〈レビュー〉ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団 第67回定期演奏会

月。月と地球は約38万キロメートル離れている。この遠いようで一番身近な天体に人は昔から想いを馳せて生きてきた。唐の地での阿倍仲麿しかり、竹取物語しかり。1969年にアポロ11号のアームストロング船長が地球から“地続き”となる一歩を踏み出してその秘密を暴くまで、人は月に空想の世界を投影してある種の理想郷(ユートピア)のように仰ぎみてきた。
そんな月を舞台にしたオペラが、1777年にハイドンが作曲した《月の世界(Il mondo della luna)》だ。正直に告白すると、筆者にはハイドンにオペラのイメージがまったくなかったのでこういった作品も書いていたのかと驚いた。プログラムノートによると、彼の仕えたエステルハージ家の結婚式で上演されてから楽譜が整理された20世紀まで再演されなかったのだという。
2025年11月9日、公演当日はあいにくの雨だったが、関西初演となる珍しい演目のためか多くの聴衆がロビーに溢れていた。ロビーには大阪音楽大学創立110周年を記念した創立者・永井幸次のあゆみがパネルで展示されており、その来し方を眺めてから開演を待った。
ー P r o g r a m ー
Concert’Opera
~音楽とお芝居、映像の新しいかたちのコンサート・オペラ~
J.ハイドン作曲 歌劇『月の世界』全3幕
原語上演・字幕付
Concert’Opera
~音楽とお芝居、映像の新しいかたちのコンサート・オペラ~
J.ハイドン作曲 歌劇『月の世界』全3幕
原語上演・字幕付

ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(指揮:粟辻聡)
マエストロ・粟辻聡のバトンを使わないしなやかな指揮による序曲で幕が開くと、望遠鏡が鎮座するなにやら研究所のような施設でのエックリーティコ(清原邦仁)とその弟子たちによる合唱(声楽専攻生)。貴族社会の出立ちながらも、歌詞には「望遠鏡だか顕微鏡だかわからないが……」といったものがあり、発展途上にある同時代の科学技術を窺い知ることができて興味深かった。エックリーティコはブォナフェーデ(桝貴志)に月の世界を見せると言って望遠鏡を覗かせるが、その実は研究所内で弟子たちが演じているだけ。そんなことは露知らず、ブォナフェーデは満足したお礼に金を渡して去っていく。詐欺師とスケベ親父というどちらもアクの強いキャラクターだったが、最後までどこか憎めなかったのは演じ方のおかげだろうか。

ブォナフェーデ(桝貴志)を見送るエックリーティコ(清原邦仁)とその弟子たち(声楽専攻生)
そこにやってきたのが騎士のエルネスト(大賀真理子)と従者のチェッコ(谷口耕平)。エックリーティコとエルネストはブォナフェーデの娘二人と、チェッコはブォナフェーデの召使と結婚したいと考えており、彼らは一計を案じることにする。それぞれの相手役は後ほど第2場で登場するのだが、3組のカップルの衣裳が青・ピンク・緑に対応しており、登場人物を華やかに引き立てるとともに、登場人物が多く混乱しがちなオペラにおいてさりげなく、かつスマートな効果をあげていた。衣裳は下斗米大輔(エフ・ジー・ジー)。

策を練るエルネスト(大賀真理子)・エックリーティコ(清原邦仁)・チェッコ(谷口耕平)
エルネストとチェッコが客席(宝塚歌劇でいうところの“銀橋”)を使ってアリアを歌う間に、舞台は第1場のエックリーティコの研究所から第2場のブォナフェーデ家へシームレスに転換。ズボン役の大賀によるのびやかなアルトや、道化役・チェッコの「望遠鏡は見えても、自分のことは見えていない」と皮肉る歌唱は、単なる場繋ぎではなく見ていて飽きさせない。
姉・フラミーニア(野口真瑚)と妹・クラリーチェ(梨谷桃子)、召使のリゼッタ(村岡瞳)が一家の主であるブォナフェーデと口論になる。それぞれの登場人物の自己紹介のように歌われるアリアはいずれも甲乙つけ難いほどに素晴らしく、そのコロラトゥーラやカデンツァに客席からは惜しみない「Brava!」の声がかかった。リゼッタのアリアでは、妖艶な照明やハートマークを多用した字幕がいい仕事をしており、召使でありながら実は主人の愛人という魔性の女っぷりを引き立てていた。字幕は設定ミスだったのだろうか、文字数の多い台詞が一部脱落してしまっていたのが悔やまれる。
姉・フラミーニア(野口真瑚)と妹・クラリーチェ(梨谷桃子)、召使のリゼッタ(村岡瞳)が一家の主であるブォナフェーデと口論になる。それぞれの登場人物の自己紹介のように歌われるアリアはいずれも甲乙つけ難いほどに素晴らしく、そのコロラトゥーラやカデンツァに客席からは惜しみない「Brava!」の声がかかった。リゼッタのアリアでは、妖艶な照明やハートマークを多用した字幕がいい仕事をしており、召使でありながら実は主人の愛人という魔性の女っぷりを引き立てていた。字幕は設定ミスだったのだろうか、文字数の多い台詞が一部脱落してしまっていたのが悔やまれる。

フラミーニア(野口真瑚)

クラリーチェ(梨谷桃子)

ブォナフェーデ(桝貴志)とリゼッタ(村岡瞳)
ブォナフェーデの元へ、月の世界に招待されたというエックリーティコがやってくる。「この薬を飲めば月に行ける」というが実際にはそれは睡眠薬。月に行くフリとして手で羽ばたいて飛んでいこうとするエックリーティコ。月に行けると思いこみながら眠りにおちていくブォナフェーデ。そんな彼を見て死んでしまったと泣き笑いするクラリーチェとリゼッタ。三者三様の思惑が交錯するのがなんともおかしい。

エックリーティコ(清原邦仁)に騙されたブォナフェーデ(桝貴志)を見守るクラリーチェ(梨谷桃子)とリゼッタ(村岡瞳)
浮遊感のある音楽とともに背景の映像が変化する。実はこのコンサートは今年で5年目の「Concert’Opera(コンチェルトペラ)」と銘打たれたシリーズに連なるそうで、副題によると「音楽とお芝居、映像の新しいかたちのコンサート・オペラ」だそうだ。筆者の音大での恩師のひとりでもあるミュージックコミュニケーション専攻元教員の久保田テツの映像は、この後も音楽に合わせてリアルタイムに動いているように観えた部分もあり、すばらしい効果を生んでいた。

合唱(声楽専攻生)とバンダ(管楽器専攻生)

クラリーチェ(梨谷桃子)とエックリーティコ(清原邦仁)
休憩を挟んで第2幕は月世界(実際はエックリーティコ家の庭)でのドタバタ劇がアリアを中心に進行する。月世界の皇帝に扮したチェッコがリゼッタを皇后に指名したり、エックリーティコとクラリーチェ、星の精に扮したエルネストとフラミーニアを結びつけたりと、“なんでもあり”な月の世界なのをいいことにやりたい放題。地球では最下層だった従者と召使の二人が月世界では皇帝になるというのは、この作品よりすこし後のモーツァルト歌劇にありそうな風刺が効いている。月世界の住人に扮した弟子たちとの、デタラメ月語でのやりとりとそれに付けられた謎ダンスは250年前の台本とは思えないほど笑いのセンスに溢れている。やがて嘘は露見するのだが、最後はオペラ・ブッファにありがちな“なんとなくいい感じ”になって終わる。
キャストももちろん素晴らしいのだが、コレペティートルとして稽古に帯同し、本番はチェンバロとしてレチタティーヴォのみならず劇全体を引っ張った梁川夏子には拍手を送りたい。くすぐりとして、ヴィヴァルディの〈春〉や映画『2001年宇宙の旅』で使用された《ツァラトゥストラはかく語りき》、ホルストの〈木星〉を入れてくるセンスにはニヤリとさせられた。
このシリーズは来年も続けられるようで、2026年11月8日に予定されている第69回定期演奏会では、またも関西初演となるハイドンの歌劇《報われぬ不実》が上演されるという。隠れた名作を新しい演出で魅せるという、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のConcert’Operaシリーズにこれからも目が離せない。
キャストももちろん素晴らしいのだが、コレペティートルとして稽古に帯同し、本番はチェンバロとしてレチタティーヴォのみならず劇全体を引っ張った梁川夏子には拍手を送りたい。くすぐりとして、ヴィヴァルディの〈春〉や映画『2001年宇宙の旅』で使用された《ツァラトゥストラはかく語りき》、ホルストの〈木星〉を入れてくるセンスにはニヤリとさせられた。
このシリーズは来年も続けられるようで、2026年11月8日に予定されている第69回定期演奏会では、またも関西初演となるハイドンの歌劇《報われぬ不実》が上演されるという。隠れた名作を新しい演出で魅せるという、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のConcert’Operaシリーズにこれからも目が離せない。

Text / 坂井威文Photo / 上田浩江(上田浩江写真事務所)

坂井威文(Takafumi Sakai)
合唱指揮者、合唱文化研究者。大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション専攻卒業、同大学院音楽学研究室修了。豊中などで13の合唱団の指揮・指導を行なっている。大阪府合唱連盟理事、関西合唱連盟主事、宝塚国際室内合唱コンクール委員会理事。
合唱指揮者、合唱文化研究者。大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション専攻卒業、同大学院音楽学研究室修了。豊中などで13の合唱団の指揮・指導を行なっている。大阪府合唱連盟理事、関西合唱連盟主事、宝塚国際室内合唱コンクール委員会理事。











