巨匠からの遺産

朝比奈隆が23年ぶりに大阪音大管弦楽団を指揮──新聞各紙で取り上げられ話題になったこの共演は、1997年(平成9年)秋、本学名誉教授で理事であった朝比奈が久しぶりに本学を訪れ、オーケストラの授業を参観したことがきっかけで実現した。突然目の前に現れた朝比奈の姿に学生たちは緊張し驚いたが、大感激し、オーケストラの音まで変わったという。この様子を見て、案内した西岡学長が無理を承知で願い出たところ、快諾を得たのである。このとき朝比奈89歳。当時の現役指揮者として世界最高齢であり、厳選して仕事を行っていたマエストロに学生たちの指揮を引き受けてもらえることになり、学生はもちろん本学関係者の喜びは格別であった。

1934年(昭和9年)の大阪音楽学校奉職以来60年を越す朝比奈と本学のつながりは、過去の年表に既述の通りであるが、本学の音楽教育の発展は朝比奈隆の存在なくして語ることはできない。本学教員として学生と最後に共演したのは、朝比奈が定年を迎える前年度の第19回定期演奏会であった[1976年(昭和51年)11月19日  会場:フェスティバルホール]。最終ステージで、ベートーヴェン《合唱幻想曲》を演奏している(当該年表参照)。特別演奏会ではチャイコフスキーの《白鳥の湖》より7曲と、《交響曲第5番》を取り上げることになった。特に《5番》は大編成のオーケストラ向きで、学生が取り組むのにふさわしいと朝比奈が選んだ。この曲は自身が1940年(昭和15年)に新交響楽団(現・NHK交響楽団)を指揮してプロ・デビューを果たした思い出の曲でもある。

管弦楽団は宗倫匡教員をコンサートマスターに、約400名の管弦打専攻生から選ばれた83名の学生と、教員ら37名の計120名で特別編成を行った。松尾昌美教員による20回を超える合同練習ののち、演奏会目前の1999年(平成11年)2月12日、朝比奈が23年ぶりに本学の指揮台に立った。3時間半立ちっぱなしで指示を飛ばす巨匠の姿は、とても90歳とは思えないエネルギッシュなものであったという。「大フィルだろうが学生オケだろうが変わりはない」と一音の妥協も許さず、学生たちに“譜面に忠実に”ということを徹底し、ゲネ・プロ(最終総括練習)を含め5回の直接指導で、オーケストラの基本から音楽に対する姿勢、マナーまで教え込んだ。

チケットは発売3日で完売。学生たちは朝比奈と過ごした貴重な時間に学び取ったその教えを音に込め、巨匠のタクトに応えてひたむきに演奏した。日本を代表する世界的指揮者の年輪と学生たちの若い情熱──演奏会を企画した西岡学長はこの両者により「感動的な“磁場”ができた」と評したが、その磁場が会場全体に伝わり、ホールを埋めた1,700人の聴衆の胸を打った。翌日の産経新聞は「ホールは熱気あふれる響きに満たされた」と演奏会の様子を報じている。

「学生たちに意欲があり、いい演奏になりました。よその学校では、急にこうはできないでしょうね」終演後、朝比奈はこう語ったという。(平成11年3月18日付 朝日新聞夕刊)この言葉は朝比奈と本学の絆の深さを物語っている。プロのオーケストラを作り、総合芸術であるオペラをやるにはまず教育が必要、と指揮者として第一線で活躍しつつ本学で40年間後進の育成に力を注いだ。23年のブランクはあっても、朝比奈のまいた種は確実に育ち続けていたのである。「若者の英気を吸って若返り、95歳までは仕事を続けるつもり」と語っていた朝比奈であったが、残念ながらその願いはかなわず、2年後の2001年(平成13年)12月29日、帰らぬ人となった。朝比奈最後の舞台となった同年10月24日の名古屋の公演で演奏されたのもチャイコフスキー《交響曲第5番》であった。

当時の広報誌『Muse』に出演した大学院生の一人が「先生は、私たちの心の中にたくさんの“勉強の種”をまいてくださいました。いつの日かその花が咲き、また新たな種を得ることができるようこれからも努力していきたい」と綴っている。巨匠から学生たちへ──このタイトルに込めた期待の通り、巨匠は音楽を通じて学生たちに多くのものを遺してくれたのである。


 

1997年9月12日来学時 1998年10月9日来学時
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オペラハウスを見学する朝比奈名誉教授。この時の訪問が23年ぶりの共演のきっかけとなった
打合せの為、再び本学を訪れた
 
画像 1998年12月18日 記者会見
「立ってするのが商売だから」と会見でも席を立って挨拶を行った

朝比奈の横から西岡学長・理事長
柿木演奏部長
 
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ザ・カレッジ・オペラハウスでの練習風景
3月1、2日に行われた練習で、朝比奈隆が初めてザ・カレッジ・オペラハウスの指揮台に立った
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ゲネ・プロ(最終統括練習)風景
 
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演奏会当日
 
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当日のプログラムより
 
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