【特別講義】髙谷光信氏がみる、戦時下のウクライナ音楽界
ロシア連邦の軍事侵攻によりもたらされたウクライナ音楽界の現状から、「戦争と音楽」について考える特別講義が一般に公開されて実施されました。戦争という極限状況においてウクライナの、そしてロシアの音楽家たちは何を考え、どう歩んでいるか。ウクライナで約20年にわたりオーケストラ指揮者として活動してきた髙谷光信氏(音楽学部器楽学科卒業)は、多くの音楽仲間がもがき苦しんでいる現状を音楽家の視点から語りました。
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憧れから、体当たりで留学
髙谷光信さん
髙谷さんとウクライナとの縁は、高校時代までさかのぼります。姉妹校だったキーウ市立ルイセンコ音楽院の生徒が来日して共演する機会があり、その時に髙谷家にホームステイしたチェロの学生がキーウの音楽院のすばらしさを教えてくれました。
大阪音楽大学のトランペット専攻を経て指揮者を志す中、師匠から「海外で武者修行を」「プロの指揮者になるためには、自分の道を自ら切り開いていく力が必要だ」と背中を押され、留学先に決めたのは憧れのウクライナ。
所持金15万円、滞在期間2ヵ月でウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院指揮科を〝体当たり受験〟します。
ここしかない、と必死に食らいついた結果、受験の機会を得てウクライナ国家芸術家のE.ドゥーシェンコ先生から入学が認められました。
学生時代はドゥーシェンコ先生からは多くの事を教わりました。中でも「愛情を持って叩き込んでくださった」というのは〝スラブ音楽の魂〟。スラブ音楽とは、スラブ民族の音楽や、スラブの文化圏で生まれた音楽。スラブ民族はロシアやウクライナ、ポーランド、チェコ、セルビアなど広範囲に分布します。
大阪音楽大学のトランペット専攻を経て指揮者を志す中、師匠から「海外で武者修行を」「プロの指揮者になるためには、自分の道を自ら切り開いていく力が必要だ」と背中を押され、留学先に決めたのは憧れのウクライナ。
所持金15万円、滞在期間2ヵ月でウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院指揮科を〝体当たり受験〟します。
ここしかない、と必死に食らいついた結果、受験の機会を得てウクライナ国家芸術家のE.ドゥーシェンコ先生から入学が認められました。
学生時代はドゥーシェンコ先生からは多くの事を教わりました。中でも「愛情を持って叩き込んでくださった」というのは〝スラブ音楽の魂〟。スラブ音楽とは、スラブ民族の音楽や、スラブの文化圏で生まれた音楽。スラブ民族はロシアやウクライナ、ポーランド、チェコ、セルビアなど広範囲に分布します。
ウクライナで根を張り、20年
音楽院の卒業試験は論文ではなく、演奏会をゼロから作り上げるという課題で、コンサートのチラシづくり、メンバーやオーケストラ決め、選曲、集客など企画から実演までに取り組みました。その時に出会ったのが、後に長く常任指揮者をつとめることになる、ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団のメンバーでした。「あれからずっと、共に音楽を奏でてきた大切な仲間です。彼らがいたから今の私がいます」
ウクライナの人たちにとって音楽はとても身近で、コンサートに行くことも決して特別なことではありません。髙谷さんのことも「この町のマエストロ」として迎え入れ、支えてくれました。「町の人と演奏家の距離はすごく近くて、そこには温かい愛情が交わされていたんです。僕はこの町に必要とされている、僕はここが居場所なんだと思いました」
1年の3分の1はウクライナに滞在し、日本と行き来する生活が20年以上続き、タクトをとった演奏会は120回を超えます。2017年には日本とウクライナの国交25周年を記念する第九の演奏会をウクライナで行いました。血縁にはウクライナの家族もできました。
ウクライナで10年ほどキャリアを積んだころ、〝ニコパパ〟と呼ぶウクライナのお父さん、チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団音楽監督のニコライ・スーカッチさんとの忘れがたい出来事がありました。
チェルニーヒウフィルとラフマニノフの交響的舞曲を演奏する機会があり、十分に準備してリハーサルに臨んでいた時のことです。〝ニコパパ〟が「ミツ、お前は一体何をやっているんだ。スラブ音楽を全然分かっていない」と叱責。そしてオーケストラのメンバーに、日本人の髙谷さんにスラブの心を教え、髙谷さんが日本に持ち帰って演奏することによって「スラブの心が残っていく」と説きました。「その後の彼らの演奏は本当にすごかった。ラフマニノフって、こんな音が鳴るんだって。その感覚は私の血と肉になっています」と振り返ります。
ウクライナの人たちにとって音楽はとても身近で、コンサートに行くことも決して特別なことではありません。髙谷さんのことも「この町のマエストロ」として迎え入れ、支えてくれました。「町の人と演奏家の距離はすごく近くて、そこには温かい愛情が交わされていたんです。僕はこの町に必要とされている、僕はここが居場所なんだと思いました」
1年の3分の1はウクライナに滞在し、日本と行き来する生活が20年以上続き、タクトをとった演奏会は120回を超えます。2017年には日本とウクライナの国交25周年を記念する第九の演奏会をウクライナで行いました。血縁にはウクライナの家族もできました。
ウクライナで10年ほどキャリアを積んだころ、〝ニコパパ〟と呼ぶウクライナのお父さん、チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団音楽監督のニコライ・スーカッチさんとの忘れがたい出来事がありました。
チェルニーヒウフィルとラフマニノフの交響的舞曲を演奏する機会があり、十分に準備してリハーサルに臨んでいた時のことです。〝ニコパパ〟が「ミツ、お前は一体何をやっているんだ。スラブ音楽を全然分かっていない」と叱責。そしてオーケストラのメンバーに、日本人の髙谷さんにスラブの心を教え、髙谷さんが日本に持ち帰って演奏することによって「スラブの心が残っていく」と説きました。「その後の彼らの演奏は本当にすごかった。ラフマニノフって、こんな音が鳴るんだって。その感覚は私の血と肉になっています」と振り返ります。
両国の音楽家たちは今
チェルニーヒウフィルのメンバーは約半数となり、今も軍隊に所属して戦場で戦っている奏者もいます。ウクライナ国立歌劇場はロシア人作曲家の作品の上演を禁止し、ウクライナ議会はロシアの一部の音楽と出版物を禁止する法案を可決。「彼らが愛した作曲家たちなのに、その素晴らしさを教えてくれたのは彼らなのに。私は本当に悲しく、やるせない気持ちになります。戦争によって音楽までもが分断されてしまったことに、怒りを感じています」
故郷のウクライナと、これから生きる場所としたロシアの狭間で苦しんでいるピアニスト。
自分の暮らす町がロシアに占領され、それを祝う演奏会の指揮を命じられるも拒否したために射殺されてしまった指揮者。
ロシアとフランスのどちらを選ぶかという選択を迫られ、両国の音楽監督という大きなポストを2つとも自ら即刻辞任したロシア人指揮者。
仲間が多く犠牲になっている中、自分は音楽家として「歌うことで戦っている」という、日本で生活するウクライナの歌手。
ウクライナで、ロシアで、世界各地で苦しむ音楽家たち。戦争の悲劇に深い憂慮を抱かざるを得ません。
「ウクライナの市民は学ぶ自由、家族と過ごす自由、好きな音楽を奏でる自由を奪われています。こんな理不尽なことが今現在起きていることを知って、そして考えてほしいです」と髙谷さんは語気を強めます。
そして「本当の自由」とは、「各々が自分の生きたいという人生を目いっぱい生きること」だといい、「音楽家の道を志す皆さん、一生懸命勉強されていることと思います。大変でしょうが、勉強できることはとても幸せなこと。それをかみしめて、どうか自分の人生を切り開いていってください」と次代を担う後輩たちの背中を押しました。
故郷のウクライナと、これから生きる場所としたロシアの狭間で苦しんでいるピアニスト。
自分の暮らす町がロシアに占領され、それを祝う演奏会の指揮を命じられるも拒否したために射殺されてしまった指揮者。
ロシアとフランスのどちらを選ぶかという選択を迫られ、両国の音楽監督という大きなポストを2つとも自ら即刻辞任したロシア人指揮者。
仲間が多く犠牲になっている中、自分は音楽家として「歌うことで戦っている」という、日本で生活するウクライナの歌手。
ウクライナで、ロシアで、世界各地で苦しむ音楽家たち。戦争の悲劇に深い憂慮を抱かざるを得ません。
「ウクライナの市民は学ぶ自由、家族と過ごす自由、好きな音楽を奏でる自由を奪われています。こんな理不尽なことが今現在起きていることを知って、そして考えてほしいです」と髙谷さんは語気を強めます。
そして「本当の自由」とは、「各々が自分の生きたいという人生を目いっぱい生きること」だといい、「音楽家の道を志す皆さん、一生懸命勉強されていることと思います。大変でしょうが、勉強できることはとても幸せなこと。それをかみしめて、どうか自分の人生を切り開いていってください」と次代を担う後輩たちの背中を押しました。
最後に、ドゥーシェンコ先生からの言葉を紹介しました。「『人生とは喜びに向かうべきである』と。〝向かう〟ではなく〝向かうべき〟であるとおっしゃるところに、先生が積み重ねてこられた人生の重さ、深さ、その強さを感じずにはいられません。この言葉に私はウクライナの人々の精神がすべて込められていると思います」
Text / 齋藤架奈枝
現地写真 / 本人提供
現地写真 / 本人提供
髙谷 光信(Mitsunobu Takaya)
東京混声合唱団指揮者、ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団常任指揮者、一般社団法人日本ウクライナ音楽協会理事長、四條畷市市民総合センターNMP芸術監督、Jルークスシンガーズ音楽監督。
京都市立堀川高等学校音楽科(現・京都堀川音楽高等学校)を経て大阪音楽大学音楽学部器楽学科卒業、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院指揮科首席卒業。2003年、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院卒業時、ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団に客演指揮者として招かれプロデビューを果たす。首席客演指揮者、第2指揮者を経て2012年より常任指揮者。
2017年3月在ウクライナ日本大使館後援事業~ウクライナ日本国交25周年記念「ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団特別演奏会」に出演しウクライナ国立合唱団ドゥムカと共演する。また日本から「アンサンブルつるみ合唱団」やソリストも来訪しTV・新聞にて大きな話題として報じられた。2017年から故フジコ・ヘミングと共演を重ね好評を博す。2022年2月1日に「一般社団法人 日本ウクライナ音楽協会」を創設。理事長に就任する。関西大学客員教授、大阪芸術大学演奏学科客員准教授、名古屋芸術大学音楽領域・同大学院非常勤講師、武庫川女子大学音楽学部非常勤講師。
東京混声合唱団指揮者、ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団常任指揮者、一般社団法人日本ウクライナ音楽協会理事長、四條畷市市民総合センターNMP芸術監督、Jルークスシンガーズ音楽監督。
京都市立堀川高等学校音楽科(現・京都堀川音楽高等学校)を経て大阪音楽大学音楽学部器楽学科卒業、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院指揮科首席卒業。2003年、ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院卒業時、ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団に客演指揮者として招かれプロデビューを果たす。首席客演指揮者、第2指揮者を経て2012年より常任指揮者。
2017年3月在ウクライナ日本大使館後援事業~ウクライナ日本国交25周年記念「ウクライナ・チェルニーヒウフィルハーモニー交響楽団特別演奏会」に出演しウクライナ国立合唱団ドゥムカと共演する。また日本から「アンサンブルつるみ合唱団」やソリストも来訪しTV・新聞にて大きな話題として報じられた。2017年から故フジコ・ヘミングと共演を重ね好評を博す。2022年2月1日に「一般社団法人 日本ウクライナ音楽協会」を創設。理事長に就任する。関西大学客員教授、大阪芸術大学演奏学科客員准教授、名古屋芸術大学音楽領域・同大学院非常勤講師、武庫川女子大学音楽学部非常勤講師。