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「真夜中のドア」(本山秀毅)


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コラム
筆者/本山秀毅(大阪音楽大学・大阪音楽大学短期大学部 学長)
私は音楽との出会いが比較的遅く、その反動で急速にクラシックにのめり込み、高校、大学時代はひたすら「狭い範囲」の世界に没入していました。多くのコンサートに足を運びましたが、それらはほぼ100パーセント声楽やオペラが中心の「クラシック」。逆に言うとそれは、ポピュラーやジャズ、アイドル系のライブなど、他のジャンルの経験は「一切無し」ということを意味していました。もちろん学生時代の限られた予算では、ほかの音楽に見向きをしている余裕はなかったのですが、それを差し引いても現在の学生の皆さんには理解し難い「オタク・硬派路線」だったと言えるでしょう。

学生時代の本山秀毅学長

その「クラシック一辺倒」の私が「一度だけ」自ら足を運んだポップスのコンサートがありました。それは今を去ること40年前、私が大学2回生のことでした。

松原みき「真夜中のドア」

もちろん、若い世代の皆さんはご存じないでしょう。かくいう私も、彼女の歌う他の曲については全く知らないのです。「彼女のクールな容姿にも惹かれた」などと言うと一斉に引かれるかも知れませんが、どういう訳かこの曲一曲だけが、私の心に入り込み「ツボ」にはまりました。YouTubeやインターネット配信など考えもつかない時代のことです。私はレコード店(!)に、バイト代を握りしめて走り、ドーナツ盤(!)を購入しました。「B面(!)」は全く無視して、ひたすら繰り返し聴きました。しかし、私の「松原みき」へのこだわりはそれだけでは終わらなかったのです。自ら彼女のコンサートの情報をリサーチ(検索ではない!)してチケットをプレイガイド(!)で購入するという、それまでの私の行動パターンとしては「空前絶後」となる展開をたどりました。

生まれて初めてとなるこのライブへ足を運んだ時のことは、今でもよく覚えています。「初体験」に心細かった私は、声楽専攻の同級生(男性)の分までチケットを買って、無理やり同伴を頼みました。かなりの緊張と共に会場へ赴きましたが、クラシックとは異なる客層やロビーの雰囲気に、想像以上に戸惑いました。今となっては知る由もないのですが、その時自分がどのような服装をしていたのか、我ながら興味があります。

平静を装ってはいましたが、内心は演奏が始まってから周囲が立ち上がって手拍子をし始めたら、一体どのように振る舞えば良いのだろうと、ドキドキしていたのです。私は、あたりをきょろきょろと見回しながら、ぎごちなく周りの反応に合わせていたその様子は、単にノリの悪い不審者でした。そう、それは「ミスター・ビーン」の振る舞いそのものでした。

ライブの前後の鮮明な記憶に対して、実際パフォーマンスについては「真夜中のドア」以外は全く覚えていないのです。それでもこの「ライブ初体験」の印象は私にとって強烈なものとなり、興奮と共に帰途に着いたものでした。

今なぜこの一連の出来事を思い出したかというと、最近NHKの番組で、1990年代に流行した「シティポップ」と呼ばれるヒット曲の数々が、インドネシアのYouTuberに取り上げられたことから、リバイバルの兆しがある、という特集を目にしたからです。「悲しみは止まらない」「北ウィング」といった名前の知られたシンガーによる作品も取り上げられていましたが、報道はあくまで「真夜中のドア」を軸としたものでした。この曲を歌っていた松原みきさんは、2004年に若くして亡くなられたのですが、当時私は、同世代の彼女の死に、学生時代の思い出と共に深い感慨にとらわれたものでした。インターネットの可能性が音楽が世界へ拡がる環境を作り、彼女の思いを遺している、という切り口も伝えられていました。

海外で再発見され、歌い手の知名度によらずブレイクしているということは、何より「曲そのもの」に魅力があるからでしょう。実際、メロディーや歌詞は当時のバブリーな雰囲気が感じられますが、この曲の「サビ」部分には、一度聴いたら忘れられない強い個性とパワーがあります。偶然とは言えクラシックに染まっていた私に入り込み、ライブにまで足を運ばせるエネルギーを備えていた理由が、音楽そのものにしっかりと存在したのです。今回のリバイバルのニュースは、私のポップスの好みも捨てたものではなかったと、私を喜ばせました。音楽は最初から先入観を持たずに、心に感じるところに価値があることを示していたのです。誰もが自分の好みを基準に音楽の価値を測りがちですが、その外側にも多くの宝物と出会う可能性があることにも気付きました。

そして今の私には、ヒットを飛ばしていた彼女と同年代の、デビューを夢見る学生たちとの接点があります。また、かつてのヒットナンバーをカヴァーしてYouTubeで発信するという手法は、新設の「ミュージックビジネス」の学びに通じます。そして今の大阪音大には、クラスメイトを通してあらゆる音楽に触れることが出来る、得難い環境があることに改めて気付きました。

今回のように過去の出来事が付合し、現在の自分や「新たな発見」に繋がることは感動的ですらあります。これこそ「齢を重ねる」ことの意義だと感じるこの頃です。

本山秀毅(Hideki Motoyama)
京都市立芸術大学、フランクフルト音楽大学合唱指揮科卒業。帰国後はバッハの教会音楽を中心に演奏活動を続ける。京都バッハ合唱団、バッハアカデミー関西を設立。教会暦による作品の全曲演奏シリーズを続けている。合唱音楽全般の普及についても意欲的で、合唱指導法、指揮法などの講習会の講師、NHK学校音楽コンクール、全日本学校音楽コンクールをはじめとするコンクールの審査員などを務める。また関西における管弦楽つきの合唱作品の合唱指導、プロの声楽アンサンブルにおける指揮、バロック期の劇音楽品の上演など活動は幅広い。京都市音楽新人賞、大阪文化祭賞、藤堂音楽褒賞、長井賞などを受賞。大阪音楽大学学長。びわ湖ホール声楽アンサンブル桂冠指揮者。京都バッハ合唱団主宰。