音楽で社会と世界に貢献するという志-卒業生の活躍
陸上自衛隊中央音楽隊の副隊長を務める、柴田昌宜さん。ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院国際マスタークラスに参加してディプロマを取得し、優秀者演奏会に選出されてドイツカンマーアカデミーオーケストラを指揮するなど、国内外での活動を重ねる中で、2025年11月にはポーランド・ワルシャワで開かれた「ワルシャワ国際吹奏楽指揮者コンペティション2025」で第1位に輝きました。大阪音楽大学での学び、自衛隊音楽隊での経験、そして国際コンクールへの挑戦。音楽を通じて社会に貢献したいという思いを胸に歩んできた道のりを、ご寄稿いただいた文章でたどります。
音楽との出会いと指揮者への芽生え

幼少期はピアノを演奏
実家がピアノ教室を営んでいたので、音楽は身近な存在でした。ちなみに母も大阪音大の卒業生です。小学生の頃に金管バンドクラブに所属し、小学校ではトロンボーンを2年演奏していましたが、ひとりで演奏するピアノに比べて、皆で音を合わせて音楽を作り上げる楽しさと音色の豊かさにあっという間に引き込まれました。
中学生からは旋律を演奏したい一心で、トランペットを選びました。中学時代の恩師からオーケストラの素晴らしさを教わり、熱中してクラシック音楽を聴くようになりました。初めて指揮を振ったのも中学生の頃です。高校は吹奏楽部がそれほど盛んではなかったため、私が学生指揮を務めて普段の練習を行っていました。
高校に進学してすぐ音楽大学への進学を考えるようになり、当時大阪フィルハーモニー交響楽団の奏者だった橋爪伴之先生にトランペットを師事しました。同じ高校で音大進学を目指していた先輩と切磋琢磨しながら、トランペットだけでなくピアノやソルフェージュ、楽典などを学ぶ中で、少しずつ深く音楽を見つめることができるようになったと思います。その頃から指揮者になりたい夢を抱いていましたが、様々な先生から、まずは一つの楽器を通して音楽を深く理解してから指揮者を目指すのも良い、という助言をいただき、納得しました。
高校に進学してすぐ音楽大学への進学を考えるようになり、当時大阪フィルハーモニー交響楽団の奏者だった橋爪伴之先生にトランペットを師事しました。同じ高校で音大進学を目指していた先輩と切磋琢磨しながら、トランペットだけでなくピアノやソルフェージュ、楽典などを学ぶ中で、少しずつ深く音楽を見つめることができるようになったと思います。その頃から指揮者になりたい夢を抱いていましたが、様々な先生から、まずは一つの楽器を通して音楽を深く理解してから指揮者を目指すのも良い、という助言をいただき、納得しました。

ピアノからトロンボーン、そしてトランペットへ
大学での学びと専攻科での転機
大学生活は充実そのものでした。トランペットの専攻生だけでも40人以上いましたから、身近に刺激を受ける存在がありすぎて困るぐらいでした。大阪音大は人間関係が濃密で、たくさんの演奏活動を通じてコミュニケーションや共に音楽を作り上げる喜びも学ぶことができました。吹奏楽やトランペットアンサンブルなど、授業だけで飽き足らず、課外に皆で集まって練習し、ミレニアムホールや市のホールを借りてコンサートを開催するなど、学生の自主的な活動も先生方に力強く後押ししていただきました。
卒業後について迷っていた際に、指揮の故・松尾昌美教授にお声掛けいただいたことが進路を決める大きなきっかけとなりました。副科指揮法を熱心に受講していたことが理由だったそうですが、私自身長く指揮に興味を持ち憧れを抱いていましたので、トランペットを続けながら夢だった指揮を本格的に学ぼうと専攻科に進むことを決めました。
トランペット奏者として音楽を眺めるだけでも大変なのに、指揮者として音楽全体を捉えることが果たして自分にできるのか、不安の中で勉強が始まりましたが、1ヶ月も経たないうちに自分の生きる道は「指揮」なのだと確信するようになりました。非常に充実した授業内容で、特にオペラの授業に参加して学生オペラの副指揮を務め、歌の音楽や舞台芸術を知ることができたことで大きく視野が広がりました。専攻科の一年はとても厳しい課題がたくさんありましたが、指揮者としての一歩を踏み出すことができ当時ご指導いただいた先生方には心より感謝しています。
卒業後について迷っていた際に、指揮の故・松尾昌美教授にお声掛けいただいたことが進路を決める大きなきっかけとなりました。副科指揮法を熱心に受講していたことが理由だったそうですが、私自身長く指揮に興味を持ち憧れを抱いていましたので、トランペットを続けながら夢だった指揮を本格的に学ぼうと専攻科に進むことを決めました。
トランペット奏者として音楽を眺めるだけでも大変なのに、指揮者として音楽全体を捉えることが果たして自分にできるのか、不安の中で勉強が始まりましたが、1ヶ月も経たないうちに自分の生きる道は「指揮」なのだと確信するようになりました。非常に充実した授業内容で、特にオペラの授業に参加して学生オペラの副指揮を務め、歌の音楽や舞台芸術を知ることができたことで大きく視野が広がりました。専攻科の一年はとても厳しい課題がたくさんありましたが、指揮者としての一歩を踏み出すことができ当時ご指導いただいた先生方には心より感謝しています。

専攻科で指揮を専攻。充実した学生生活を送る柴田昌宜さん(中央)
自衛隊音楽隊での経験と国際舞台への挑戦
専攻科在学中に、陸上自衛隊音楽隊で指揮者(幹部候補生)を初めて公募する話を伺い、深く考えることなく自分を試すようなつもりで受験しました。1次試験は自衛隊の幹部候補生としての筆記試験があり、2次試験では指揮やソルフェージュ、ピアノ、面接など多くの科目がありました。他の進路の選択肢として、大学院への進学や留学、オペラの演奏助手、教員といった道も考えましたが、多くの受験者の中から選んでいただき導かれるように自衛隊音楽隊での道が開かれていきました。
私は自衛隊の幹部候補生として採用されましたので、入隊して初めの1年間は、音楽ではなく陸上自衛隊の幹部候補生学校での教育が待っていました。厳しい訓練や難しい勉強、集団生活など音大とは180度違う環境でかなりのカルチャーショックを受けました。何度となく挫けそうになりながらも、多くの支えに助けられ、無事に一年を乗り越えることができました。その後、東京の朝霞駐屯地にある中央音楽隊の配属となり、音楽隊のマネージメントや式典などの指揮、全国各地にある音楽隊員の教育を担当するなど、音楽隊の幹部自衛官としての仕事が始まりました。
前述の音楽から離れた1年の教育期間は、苦しい反面、自分にとってどれほど音楽が大切な存在であるかを痛感する時間でもありました。その反動から、その後東京で過ごした20代では本当に死ぬ気で指揮の勉強に励むことができ、人生には本当に無駄なことはないのだなと実感しています。そして毎週の指揮のレッスンや和声やアナリーゼの勉強を継続している中で、海外のマスタークラスにも挑戦したいという想いが芽生え、思い切ってザルツブルク・モーツァルテウム音楽院国際マスタークラスのオーディションを受け合格することができました。
私は自衛隊の幹部候補生として採用されましたので、入隊して初めの1年間は、音楽ではなく陸上自衛隊の幹部候補生学校での教育が待っていました。厳しい訓練や難しい勉強、集団生活など音大とは180度違う環境でかなりのカルチャーショックを受けました。何度となく挫けそうになりながらも、多くの支えに助けられ、無事に一年を乗り越えることができました。その後、東京の朝霞駐屯地にある中央音楽隊の配属となり、音楽隊のマネージメントや式典などの指揮、全国各地にある音楽隊員の教育を担当するなど、音楽隊の幹部自衛官としての仕事が始まりました。
前述の音楽から離れた1年の教育期間は、苦しい反面、自分にとってどれほど音楽が大切な存在であるかを痛感する時間でもありました。その反動から、その後東京で過ごした20代では本当に死ぬ気で指揮の勉強に励むことができ、人生には本当に無駄なことはないのだなと実感しています。そして毎週の指揮のレッスンや和声やアナリーゼの勉強を継続している中で、海外のマスタークラスにも挑戦したいという想いが芽生え、思い切ってザルツブルク・モーツァルテウム音楽院国際マスタークラスのオーディションを受け合格することができました。

ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院国際マスタークラスのクラスメートと共に(右から2人目)
約2週間日本を離れ、音楽の本場ザルツブルクで勉強できたことは本当に幸せな時間でした。世界各国から6名が集まり、終始グループでの実践的なレッスンが行われました。校訂などでも世界的に著名なマエストロ、ペーター・ギュルケ氏の本格的かつ的確なご指導の下、いま思い出しても有意義で貴重な経験を得ることができました。最終的に優秀者演奏会にも選出していただき、ドイツ・カンマー・アカデミーオーケストラとストラヴィンスキーの「ダンバートン・オークス」を指揮させていただきました。
そして第20代中部方面音楽隊長に着任します。兵庫県伊丹駐屯地に所在し、陸上自衛隊の中でも中規模の音楽隊ですが、地元関西で仕事ができることは本当に嬉しいことでした。ここに至るまで、沖縄の音楽隊での隊長勤務をはじめ、中央音楽隊、防衛省陸上幕僚監部広報室での勤務、海外での活動など、時には厳しく大変な仕事もありましたが、多くの経験を積み自分でも成長も実感できていましたので、満を持して着任することができたという思いでした。
実は私が大音の学生時代、すぐ近くにありながら一度も中部方面音楽隊の演奏を聴いたことがありませんでした。ですので、まずは知名度を上げて知っていただくこと、そして“どんな演奏会でも絶対に感動をお届けする”ということを目標に、演奏の水準を上げ、演奏会の企画や演出も創意工夫を凝らし、また動画配信などにも挑戦しました。5年間の在任期間にはコロナ禍もありましたが、ピンチはチャンスと捉え、手前味噌ですが多くの方々に勇気や希望をお伝えすることができたと感じています。
そして第20代中部方面音楽隊長に着任します。兵庫県伊丹駐屯地に所在し、陸上自衛隊の中でも中規模の音楽隊ですが、地元関西で仕事ができることは本当に嬉しいことでした。ここに至るまで、沖縄の音楽隊での隊長勤務をはじめ、中央音楽隊、防衛省陸上幕僚監部広報室での勤務、海外での活動など、時には厳しく大変な仕事もありましたが、多くの経験を積み自分でも成長も実感できていましたので、満を持して着任することができたという思いでした。
実は私が大音の学生時代、すぐ近くにありながら一度も中部方面音楽隊の演奏を聴いたことがありませんでした。ですので、まずは知名度を上げて知っていただくこと、そして“どんな演奏会でも絶対に感動をお届けする”ということを目標に、演奏の水準を上げ、演奏会の企画や演出も創意工夫を凝らし、また動画配信などにも挑戦しました。5年間の在任期間にはコロナ禍もありましたが、ピンチはチャンスと捉え、手前味噌ですが多くの方々に勇気や希望をお伝えすることができたと感じています。
コンクールには、若い頃から何度も挑戦してきました。もちろんその壁は相当高く挫折の連続でした。すでに45歳の私には年齢的に機会はないと思っていたところ、年齢制限がない「ワルシャワ国際吹奏楽指揮者コンペティション2025」コンクールを紹介いただき、思い切って挑戦することを決めました。
課題曲は初めて取り組む曲ばかりでしたが、一曲だけ私が高校生の頃から大好きだったモーツァルトの管楽セレナーデc-mollがあったことが、受験する最終的な決め手になったように思います。指揮者コンクールでは演奏ももちろん大変ですが、私にとって一番の障壁は「言葉の壁」です。指揮だけでなくリハーサルをすることも審査対象になりますので、英語の準備には曲の解釈と同じくらいの時間をかけました。
コンクールはワルシャワのフレデリック・ショパン音楽大学で開催され、ビデオ審査を通過した世界13カ国・約30名が集まりました。3日間にわたり、3つのステージが行われ、1次はピアノ2台に対する指揮、2次は管楽アンサンブルへのリハーサル、ファイナルは吹奏楽に対するリハーサルと指揮を行いました。それぞれのステージでは全員の演奏が終わるとすぐ審査が行われその場で通過者が発表されたため、毎回ものすごい緊張がありました。
特に2次のリハーサル課題は私にとって一番の鬼門で、1次を通過した12名はそれぞれ素晴らしい指揮者でしたから、自分の出番を待っている間はとても緊張し、自信を失いそうになりました。しかしここでの課題曲がモーツァルトの管楽セレナーデでしたので、自分の培ってきたことを信じ、演奏者と共に美しいモーツァルトの音楽を奏でることだけに集中しようと奮い立たせ、強弱のコントラストと非和声音を大切にした音楽づくりで合奏に臨みました。ファイナルステージではポーランド陸軍軍楽隊への指揮となりましたが、ここまで進めたことへの感謝を胸に、後悔を残さないように自らの音楽に集中したことで、持てる力が発揮でき良い結果に繋がったと思います。
課題曲は初めて取り組む曲ばかりでしたが、一曲だけ私が高校生の頃から大好きだったモーツァルトの管楽セレナーデc-mollがあったことが、受験する最終的な決め手になったように思います。指揮者コンクールでは演奏ももちろん大変ですが、私にとって一番の障壁は「言葉の壁」です。指揮だけでなくリハーサルをすることも審査対象になりますので、英語の準備には曲の解釈と同じくらいの時間をかけました。
コンクールはワルシャワのフレデリック・ショパン音楽大学で開催され、ビデオ審査を通過した世界13カ国・約30名が集まりました。3日間にわたり、3つのステージが行われ、1次はピアノ2台に対する指揮、2次は管楽アンサンブルへのリハーサル、ファイナルは吹奏楽に対するリハーサルと指揮を行いました。それぞれのステージでは全員の演奏が終わるとすぐ審査が行われその場で通過者が発表されたため、毎回ものすごい緊張がありました。
特に2次のリハーサル課題は私にとって一番の鬼門で、1次を通過した12名はそれぞれ素晴らしい指揮者でしたから、自分の出番を待っている間はとても緊張し、自信を失いそうになりました。しかしここでの課題曲がモーツァルトの管楽セレナーデでしたので、自分の培ってきたことを信じ、演奏者と共に美しいモーツァルトの音楽を奏でることだけに集中しようと奮い立たせ、強弱のコントラストと非和声音を大切にした音楽づくりで合奏に臨みました。ファイナルステージではポーランド陸軍軍楽隊への指揮となりましたが、ここまで進めたことへの感謝を胸に、後悔を残さないように自らの音楽に集中したことで、持てる力が発揮でき良い結果に繋がったと思います。
音楽で社会に貢献するという使命

ワシントンDCで開催されたABA総会で、米五軍合同バンドを客演指揮
現在副隊長を務めている中央音楽隊は海外からの国賓や公賓の方々をお迎えする演奏を担当するなど、名実ともに日本を代表する音楽隊です。国内各地でのコンサートを始め、レコーディングや海外軍楽隊との共演など、年に200回に及ぶ演奏活動を行っています。
また私が10年間携わってきた活動として、パプアニューギニア国防軍軍楽隊の能力構築支援という事業があります。当国には元々軍楽隊がなく、ゼロから立ち上げ、楽譜の読み方から楽器の奏法、マーチングなど、軍楽隊として必要なすべてを伝え、いまでは立派に演奏活動ができるまでに育ちました。
自衛隊に入隊する後輩たちに対しての教育にも力を入れており、指揮者・楽器奏者を問わず、演奏技術だけでなく、楽曲分析やソルフェージュ、演奏会を行うための企画、音響・編曲など様々な分野を総合的に育成できるようなシステムを構築しました。このように音楽隊での私の役割は指揮者という側面に加え、マネージメントや教育者という多くの側面を持っています。
縁あって入隊し、ここまで歩んできた自衛隊の音楽隊での仕事は、まさに音楽を通じて日本のみならず世界の平和と安定に貢献する活動だと思っています。また悠久の歴史や優れた文化を有する日本、そして古くから受け継いできた精神性などを次世代に引き継ぐ役割も果たしていきたいと思っています。
これまでの自分の音楽との関りを振り返ると、人生におけるキーポイントはまさに大阪音大で学んだ5年間だと思っています。音楽を志して入学した大学生活は本当に充実していて、授業や演奏会を通じて学んだ多くのことをはじめ、先生方や同級生、先輩、後輩など、濃密な人間関係からかけがえのないものを得ることができました。もちろんスランプや挫折も経験しましたが、諦めずにチャレンジし続けたことで、現在の自分に繋がったのではないかと思います。
演奏で仕事することは決して簡単なことではありませんが、「将来自分が何をしたいか」をなるべく早い時期に明確にすることができれば、それを叶えるために今自分がなすべきことが見えてきます。そして諦めず挑戦し続けることが夢を叶える一番の近道だと思います。もちろん音楽以外の仕事でも同じことがいえると思いますが、自分のやりたいことだけではなく、社会や他人のために貢献できる生き方を意識することが大切だと思っています。
また私が10年間携わってきた活動として、パプアニューギニア国防軍軍楽隊の能力構築支援という事業があります。当国には元々軍楽隊がなく、ゼロから立ち上げ、楽譜の読み方から楽器の奏法、マーチングなど、軍楽隊として必要なすべてを伝え、いまでは立派に演奏活動ができるまでに育ちました。
自衛隊に入隊する後輩たちに対しての教育にも力を入れており、指揮者・楽器奏者を問わず、演奏技術だけでなく、楽曲分析やソルフェージュ、演奏会を行うための企画、音響・編曲など様々な分野を総合的に育成できるようなシステムを構築しました。このように音楽隊での私の役割は指揮者という側面に加え、マネージメントや教育者という多くの側面を持っています。
縁あって入隊し、ここまで歩んできた自衛隊の音楽隊での仕事は、まさに音楽を通じて日本のみならず世界の平和と安定に貢献する活動だと思っています。また悠久の歴史や優れた文化を有する日本、そして古くから受け継いできた精神性などを次世代に引き継ぐ役割も果たしていきたいと思っています。
これまでの自分の音楽との関りを振り返ると、人生におけるキーポイントはまさに大阪音大で学んだ5年間だと思っています。音楽を志して入学した大学生活は本当に充実していて、授業や演奏会を通じて学んだ多くのことをはじめ、先生方や同級生、先輩、後輩など、濃密な人間関係からかけがえのないものを得ることができました。もちろんスランプや挫折も経験しましたが、諦めずにチャレンジし続けたことで、現在の自分に繋がったのではないかと思います。
演奏で仕事することは決して簡単なことではありませんが、「将来自分が何をしたいか」をなるべく早い時期に明確にすることができれば、それを叶えるために今自分がなすべきことが見えてきます。そして諦めず挑戦し続けることが夢を叶える一番の近道だと思います。もちろん音楽以外の仕事でも同じことがいえると思いますが、自分のやりたいことだけではなく、社会や他人のために貢献できる生き方を意識することが大切だと思っています。

10年間支援してきたパプアニューギニア国防軍軍楽隊の皆さんと
Report & Photo/柴田昌宜

柴田昌宜(Masanori Shibata)
大阪音楽大学卒業(トランペット)、同大学専攻科修了(指揮)。
2003年、陸上自衛隊に幹部候補生として入隊し中央音楽隊配属となる。2007年から第15音楽隊長(那覇)を務めたのち、中央音楽隊を経て防衛省陸上幕僚監部広報室で陸上自衛隊の広報を担当。2017年から中部方面音楽隊長(伊丹)を務め、2023年3月から現職。
この間、2025年にポーランドで開催された「ワルシャワ国際指揮者コンクール」において第1位を獲得。またモーツァルテウム音楽大学マスタークラスでの指揮のディプロマの取得や、東京藝術大学での研修など国内外で多くの研鑽を積む。また米国防総省(ペンタゴン)での海兵隊軍楽隊とのコンサートや、ワシントンDCで開催されたABA総会での米五軍合同バンドの客演指揮、パプアニューギニア国防軍軍楽隊の育成支援など音楽による数多くの防衛交流に貢献。レコーディングでは日本コロムビアやブレーンから自身の指揮による多数のアルバムが出版され、学生に対する吹奏楽指導やコンクール審査、執筆など音楽教育の活動も行う。2021年からは故郷兵庫県加古川市の観光大使も務めている。
これまでに、指揮を下野竜也、松尾昌美、夏田昌和、P.ギュルケ、作曲法を川島素晴の各氏に師事。
大阪音楽大学卒業(トランペット)、同大学専攻科修了(指揮)。
2003年、陸上自衛隊に幹部候補生として入隊し中央音楽隊配属となる。2007年から第15音楽隊長(那覇)を務めたのち、中央音楽隊を経て防衛省陸上幕僚監部広報室で陸上自衛隊の広報を担当。2017年から中部方面音楽隊長(伊丹)を務め、2023年3月から現職。
この間、2025年にポーランドで開催された「ワルシャワ国際指揮者コンクール」において第1位を獲得。またモーツァルテウム音楽大学マスタークラスでの指揮のディプロマの取得や、東京藝術大学での研修など国内外で多くの研鑽を積む。また米国防総省(ペンタゴン)での海兵隊軍楽隊とのコンサートや、ワシントンDCで開催されたABA総会での米五軍合同バンドの客演指揮、パプアニューギニア国防軍軍楽隊の育成支援など音楽による数多くの防衛交流に貢献。レコーディングでは日本コロムビアやブレーンから自身の指揮による多数のアルバムが出版され、学生に対する吹奏楽指導やコンクール審査、執筆など音楽教育の活動も行う。2021年からは故郷兵庫県加古川市の観光大使も務めている。
これまでに、指揮を下野竜也、松尾昌美、夏田昌和、P.ギュルケ、作曲法を川島素晴の各氏に師事。












