、1985年(昭和60年)2月に日本で初公開された。この映画がクラシック・ファンを超えて大ヒットした翌年の1986年(昭和61年)末より、日本国内はバブル景気に沸いてゆく。各地で音楽専用ホール建設ラッシュが起こり、コンパクト・ディスク(1982年初発売)の加速的な普及などに伴って、1980年代半ば以降クラシック音楽は商業的なブームを迎えることになる。また世界的な視点で言えば、優れた時代考証・研究に基づいた海外のオリジナル楽器演奏団体による古楽ブームが興っており、バロック音楽のみならず古典派音楽などへの斬新なアプローチが注目を集めていた。このような時勢の中、1991年(平成3年)の“モーツァルト没後200年”というメモリアル・イヤーを迎え、ザルツブルクやウィーンといったモーツァルトに縁の深い都市は無論のこと、日本国内でも様々な音楽企画が盛大に催されたのであった。
首都圏では、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルなどが来演した「ザルツブルク・モーツァルト音楽祭1991」(3月:サントリーホール)、東急文化村がニューヨークのリンカーン・センターと提携した「モーストリーモーツァルトフェスティバル1991」(8~9月:オーチャードホール)、そして、音楽学者の海老澤敏主宰による「1991国際モーツァルト・シンポジウム」(11月:国立音楽大学)といった大々的な音楽フェスティバルや音楽学会などが開催された。
関西では大きなフェスティバル規模の企画こそなかったものの、大阪ではモーツァルト関連のコンサート数は300を超えたとも言われている。このような中で没後200年記念の主要企画としては、モーツァルトゆかりの貴重な資料を展示した「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト展」(1~2月:いずみホール)や、モーツァルトが没年(1791年)に作曲した作品による全9公演の「甦る最期のきらめき〈モーツァルト1791/1991〉」(1~12月:いずみホール)といった同ホールの自主企画のほか、大阪フィルハーモニー交響楽団による交響曲を中心とした全5回の「アマデウス・モーツァルトシリーズ」(7~12月:いずみホール)などがあった。また、大阪オペラ協会の創立5周年記念の《魔笛》公演(7月:森ノ宮ピロティホール)では、落語家の桂三枝(現・桂文枝)がオペラ演出に初挑戦。モーツァルト室内管弦楽団による「モーツァルト・マラソンコンサート第1回」 (3月:いずみホール)では、国内初の試みとしてモーツァルト自身が催した1783年3月23日の予約演奏会を再現し、実に3時間を越えるコンサートが行われるなど、関西楽壇ならではのユニークで注目度の高い企画も実施された。
外来では、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズの来演(1月:いずみホール)を筆頭に、ザルツブルク州立歌劇場による《コジ・ファン・トゥッテ》、《劇場支配人》の上演(5月:フェスティバルホール)、ギドン・クレーメルの弾き振りによるドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団とのヴァイオリン協奏曲全曲演奏会(6月:ザ・シンフォニーホール )、ウィーン室内歌劇場による《フィガロの結婚》、《ドン・ジョヴァンニ》の上演(10月:アルカイックホール、姫路市文化センター)など、モーツァルト・イヤーに相応しい公演が繰り広げられた。さらには古楽ブームを反映した公演として、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック・オーケストラによる交響曲全曲演奏会(5~6月、11月:ザ・シンフォニーホール)、ジョス・ファン・インマゼールの弾き振りによるアニマ・エテルナ・オーケストラとのピアノ協奏曲全曲連続演奏会(10月:京都府民ホール アルティ)といった世界的な古楽奏者たちによる画期的なチクルスが開催され、関西楽壇に鮮烈な足跡を残した。
なお、本学のザ・カレッジ・オペラハウスは前年に開始した“モーツァルト・オペラ・シリーズ”の一環として、新制作の《コジ・ファン・トゥッテ》(4月:松尾葉子指揮・栗山昌良演出)、《フィガロの結婚》の再演(5月:小泉和裕指揮・栗山昌良演出)を行った。本学出身の歌手を起用した親和性の高い舞台、当オペラハウスのキャパシティに相応しい演奏規模の清新なモーツァルト公演を実現し、記念すべきモーツァルト・イヤーに華を添えた。

1992年(平成4年)

大阪音楽大学の歴史

1月27日 学長選挙 永井譲を再選

1月27日 短期大学部音楽科第二部廃止認可
昭和62年度より募集を停止、前年の平成3年10月に申請の短期大学部音楽科第二部の廃止が認可された

2月1~4日 新制度による一般入学試験(大学・短大)

4月1日 神澤哲郎に名誉教授の称号
4月1日 ハンク・ジョーンズ、客員教授に就任

4月1日 新カリキュラム実施
[大学]1・2年次、3・4年次の2段階に区分、I・II・III類の履修類型設定
[短大]選択科目の拡大、音楽専攻のコース改組

4月11日 春楽祭

4月26~29日 モーツァルト・オペラ・シリーズIII《ドン・ジョヴァンニ》
指揮者に星出豊を招聘。演出の栗山昌良は、どこか律儀な感のある“日本のモーツァルト”を打破したいとし、オーケストラ・ピットに橋をかけ、客席通路を花道に、客席後方からも出演者が登場するなどダイナミックな表現でドラマを展開した

チラシ

5月11~23日 日伊音楽文化交流「音楽の虹フェスティバル」大阪大会に参加
3年前に始まった日伊両国の音楽文化交流の催しが3回目にして姉妹都市である大阪とミラノ市(同10月)で開催され、両市の音楽教育機関を代表して本学と国立ヴェルディ音楽院が協力した。同音楽院からM.アッバード学長以下44名の一行が来学、合同オペラ公演としてオペラハウスでロッシーニ《ブルスキーノ氏》を上演の他、公開討論会、公開講座、演奏会などを行った

大阪(左)・ミラノ大会プログラム

《ブルスキーノ氏》終演後の舞台

5月29日 父兄会を後援会に改称

5月30、31日 第1回フレッシュマン・キャンプ開催(関西地区大学セミナーハウス)
豊南寮の新入生を対象にその親交を図るため、1泊2日で初の研修を開催。1年生72名に上級生8名を交えた80名が参加、永井学長以下24名の教職員と講演会、討議などを通して大学生活や寮生活について語り合い、研修報告を発表した。以後、下宿生も含めて2013年度まで毎年4月に開催する

10班でのグループ討議

学生・教職員総勢104名が参加

6月9日 ハンク・ジョーンズ ジャズ・ピアノの夕べ
ジャズ・ポピュラー部門を導入した短大音楽専攻の客員教授に就任したジャズ・ピアニスト、H.ジョーンズが満席のオペラハウスで、アメリカ・ジャズ界の至宝といわれるその演奏を披露した。初講義が同年12月に行われ、以後、毎年春秋に開講されるようになる

赤松二郎教員との対談(「ともかく懸命に聴くこと。毎日が学習」と基本練習の重要さを強調)

8月3日 楽器博物館主催 第1回雅楽研修会

8月31日 野田校地にO号館竣工
7つの教室、39のレッスン兼練習室などを設けた鉄筋コンクリート3階建てのO号館が完成。9月1日に竣工式を行い、管弦打専攻の授業・レッスンを中心に翌2日より使用を開始した。翌年1月18日にはO号館西側に22の部屋を持つO2号館も完成

完成したO号館

楽器庫などとして使用のO2号館

9月16、17日 第4回選抜学生オペラ《フィガロの結婚》
特別講義講師として招聘中の元ウィーン国立歌劇場の演出家、マルタ・ランティエリが演出を担当

10月15~28日 日伊音楽文化交流「音楽の虹フェスティバル」ミラノ大会に参加
シンポジウムに永井学長、田島亘教員らが参加。5月公演のキャスト3名も出演し、ベルガモ市のドニゼッティ劇場で《ブルスキーノ氏》を再演

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10月17、18日 ディスカバー・オペラ・シリーズIV ヘンツェ《若い恋人たちへのエレジー》
この実験的シリーズの総括として、20世紀オペラの傑作とされながら、無調の難曲ゆえに、ヨーロッパでも上演機会の少ない《若い恋人たちへのエレジー》を取り上げた。関西初、及び日本人による初演となった本公演は高い評価を受け、この年の大阪文化祭賞本賞を受賞。本作の原語上演のために字幕装置を導入した。この公演から開幕前の解説、プレ・トークが始まる

字幕装置

10月20日~11月22日 平成4年度演奏週間
初の短期大学部演奏会を開催、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が共演した。第4回から定期演奏会となる

チラシ

指揮:加藤完二教員(ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団)

10月31日~11月2日 大学祭「Unbelievable ’92」
雲仙普賢岳災害義捐金募集のため、特別企画として教員・学生によるチャリティー・コンサートを開催

11月7日 再現演奏会と資料展示「関西洋楽事始」(大阪市中央公会堂)
音楽研究所の音楽文化史研究室が、昭和41年の創設以来蓄積してきた資料と研究成果を基に、「関西洋楽事始」と題した研究公演を企画・制作。関西の洋楽受容初期である明治期の演奏会を、曲目構成・楽器編成・奏法から衣裳・髪形に至るまで忠実に再現し、併せて当時の楽器や楽譜などの展示も行った。大きな反響を呼んだこの公演は、地道な研究が評価され、オペラとともにこの年の大阪文化祭賞本賞を受賞する

12月19日 第26回合唱演奏会
新入試制度
本学は21世紀に向けて、音楽界はもちろん一般社会の核となって活躍する人材を育てる為、多様な受験方法、数多い受験チャンスによって、より幅広い層からの意欲と才能の発掘をめざすとして、平成4年度(1992年度)入学試験より新しい制度を実施した。
この背景には、昭和60年代以降の音楽メディアと市場の発展により若者の志向が多様化したこと、加えて1992年の205万人をピークとする18歳人口の減少問題がある。本学は過去の修正以上のより抜本的な改革を断行すべく、1989年(平成元年)3月、学長諮問機関の「アドミッション委員会」を設置。多様な志向・資質の若者をより多く受け入れる入学制度を考えるという総意の下、議論を重ね、同年9月に学長に答申を行った。その答申を反映する形で設計されたのが、この新入試制度である。
大きな変更点は、推薦入試の大幅拡大である。短期大学部にも推薦入試を導入、従来高校の音楽科及び本学付属音楽学園出身者のみであった受験資格も大学ともに全ての高校生に与え、短大は社会人にも門戸を広げた。大学を第一志望とする者は短大推薦も併願でき、その際、同一科目の受験は1回のみ、実技は共通課題とする。さらに大学、短大の一般入試に再挑戦の道も残した。
1990年(平成2年)に導入した到達度認定制度による音楽基礎科目(ソルフェージュ・楽典・副科ピアノ)の試験免除を推薦・一般入試ともに適用。推薦入試においては、実技または高校時代の成績が特に優秀な志願者に対し、実技と面接等だけで認定制度を必要としない第2方式という方法も用意し、受験生が自分の得意な能力を生かせる科目選択を可能とした。
短大音楽専攻の実技は声楽、ピアノ、ギター、リコーダー、各種管弦打楽器(新設)、電子オルガン(新設)の中から一つ選択すれば良いことにした。
また、付属音楽学園の高校課程3年生については、当年度より特別推薦入試を実施する。学園の平常授業・実技診断テスト・音楽基礎科目到達度テストにおいて所定の成績を収め、特別推薦入試審査会でこの制度の適用を受けた学園生は、大学・短大の推薦入試を受験する際に実技試験を免除するというものである。
新制度における入学試験は1991年(平成3年)11月17~21日の推薦入試から始まった。志願者数は大学が581名(前年度126名)と大幅に増加。推薦入試初回となる短大は1,671名で、こちらも前年度の一般入試の志願者数1,258名と比べて大きな伸びを見せた。合格者数は大学185名、短大620名(音楽専攻247名)で、このうち音楽学園からの特別推薦合格は35名(短大17名)。一般入試も含む実質競争倍率(受験者数÷合格者数)は、大学が2.3倍から3.3倍に、短大が1.7倍から3.1倍(音楽専攻は2倍から3.5倍)といずれも大きく上昇した。
こうした入試の多様化は所期の通り多彩な人材を集め、社会人の受験が可能となった短大推薦では音楽専攻ヴォーカル・コースに母娘が、声楽専攻に還暦の外科医が入学するなど、学内に新たな風を吹き込むことになった。

新入試制度広報リーフレット(1990年発行)

新入試制度説明会
高校教諭・音楽指導者対象(1991年5月21日)

新入試制度説明会
高校3年生・保護者対象
(7月26日)

平成4年度一般入試合格発表
(1992年2月9日)

カリキュラム変革──日本初クラシックからジャズ・ポピュラーまで
今回のカリキュラム改革は1989年(平成元年)11月13日、永井学長ら8名の構成員によって開催された第1回教育改革推進会議から始まった。これは先に進められていた入試改革と連動したもので、多様な方式で入学して来る学生に対応し、さらにそれらの学生の多様化する進路に適した教育内容を構築していく必要があった。音楽大学本来の技能の進展を図る芸術教育とともに、社会状況に即した現実路線の教育の併存をめざし、検討が重ねられた。
奇しくも同じ頃、文部省の大学審議会より「大学設置基準の弾力化」が審議概要報告として公表される。これは個々の大学がその教育理念、目的に基づく特色ある教育研究を展開できるように、国が従来定めていた教育課程の詳細な基準を大幅に改め、その要件を緩和する代わりに教育研究の質の保証を大学自身に求めるという方向性を示唆するものであった。このことも視野に入れつつ、各専攻のメンバーを加えた26回の会議を経て新カリキュラムの概要が決定、1991年(平成3年)2月の教授会で了承された。同年7月、文部省令「大学設置基準」も改正される。
新カリキュラムは幅広いニーズに応えるべく、かつてない大改革を施した内容となった。最大の特徴としてまず挙げられるのは、短大音楽専攻に日本の音楽大学として初めてジャズ・ポピュラー部門を導入、吹奏楽専門の「ウィンド・アンサンブル・コース」やミュージカル・クラスも設置して、新たな分野にアカデミックな教育の扉を開いたことである。これまでのクラシック演奏家の養成という音楽大学のイメージを破るものとして全国的に大きな反響を呼び、初年度から予想以上の受験生が集まった。一方大学は4年間を基礎作りのジュニア、進路を見据えたシニアの2段階に分け、シニア段階において学生の自主選択を尊重する3つのコースを設定した。また大学・短大ともに学外での学修体験も評価対象に加え、フィールド・ワーク的活動、演奏会出演、オペラのスタッフ、伴奏など創作活動・演奏論・伴奏論・舞台論の4種を「特別実習」として単位化。文部省の「大学設置基準」の改正により、外国語・一般教育科目の必修の枠組を緩め、志向に応じて自由に選択できる部分を増やした。
平成4年度(1992年度)より新カリキュラムを実施。音楽専攻ではジャズ・ポピュラー部門導入にあたって、アメリカの世界的なジャズ・ピアニスト、ハンク・ジョーンズを客員教授に迎える。同教授は春秋2回の講義でウィンド・アンサンブル及びピアノ・コースのジャズ・クラスを指導、毎年ザ・カレッジ・オペラハウス主催の演奏会でその卓越した演奏も披露した。同じく音楽専攻では、水曜日の第4時限に様々な角度から音楽を考える特別講義「テーマ研究講義」を開講、申し込みにより一般にも公開した。
創立から77年、時代の変化に伴う音楽文化の多様性を取り入れたこれらの教育刷新によって、本学は従来の音楽大学の概念を超えた新たな姿を整えて前進して行くこととなった。そしてそれはまた、創立者永井幸次のめざした「世界音楽 並に 音楽に関連せる諸般の藝術は 之の学校によって統一され…(原文は仮名部分カタカナ)」という本学の建学の精神に、より近づくものでもあった。

新カリキュラム概要は以下の通り
【大学】
  • ジュニア段階(1・2年次)
    大学人としての教養、自己の音楽の基礎作りを中心にしたカリキュラムを設定。 各専攻の実技レッスンとそれを補完する各専攻基礎講座を4年間の学修のベースに、音楽基礎科目(音楽理論、ソルフェージュ、鍵盤楽器)や専攻指定科目(音楽史、合唱、合奏など)で取り囲み、各自の音楽能力が高められるようにした。
  • シニア段階(3・4年次)
    各人の志向と能力の特性ができるだけ反映されるよう3つのコースに類別する。
<I類> 学生の志向に幅広く対応できるコース
必修科目が少なく、各自の適性に合わせてより自由に科目選択ができる
履修:固有の履修計画を持って学修しようとする者
<II類> プロフェッショナルな音楽家をめざすコース
特に優れた専攻技術と能力を持った学生を専攻別に集め、独自のトレーニングと豊富な実践経験によって、個人の能力を最大限に伸ばす
履修:希望を募り、専攻ごとの適性検査に合格した者
<III類> 音楽研究者、教育者等をめざすコース
知的充実度の高い、専攻の枠を超えたゼミ形式の科目を開設
自己の音楽を中心に、自主的研究の能力を高め、感性を磨く
履修:希望を募り、1・2年次の履修状況(科目により面接・作文等を加える場合も)に達し、なお一定の基準を満たしている者

尚、類別の詳細な定義は各専攻により異なり、設置についても次のように規定
  • 楽理・器楽・声楽専攻:I、II、III類
  • 作曲専攻:I、II類
  • オルガン・箏専攻:II類
この類別型システム実施後、シニア段階の3、4年次が初めてそろった平成7年度は全766名中、I類が64%、II類が23%、III類が13%であった。

III類研究ノート


専攻の枠を超えて自主的研究を行うIII類には自由に選択できる12科目を用意。
単独あるいは共同研究も可で、科目ごとに優れた研究を推薦、その研究ノートを小冊子にまとめてIII類の成果として発表した。
【短期大学部】
  • 作曲・声楽・器楽専攻
    大学と同じく実技レッスンと専攻基礎講座を学修のベースとし、これを音楽基礎科目や専門教育科目で固める。
  • 音楽専攻
    カリキュラムの重点を“音楽を体験”する実践的科目に置く。専門教育科目として第1専門、第2専門、共通専門の3種類の授業を設置。第1専門にはクラシックからジャズ・ポピュラーに至るまで、多様な音楽ジャンルに対応する6コースを開設。第2専門は第1専門を別の側面からカバーし、音楽の視野を広げ、知識・体験を豊かにする為のもので、学生は8種類の中から1つを選択する。2年生に進級する際に第1専門を継続することも、実力が伴えば第2専門を第1専門に置き換えることも可能とした。
第1専門 第2専門
[ヴォーカル・コース]
  • オペラ・クラス
  • 日本の歌クラス
  • ミュージカル・クラス
  • ポピュラー・クラス
[ウィンド・アンサンブル・コース]
  • 吹奏楽クラス
  • ジャズ・クラス
  • ヴォーカル
  • ピアノ
  • 管打楽器
  • リコーダー
  • ギター
  • 電子オルガン
  • 作曲
  • キーボード・シンセサイザー  
[ピアノ・コース]
  • 古典派クラス
  • ロマン派クラス
  • ポピュラー・クラス
  • ジャズ・クラス
[ストリング・アンサンブル・コース]
[電子オルガン・コース]
  • クラシック・クラス
  • ポピュラー・クラス
  • シンセサイザー・クラス
[リコーダー・ギター・アンサンブル・コース]
  • リコーダー・クラス
  • ギター・クラス
カリキュラム実施に先立ち1991年6月、上記のうち2コースをサポートする為のプロ合奏団「インテグレーティッド・ウィンズ」、「インテグレーティッド・ギターズ&リコーダーズ」を本学出身の若いアーティストで結成。合奏の中での実践教育に備えた。この合奏団は積極的に演奏活動を展開。中学、高校などでの吹奏楽クリニックも行った。
<音楽専攻総合パンフレットと各コース・クラス広報チラシ>

<音楽専攻 公開特別講義「テーマ特別研究」>
学内外各方面の専門家が講師となり、水曜日の第4時限に講義を行った。申し込みにより無料で一般にも公開した。第1回は1992年4月15日の井藤宏就職指導課課長による「音楽専攻卒業後の進路」。初年度は24講義を開講した。

井藤宏「音楽専攻卒業後の進路」(4月15日)

佐々木昭雄「ジャズ・インプトヴィゼーション=電子オルガン」(5月13日)

永井譲「“おんがく”へのアプローチ─音楽の基礎常識─」(6月17日)

丸谷明夫「吹奏楽部のクラブづくり」(9月30日)

<音楽専攻の改組後初の各クラス発表会>
新設コース発足から半年、各クラスの成果を発表する演奏会(全10回)が相次いで開催された。11月4日のジャズ・ポピュラー発表会には各コースのジャズ、ポピュラーなどのクラスが合同で出演。翌平成5年度(1993年度)からも引き続き、音楽専攻発表会として開催していく。

ジャズ・ポピュラー(11月4日)

日本の歌(11月25日)

ミュージカル(12月2日)

電子オルガン(I)

ストリング・アンサンブル(12月9日)

吹奏楽(12月9日)

リコーダー・ギター(12月15日)

オペラ(12月16日)

電子オルガン(II)(‘93年1月13日)

ピアノ・ソロ&アンサンブル
(1月20日)

<音楽専攻フェスティバル>
1993年7月26日には新カリキュラム第1期生たちによる第1回音楽専攻フェスティバルが開催される。6コースの壁を超えて学生が提携し、実行委員会を作って企画・制作・広報・進行など全て手作りで行った。これは実践的教育により卒業後、各方面で音楽の喜びを伝え、率先して音楽活動に参画できる人材の育成をめざすという新たな音楽専攻の成果であった。

ルネサンスのみやび

《La Sonnambula》

日本の叙情

FINLANDIA

SYNPHONIC SUITE

MUSICAL ALBUM

JAZZ&POPS in HISTORY

会場となった旧ホール前

オリジナルうちわ

大阪文化祭賞W受賞
1992年(平成4年)、大阪文化祭に参加した2公演の成果により、ザ・カレッジ・オペラハウスと本学が同時に大阪文化祭賞第4部門(洋舞・洋楽)本賞を受賞するという栄誉に輝いた。2公演とはハンス・ヴェルナー・ヘンツェのオペラ《若い恋人たちのエレジー》と「再現演奏会と資料展示『関西洋楽事始(かんさいようがくことはじめ)』」である。
前者はザ・カレッジ・オペラハウスのディスカバー・オペラ・シリーズの最終回として10月17、18日に公演したもので、ダブル・キャストによる原語上演(独語)であった。1961年(昭和36年)に初演されたこのオペラは20世紀オペラの傑作といわれ、1966年(昭和41年)に東京の日生劇場でベルリン・ドイツ・オペラが日本初演を行ったが、日本人による上演はこれが初めてであり、関西では初演であった。ヨーロッパでも上演機会の少ない無調の難曲で、挫折寸前の出演者も出るなど、苦労のエピソードは尽きなかったという。それだけに、この受賞を受けて関係者の喜びはひとしおであった。批評家各氏からも難解な作品を単に紹介しただけでなく、楽しめるものとして上演したことが高く評価された。そしてほぼ演劇のように台詞で進行するこのオペラの理解を大きく助けたのが本公演から使用した字幕装置で、簡潔かつ要領を得た高橋浩子教員による字幕訳の秀逸さも同時に高い評価を得た。また、本公演で主役ミッテンホーファーを演じた川下登教員が“出色の舞台”と評価され、平成4年度大阪府民劇場賞を受賞した。
一方、後者の「再現演奏会と資料展示『関西洋楽事始』」は音楽研究所の音楽文化史研究室が制作、11月7日に行った研究公演である。これは同研究室が20数年にわたり収集してきた関西の洋楽文化史資料を基に、西洋音楽が関西に根づき始めた頃の明治中期の演奏会を再現、資料展示とともに、関西人の洋楽受容の様子を紹介するという企画であった。演奏曲目、楽譜、楽器編成、演奏方法、演奏様式、服装、髪型に至るまで、全て可能な限り忠実に当時の演奏会に近づけるべく、企画から約2年間の調査・研究を重ねた。会場にもこだわり、大阪で現存最古の演奏会場として大阪市中央公会堂(大正7年11月建設)を選んだ。最も困難を要したのは “音”の再現で、レコード普及以前の日本人演奏家による記録音源が実在しない中、現存する明治末期から大正初期の音源や当時の新聞・雑誌の演奏会評、楽譜・教則本等の出版物その他からの推考が頼りであった。出演は本学教職員・卒業生・在学生の他、関西の洋楽普及に大きく貢献した陸軍第四師団軍楽隊を母体とする大阪市音楽団(現・Osaka Shion Wind Orchestra)。遅めのテンポで表情乏しく、わざと音程を外すなど、推考に基づく100年前の人々の技量に合わせて演奏を行った。展示については、明治期の楽器、楽譜、教則本や演奏会プログラム、写真など、研究室所蔵のもの以外にもスタッフが古道具屋を巡ったり、所有する個人や諸機関に協力を仰ぐなどして集めた157点を客席横のスペースに陳列した。日本の洋楽受容研究において、音楽文化史研究室は草分け的存在であり、このような企画はおそらく全国でも初めてのものであった。マスコミ各社に取り上げられ、公演当日もテレビ局の取材を受けるなど大きな反響を呼んだ。同研究室による本学の受賞は『大阪音楽文化史資料 明治・大正編』刊行(1968年)に対して1969年(昭和44年)に音楽クリティック・クラブ特別賞を受賞(年表参照)して以来2度目のことであった。
【ディスカバー・オペラ・シリーズIV ヘンツェ 《若い恋人たちへのエレジー》】

(左)キャストによる音楽練習、(中)オーケストラと指揮の松尾教員、
(右)本作の為に導入した字幕装置

(左)菅沼潤教員による初のプレ・トーク(開演前の作品解説)

(左)大阪府民劇場賞受賞の川下登教員、
(中)自ら字幕の合図を送る高橋教員(左)、(右)終演後の表情

【再現演奏会と資料展示「関西洋楽事始」】


チラシ

当時の演奏会の最大の特徴は“和洋折衷”。
・洋楽と邦楽が入り混じった曲目構成
・洋楽器による邦楽演奏
・洋楽器と邦楽器による合奏
・外国曲に日本語の歌詞をつけた唱歌
・和装による洋楽演奏
などである。

会場入口に長蛇の列

受付嬢も振袖姿

1,000人を超す来場者

取材を受ける
西岡信雄音楽研究所所長

<再現演奏>
一部、明治期の楽器も使用。衣裳監修は当時の金蘭短期大学(現・千里金蘭大学)横川公子教員に依頼した。来場者に100年前へのタイムスリップを体験してもらえるような演出を凝らした。

司会の西岡所長(フロック・コートに身を包み解説を行った)

軍楽隊奏楽(大阪市音楽団が陸軍第四師団軍楽隊に扮して演奏)

合唱《薩摩潟》(原曲はシューマン《Zigeunerleben流浪の民》)

風琴楽隊(手風琴(アコーディオン)に打楽器や管楽器を加えた楽隊)

洋琴独奏(振袖による洋琴(ピアノ)演奏)

鉄道唱歌(一世を風靡した大阪発の大ヒット曲、多梅雅作曲《鉄道唱歌》を出演者、来場者全員で歌った)

<資料展示>
「ハイカラ音楽品々陳列」と銘打った展示には、開演前から来場者の人垣ができた。大阪市音楽団をはじめとする18の諸機関、13名の個人による協力・資料提供を受けた。

大阪文化祭賞本賞 賞状

平成4年度 特別講義・演奏週間
特別講義

ジャコモ・マンゾーニ
(5月19日作曲)

濃野雄二(5月19日フルート)

二宮和子(5月19日~全3回クラリネット)

マリア・レアーリ(5月21日チェロ)

ジャック・ランスロ(5月30日~全3回クラリネット)

オレグ・マイセンベルク(6月1日ピアノ)

スティーヴン・ミード(6月13日ユーフォニアム)

マルタ・ランティエリ(6月15日~7月10日声楽)

ルーベン・ゴンザレス(6月29日ヴァイオリン)

吉田治人(7月25日トランペット)

マルタ・ランティエリ(9月1~17日選抜学生オペラ演出)

アラン・ダミアン(9月19日クラリネット)

前田昭雄(9月22日楽理)

ピエール・ジョルジョ・モランディ(9月28日声楽)

ルイス・デ・パブロ(10月8日作曲)

ホルスト・ギュンター(11月4、5日声楽)

ハンク・ジョーンズ(12月3、4日ジャズ)

ダニエル・ドゥファイエ(12月7日サクソフォーン)

高哲誠(‘93年1月13日打楽器(退任記念特別講義))

尹伊桑(3月31日作曲)

当年度は、この他に以下の特別講義・公開レッスンを開催。演奏週間中のものを含め、全28件(短大音楽専攻特別講義「テーマ研究講義」を除く)。
  • 5月18日:日伊音楽交流「音楽の虹フェスティバル」、現代音楽のためのシンポジウム「伝統と現代」(作曲)
  • 11月4日:新田英開(声楽)
声楽の公開レッスンに加え、この年の第4回選抜学生オペラ《フィガロの結婚》の演出も手がけたマルタ・ランティエリは、約20年間ウィーン国立歌劇場の演出家であった。学生達はたびたび、「音楽的に、語るように、そしてノーブルに演じて欲しい」と指導されていたという。

(左)ゲネ・プロ、(中)楽屋にて、(右)終演後

また、7月6日、ザ・カレッジ・オペラハウスにおいて、ロシアの世界的メゾ・ソプラノ、エレーナ・オブラスツォワのリサイタルが声楽特別講義として行われた。アンコール6曲を含む18曲が演奏された。

E.オブラスツォワ
メゾ・ソプラノ リサイタル

舞台袖で談笑するE.オブラスツォワとM.ランティエリ

演奏週間
4年ぶりにロジェ・ブートリー客員教授が吹奏楽演奏会、定期演奏会のタクトを振り、特別講義、公開レッスンなども行った。演奏会9、発表・討論会10、特別講義7の全26件の催しに出演者、鑑賞・受講者(学外含む)のべ約8,000名が参加した。吹奏楽演奏会のアルカイックホール以外はオペラハウスを中心に学内で開催。

総合プログラム

学内外26件の催し一覧(10月20日~11月22日)

大阪音楽大学管弦楽団演奏会
(10月20日)

(10月20日)

大阪音楽大学短期大学部 第1回演奏会(10月27日)

第7回ピアノ・グランド・コンサート(11月6日)

音楽学部専攻科ピアノアンサンブル発表会(11月12日)

第25回吹奏楽演奏会(11月14日)

ダニエル・ドワイヨ&北野徹ジョイント・リサイタル(11月16日)

ロジェ・ブートリーによる作曲特別講義(11月16、19、20日)

第15回邦楽演奏会(11月17日)

第6回新作展(11月18日)

第35回定期演奏会
(11月21日、22日)

(左)大阪音楽大学管弦楽団演奏会、(中)第25回吹奏楽演奏会、
(右)第35回定期演奏会

1992年 ザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
年表に掲出したモーツァルト・オペラ・シリーズIII《ドン・ジョヴァンニ》、ディスカバー・オペラ・シリーズⅳ《若き恋人たちへのエレジー》以外の公演は以下の通り。この年のザ・カレッジ・オペラハウス主催公演は全12件であった。
3月22日 重松みか受賞記念コンサート

4月3日 ゲルハルト・オピッツ ピアノ・リサイタル

5月3、4日 インテグレーティッド・ウインズ特別演奏会

5月29日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第7回定期演奏会

6月2日 オレグ・マイセンベルグ ピアノ・リサイタル

6月9日 ハンク・ジョーンズ ジャズ・ピアノの夕べ(ハンク・ジョーンズ ピアノ・ワークショップ)

6月28日 シカゴ・ユース・シンフォニー・オーケストラ

9月18日 ミシェル・アリニョン&アラン・ダミアン クラリネット・ジョイント・リサイタル

10月2日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第8回定期演奏会

11月9日 オリヴェラ・ミリャコヴィッチ ソプラノ・リサイタル

関西音楽の歴史

2月15、16日 関西歌劇団 創作・名作オペラ劇場シリーズ 大栗裕《飛鳥》(メイシアター大ホール)
松尾昌美指揮、桂直久演出、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪メンズコーラス、関西歌劇団合唱部
大栗裕没後10周年記念公演。当団による初演以来25年ぶりの再演であった

関西歌劇団提供『関西歌劇団50年のあゆみ』より

2月23日 第1回ABCフレッシュ・コンサート開催(ザ・シンフォニーホール)
エー・ビー・シー音楽振興財団(現・ABC音楽振興会)が、若手演奏家の発掘を目的としてオーディションを行い、選抜された8名が前年のABC新人コンサートに出場。この出演者の内より、最優秀者に選出された欄和美(Sop)と堂浦智明(Pf)が大阪フィルと共演。共に本学出身者という快挙となった

プログラム表紙

3月14日 アイフォニック地球音楽シリーズ初開催(伊丹アイフォニックホール)
当時本学教員・副理事長であった西岡信雄を総合プロデューサーとして、世界各国から民族音楽の演奏者を招き、定期公演を開催するという斬新な企画であった
4月6~23日 第34回大阪国際フェスティバル(フェスティバルホール)
英国名女流ピアニストのムーラ・リンパニーが初来日し、小林研一郎指揮の日本フィルハーモニー交響楽団と共演。開幕公演を堂々と飾った。当回では全5演目7公演がもたれたが、この内の「ブラームスの夕」では関西初登場となった指揮者の北原幸男が大阪センチュリー交響楽団と共演。端正で瑞々しい演奏が反響を呼んだ
(公財)朝日新聞文化財団・(株)朝日ビルディング提供
『永遠の響き~フェスティバルホールの半世紀』より

ムーラ・リンパニー

小林研一郎

4月7日 エヴェリン・グレニー 関西初公演(いずみホール)
聴覚障害を乗り越え打楽器奏者として活躍し、世界的な注目を浴びた

チラシ

いずみホール提供『いずみホール10周年記念誌』より

4月28、29日、5月5日 モンテヴェルディ・フェスティバル開催(いずみホール)
いずみホールの2周年記念コンサートシリーズ。オペラ史上の重要作であるモンテヴェルディの《オルフェオ》や教会音楽などを上演。渡邊順生の指揮、ジョン・エルウィス(Ten)をはじめとする内外のソリスト、ザ・バロックバンド、東京モンテヴェルディ合唱団らが参加した

プログラムとチラシ

オペラ《オルフェオ》いずみホール提供『いずみホール10周年記念誌』より

5月11~23日 日伊音楽文化交流「音楽の虹フェスティバル」大阪大会開催(大阪音楽大学会議室、ザ・カレッジ・オペラハウス、大阪国際交流センター、豊中市立アクア文化ホール)
姉妹都市の大阪とミラノの市政当局と、両市の代表的音楽教育機関である本学と国立ヴェルディ音楽院が中心となり、日伊の音楽文化交流を図るプロジェクトとして開催。コンサートやオペラ公演など、8種目全16公演が行われた

10月5~9日 イギリス・バロック管弦楽団(現・オルケストル・レヴォリューショネル・エ・ロマンティック)・モンテヴェルディ合唱団 ベートーヴェン・チクルス開催(ザ・シンフォニーホール)
エリオット・ガーディナーの指揮により全交響曲を演奏。外来古楽オーケストラによる本邦初のチクルス企画であった
10月17、18日 ザ・カレッジ・オペラハウス ディスカバー・オペラ・シリーズIV ヘンツェ《若い恋人たちへのエレジー》関西初演(ザ・カレッジ・オペラハウス)
松尾昌美指揮 菅沼潤演出 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団・合唱団
1966年のベルリン・ドイツ・オペラ来日公演にて、作曲者自身の指揮による東京での本邦初演(日生劇場)以来の上演。人間のエゴイズムに迫った20世紀の傑作と評価されながら実演の稀な当オペラの再認識の機会を、本学のオペラハウスが高水準の舞台にて世に供したことは極めて意義深かった。当公演の成果により平成4年度大阪文化祭賞本賞を受賞

10月30日 愛知県芸術劇場開館
大型複合文化施設である愛知芸術文化センター内に建設。大規模なオペラ公演に対応する多面舞台を備えたプロセニアム型の大ホール(2500席)が注目を浴びた

11月7日 再現演奏会と資料展示「関西洋楽事始」開催(大阪市中央公会堂大集会室)
単なる学究的時代考証の披露にとどまらず、当時の演奏スタイルが、現代においては古くて斬新な大衆的文化として享受され得ることを証左した公演でもあった。当公演成果により平成4年度大阪文化祭賞本賞を受賞

1993年(平成5年)

大阪音楽大学の歴史

1月18日《若い恋人たちへのエレジー》「関西洋楽事始」大阪文化祭賞本賞受賞
平成4年度大阪文化祭賞第4部門(洋舞・洋楽)の本賞に本学のオペラ《若い恋人たちへのエレジー》と“再現演奏会と資料展示”「関西洋楽事始」が選ばれ、大阪府教育会館で表彰式が行われた

右より田中理事長、西岡副理事長・音楽研究所所長、
日下部ザ・カレッジ・オペラハウス館長
2月3、6、24、26日 ベートーヴェン・コンチェルト・ツィクルス
ザ・カレッジ・オペラハウスが、1カ月4夜にわたりベートーヴェンの協奏曲全9曲を演奏するというコンサートを開催。前年の1992年がベートーヴェンのウィーン移住から200年であったのを記念した企画で、井上道義、高関健、ウリ・セガルの3人の指揮者を迎えた。ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団、ソリストとして本学教員を含む著名演奏家や本学出身の新進演奏家、学内オーディションで選出した教員、学生など10名が出演した

パンフレット表紙

期間中、オペラハウスのロビー正面にK号館よりベートーヴェン像を移設

2月10~21日「楽器展─吹奏楽ヒストリー」に出品(アルカイックホール)
尼崎市総合文化センターがアルカイックホール開館10周年を記念し、楽器博物館所蔵の吹奏楽器を集めた企画展を開催。博物館の楽器貸し出しは昭和55年に同センター・神戸新聞社共催の「アジア楽器展」以来13年ぶり。博物館が監修に当たり、68点の楽器を出品した

4月1日 桂斗伎子に名誉教授の称号

4月26~29日 モーツァルト・オペラ・シリーズⅣ《後宮からの逃走》
演奏が困難なことで知られ、モーツァルトのオペラの中では上演機会の少ない作品に挑戦した。指揮は自らも初めてという小泉和裕。演出の栗山昌良の意図により、1曲をカットし、台詞も短縮及び潤色、場割りも変更、原語公演は字幕付き、台詞のみ日本語で上演した。

5月14日 Tuttiオペラ公演 《カヴァレリア・ルスティカーナ》
前年の夏、「学生時代に自主制作のオペラを─」との気運が学生間に高まり、Tuttiオペラが復活。1980年に始まり翌年も続いたが、それ以後中断して以来12年ぶりの学生自主公演となった。学短1~4年生まで、キャスト・オーケストラ・合唱・スタッフ総勢162名が参加。この時の指揮者が井村誠貴、副指揮者が西本智美(現・客員教授)である

(左)第1幕、(中)開演前のオケ・ピット、(右)開場前から列ができる超満員

5月24~28日「京都・国際音楽学生フェスティバル’93」に出演(アルティ)

音楽を学ぶ学生の国際交流と育成を目的に、ローム・ミュージック・ファンデーション主催で第1回京都・国際音楽学生フェスティバルが開かれ、海外9カ国約30名、日本からは本学の他に東京藝大、桐朋学園大、京都市立芸大などから選ばれた58名が参加した
6月9日 皇太子殿下結婚の儀により休校

6月20日 第1回オープン・キャンパス「大阪音楽大学ウォッチング」
前年の入試説明会で初の試みとして公開授業を行い、当年第1回オープン・キャンパスを開催する。午前・午後の説明会の後、12の授業・レッスンを公開し、オペラハウスやK号館の見学なども行った。高校生を中心に、保護者・音楽指導者等約700名の参加があった

7月2日 第1回大学院2年生協奏曲演奏会DER MEISTER KONZERT
大学院2年生協奏曲演奏会が、当年度よりオーディションで選ばれた学生による1日開催となった。これに伴い、演奏会の名称を新たにした

7月26日 第1回音楽専攻フェスティバル
短大新カリキュラムの完成年度にあたり、音楽専攻6コース15クラスが提携して、学生たちがそれぞれの音楽の幅を広げるべく、自主制作の催しを行った

8月23~29日 ‘93けいはんな世界音楽学校フェスティバルに出演(住友ホール他)
関西文化学術研究都市内の「けいはんなプラザ」オープンを記念して、世界11カ国の音楽大学の学生、教員らによる演奏会が6日間にわたり開催された。海外より10校、国内より本学など8大学の計18校が参加し、交流を深めた。本学は23日のウェルカムコンサート、25日の国内大学コンサート、29日のIYAFオーケストラコンサートに出演

チラシ

開会式・ウェルカムコンサート(指揮:竹内良治教員)

9月10日 ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団結成
ザ・カレッジ・オペラハウスに専属の合唱団が誕生した。5年前のオーケストラに続き、劇場付きのプロ合唱団も日本初である。翌月25日のザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第10回定期演奏会でデビューを果たす

牧村邦彦(現・教員)による初練習

メンバーは本学卒業生を中心に、オーディションにより選ばれた20名
9月21、22日 第5回選抜学生オペラ《コジ・ファン・トゥッテ》

チラシ

10月19日~11月27日 平成5年度演奏週間

10月25日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第10回定期演奏会
発足から5年、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の節目となる定期演奏会で、ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団がデビューを飾った。本学卒業後ウィーンを拠点に活動、メトロポリタン歌劇場でヴァーグナー作品に日本人メゾ・ソプラノとして初登場を果たした片桐仁美、欧米の主要歌劇場で活躍するイタリア人テノールのヴィットリオ・テッラノーヴァ、本学出身の新進ソプラノ貞清直美がソリストとして出演

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指揮はサンクト・ペテルブルク・フィル、常任指揮者オリヴェル・ドホナーニ

10月30日~11月1日 大学祭「うりゃ!Change for better」
ピアノ特別講義の講師に招聘中のフー・ツォンのリサイタル、奥尻島チャリティー・コンサートとして大竹道哉教員のピアノ・リサイタル、職員有志による男声合唱などがあった

フー・ツォン ピアノ・リサイタル

職員有志の「ちろりん合唱団」

11月24~27日 日本オペラ・シリーズI 團伊玖磨《夕鶴》
ディスカバー・オペラ・シリーズに続く秋の新シリーズとして、5年にわたる日本オペラ・シリーズを企画。かつて“日本オペラ発祥の地”といわれた関西に、創作オペラの火を再燃させることを目標としたもので、第1弾は日本オペラの代表作《夕鶴》を取り上げた。その初演が関西を“創作オペラのメッカ”といわしめる契機となった記念碑的作品で、作曲者團伊玖磨自らを指揮者に迎え、4夜にわたり上演した

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12月18日 第27回合唱演奏会
ザ・カレッジ・オペラハウス専属合唱団の誕生
「オペラハウスに専属の合唱団を!」とは、初代日下部館長が2年前の就任記者会見で述べていたことである。関西合唱連盟の会長でもあった日下部は、オペラにおける合唱の重要性、特にその専属性がいかに大事かということを当初より唱えていた。その念願がようやくかない、1993年(平成5年)9月10日、その結成の日を迎える。
それまでもザ・カレッジ・オペラハウスでのオペラの公演など「ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団」の名前でコーラスが出演していたが、それは固定したメンバーではなく、その都度募集するなどして集まった人員によるものであった。館長の意向を受けて、先に発足したザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団同様、専属の合唱団を結成することになり、7月12日に団員オーディションを行った。50名を超える応募者の中からソプラノ5名、アルト5名、テノール4名、バス6名の計20名が選ばれた。本学卒業生を中心に、ソリスト級の人材が集まった。オーケストラに次ぐ、日本初のオペラハウス専属合唱団の誕生である。
9月10日にオペラハウスで初練習が行われ、その後結団式が行われた。10月25日、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第10回定期演奏会が披露公演となった。次いで、翌1994年(平成6年)のコンサート・オペラ・シリーズI《魔弾の射手》に出演するが、本格的なオペラ初出演は同年春のモーツァルト・オペラ・シリーズⅤ《魔笛》。結成から2年後の1995年(平成7年)4月に、合唱団結成当時より指導していた牧村邦彦(現・教員)が専任指揮者に就任。同年7月25日、初の単独演奏会となるザ・カレッジ・オペラハウス合唱団特別演奏会「ヴェルディとウィンナー・オペレッタ」を開催。前半はヴェルディの宗教曲、後半はオペレッタの名曲というプログラムで、オペラハウスの専属合唱団ならではの魅力をアピールした。翌1996年(平成8年)7月21日に第1回定期演奏会を開催する。
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団とともにオペラハウスの両輪となり、本学のオペラ活動をより発展させる担い手として大きな期待が寄せられた。関西の数少ないプロ合唱団として、学外公演への出演も重ねている。

デビューを飾ったザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
第10回定期演奏会(1993年10月25日)

コンサート・オペラ・シリーズI《魔弾の射手》オケ合わせ(1994年2月19日)

本格的オペラ公演デビューとなったモーツァルト・オペラ・シリーズV《魔笛》(1994年4月26~29日、5月7、8日)

専任指揮者就任の牧村邦彦
(現・本学教員、1995年4月)

ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団特別演奏会(1995年7月25日)

同演奏会における専任指揮者
牧村と司会を務めた日下部館長

第1回定期演奏会(1996年7月21日)
初の定期演奏会は「ドイツロマン派の粋」と題して、前半がメンデルスゾーンの世俗カンタータ《最初のヴァルプルギスの夜》、後半がフロートー《マルタ》からの抜粋というプログラムであった。
平成5年度 特別講義・演奏週間
特別講義

ティニー・ヴィルツ(5月31日~6月1日ピアノ)

ケルナー・ピアノ・トリオ(6月10日ピアノ)

ルドルフ・ケレル(6月30日ピアノ)

フィリップ・キュペール(7月3日クラリネット)

ダンテ・マッツォーラ(9月28日声楽)

前田昭雄(9月29日楽理)

ジュリアス・ベーカー(9月30日フルート)

宮本文昭(10月2日オーボエ)

テオ・ブラントミュラー(10月8日作曲)

ヴォルフガング・プラート(10月19日楽理)

エーリッヒ・アンドレアス(10月19~20日ピアノ)

ミラン・トルコヴィッチ(10月20日ファゴット)

ヴォルフガング・シュル(10月21日フルート)

フー・ツォン(10月26~30日ピアノ)

クロード・ドゥラングル(11月5日サクソフォーン)

菅原淳(11月5日打楽器)

ジャン=ジャック・デュンキ(11月9日ピアノ)

エドワード・ウォルソン(‘94年1月17日ヴァイオリン)

渡辺護(2月14日楽理(退任記念特別講演))

ティニー・ヴィルツ ピアノ・リサイタル

当年度は演奏週間中のものを含め、全23件(短大音楽専攻特別講義「テーマ研究講義」を除く)。また6月2日、11月1日には特別講義で公開レッスンを行ったティニー・ヴィルツ、フー・ツォン(年表中に写真掲載)のリサイタルも開催した。
演奏週間
バイロイト音楽祭の舞台に立ち、ジュゼッペ・シノーポリらとの共演も行うなど、欧米での活躍めざましいメゾ・ソプラノの片桐仁美の凱旋公演となるリサイタルなど、演奏会9、発表・討論会12、特別講義5の全26件の催しを開催。会場は吹奏楽演奏会のアルカイックホールを除いて、他はオペラハウスを中心に全て学内。第36回定期演奏会は、その片桐をソリストに迎えたマーラー《亡き子をしのぶ歌》やヴェーベルン《パッサカリア》、ブラームス《交響曲第4番》と3曲とも本学初の演奏曲であった。

総合パンフレット

学内外26件の催し一覧(10月19日~11月27日)

大阪音楽大学管弦楽団演奏会(10月19日)

第8回ピアノ・グランド・コンサート(10月29日)

短大音楽専攻ジャズ・ポピュラー・クラス発表会(11月10日)

短期大学部第2回演奏会(11月15日)

片桐仁美メゾ・ソプラノリサイタル(11月16日)

新田英開による特別講義(11月16日)

楽器博物館第38回レクチャー・コンサート(11月17日)

作曲専攻生による討論会(11月17日)

第16回邦楽演奏会(11月18日)

有森博ピアノ・リサイタル(11月19日)

第36回定期演奏会(11月20日)

第27回吹奏楽演奏会(11月27日)

(左)短期大学部第2回演奏会、(中)第36回定期演奏会、
(右)第26回吹奏楽演奏会

1993年 ザ・カレッジ・オペラハウス主催公演
年表に掲出したモーツァルト・オペラ・シリーズIV《後宮からの逃走》、日本オペラ・シリーズI《夕鶴》以外の公演は以下の通り。この年のザ・カレッジ・オペラハウス主催公演は全14件であった。
1月14日 重奏の夕べ(オペラハウス室内楽シリーズ その3)

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2月3、6、24、27日 ベートーヴェン・コンチェルト・ツィクルス

パンフレット

第1夜

第2夜

第3夜

第4夜

3月19日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団特別演奏会 バッハ《ヨハネ受難曲》

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5月11日 インテグレーティッド・ウインズ ウインズ・スプリング・コンサート

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5月28、30日 モーツァルト・オペラ・シリーズII《コジ・ファン・トゥッテ》再演
指揮・演出は2年前と同じ松尾葉子・栗山昌良、出演者はシングル・キャストで、6人中5人が新たな顔ぶれとなった。字幕装置を用いた原語上演であった。

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6月1日 ロバート・マクドナルド ピアノ公開レッスン
ゲストとして五嶋みどりが登場し、演奏を行った

6月7日 ハンク・ジョーンズ・トリオの夕べ(第2回ハンク・ジョーンズ ピアノ・ワークショップ)

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6月11日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第9回定期演奏会

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6月16日 堀米ゆず子&ヴォルフガング・マンツ デュオ・リサイタル(オペラハウス室内楽シリーズ その4)

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7月6日 加古隆ピアノ・ソロ・コンサート

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9月25日 第1回インテグレーティッド・ウインズ定期演奏会

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10月25日 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第10回定期演奏会
ザ・カレッジ・オペラハウス合唱団の披露公演ともなったこの定期演奏会で、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が初めてオペラ曲を取り上げた。同合唱団のコーラス、片桐仁美、ヴィットリオ・テッラノーヴァ、貞清直美によるアリアなど、オペラ名曲集によるコンサートとなった。

(左)片桐仁美、(中)V.テッラノーヴァ、(右)貞清直美

関西音楽の歴史

1月20日 吹奏楽名曲コレクション31「大栗裕 作品集」発売
朝比奈隆と木村吉宏が大阪市音楽団を指揮し、吹奏楽の分野で評価の高い主要作品などを収録したCDが東芝EMIから発売された(TOCZ-9195)。大栗の没後10周年であった1992年の録音

CDジャケット

2月13日 シューベルト歌曲全曲演奏会 第1回開催(大阪倶楽部4階ホール)
畑儀文(Ten)が600曲を超えるシューベルトの歌曲全曲を年代順に演奏するという企画で(女声用を除く)、1999年3月で完結(全26回)。国内外で大きな話題となった

2月20、21日 関西歌劇団 創作・名作オペラシリーズ 大栗裕《夫婦善哉》(メイシアター大ホール)
松尾昌美指揮、菅沼潤演出、関西フィルハーモニー管弦楽団、関西歌劇団合唱部
前年に続く同団の大栗裕没後10