未曾有の震災を乗り越えて

1月といえば、各専攻の実技試験や発表会など例年行事が立て込む時期である。そんな中、1995年(平成7年)1月17日早朝5時46分、阪神淡路大震災が発生した。その日はザ・カレッジ・オペラハウスで大学4年生の声楽卒業演奏が行われる予定であった。夜明けとともに目を疑うような光景の数々が断片的にテレビに映し出された。豊中市庄内も大阪府下では被害の大きかった地域で、全半壊のアパートなどが多く見られた。本学の被害はそれほど甚大なものではなかったが、神戸方面に多くの学生・教職員がおり、その安否が気遣われる中、17、18日を休校とした。出校できた教職員が、学内の被害状況の調査とともに学生・教職員の安否確認を行った。

被災した兵庫、大阪の89大学中最も早い19日より授業を再開、その日から正門横に学生名表を貼り出し、登校学生に丸印を付けてもらって、被災学生調査の手がかりにした。被災者のみならず、交通網が寸断されて登校できない学生が30%近くいた。1月20日の朝刊5紙に広告を掲載、学生の安否を尋ねるとともに授業の再開、卒業・期末試験などの救済措置を知らせる一方、各新聞、テレビ、ラジオ局に情報を流し、報道を依頼した。登校の学生や教員から、また個々に電話で連絡を取るなど情報収集に努めた。

23日には震災に対処する為の教授会が開かれ、自ら被災者であった永井学長が「非常事態」を宣言、今後の方針を打ち出した。第一は約70%の通学可能な学生達の為に予定の行事はでき得る限り実施する。そして、被災学生達には最大の救済措置をもって臨むというものであった。これにより教務部では教学運営の方針を決定した。実技・学科とも卒業・期末試験は補充試験を実施した上で、個々の学生の申し出に対応し、平常点での評価も行うなど柔軟な措置を取った。一方、アドミッション・オフィスも一般入試の出願、受験ができなかった被災者に対して2月10日願書締切、3月8~10日の日程で追試験を行うことを決定、25日の新聞に広告を載せ、各種マスコミを通じて周知を図った。

1月25日の時点で学生・教職員全員の無事が確認される。しかし、学生の家族には12名の死者が出ていた。2月に入り、被災地域の学生1,356名にハガキを出して被害状況の調査を行った。1ヵ月後の3月10日時点で892名(65%)から回答が寄せられたが、236名が何らかの被害ありと答え、うち家屋全半壊は120名にのぼった。学生部に被災学生相談室を開設、交通機関が復旧せず登校できなかったり、長時間かかったりする学生の為に、教職員に居室の提供を依頼した。さらに学費の無利子融資制度や特別支給制度、奨学金貸与者の返還免除制度を決定する。

この他、学内では教職員、学生などの間で様々な被災者救援の動きが見られた。授業再開の翌日から、教員有志10名を発起人とする義援金募集運動が行われ、朝から寒風の中、大学正門脇に設置した募金箱の横に立ち、登下校の教職員・学生達に呼びかけた。学生自治会も自治会費から義援金を送り、救援物資の提供を呼びかけて被災地へ届けた。被災者への救援は音楽を通じても行われ、被災地域でボランティア演奏を行う学生や教員の姿が見られた。3月13日にザ・シンフォニーホールで行われた関西の演奏家による阪神大震災被災者救援の為のチャリティー・コンサートにはザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団、同合唱団や本学教員らも出演した。

本学も少なからぬ損傷を受けたが、改修の結果、いち早く復旧の見通しが立った。大学行事、オペラハウスの公演等も中止や延期を余儀なくされたが、何とか無事に新年度を迎えることができた。それは創立80周年の幕開きでもあった。

 



本学の被災状況

学舎に倒壊などはなかったものの、全館でガラス破損、内外壁面や床、地面にひび割れ、天井剥落などが見られ、各事務室、研究室、図書館等のロッカーや書架は倒れ、資料、書籍が散乱した。危険個所も数ヵ所見つかり、通行禁止の措置を取る。全学の被害総額は2億円にのぼった。
 
正門 A号館 C号館  
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2日間の休校 ガラス破損 C、D館の間の通路通行禁止 図書館閲覧室
 
D号館 H号館 K号館  
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視聴室
CD など3万点の資料が散乱、復旧作業に約70日間を要した
入り口通行禁止
屋上貯水槽横転で水道・暖房が停止、漏水発生。学生の出入り一時禁止
音楽生理研究室
各研究室の書架、ロッカー転倒し、資料が散乱
 
    オペラハウス ぱうぜ
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楽器博物館
一部天井崩落、楽器の破損など大きな被害により、9月末まで休館
若人広場
天井損傷で卒業・入学式はオペラハウスで挙行
舞台機構の一部損傷
2階ティーラウンジの飾り天井が落下
 


臨時措置の数々
 
在学生補充試験の掲示 被災学生相談室設置の掲示 一般入試追試験合格発表
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大学9名、短大12名が合格
被災の中での合格に感極まって涙する姿が目立ったという
 


被災者支援の動き
 
自治会による支援 教職員による義援金募集  
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マエストロも募金
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1995年6月9日


ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団第13回定期演奏会

指揮者に迎えた岩城宏之が第1部終了後、マイクを持って現れ、聴衆に義援金を呼びかけた。岩城は大阪のホテルで震災に遭遇して以来、救援活動を続けていた。ソリストの田中勉教員、楽団員たちもバケツを持って客席を回り、募金を行った。集まった21万6,429円とテレホン・カード229枚は岩城の意向により、神戸大学の外国人留学生後援会に贈った。後日同会会長より丁重な礼状が届く。

 


復旧に向けて

平成6年度の卒業・修了式は震災によるK号館若人広場補修工事の為、オペラハウスで挙行した。竣工した1989年(平成元年)以来のことである。永井学長は“生きる”ことの切実さを痛感した自らの被災体験から、「人との和を築き上げる努力を、自らの能力を高める努力を」と式辞を述べた。付属図書館では、散乱したCD、LD、LPなど約3万点の資料を整理し、1月19日より点検作業に入った。2人の職員が約70日間かかり切りで行い、4月12日からの通常開館に間に合わせた。被害が大きく9月末まで休館していた楽器博物館も復旧工事、展示楽器の修理を終え、10月2日より開館。これを記念して、“リニューアル・オープン・コンサート”として10月12日にフランスのバロック楽団「ル・パルルマン・ドゥ・ムジーク」を招き、第41回レクチャー・コンサート「よみがえれ ひびき~秋澄・バロック」を開催した。
 
平成6年度卒業・修了式/平成7年度入学式  
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卒業式で式辞を述べる永井学長
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入学式もオペラハウスで挙行
 

図書館
   
画像 画像 1点ずつ汚れをふき取り、傷のあるものは音を聴き、使用不能なものは廃棄処分にするなど、目と耳による根気の要る確認作業が3月末まで続いた

楽器博物館
   
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展示替えも行い、9カ月ぶりの開館となった
第41回レクチャー・コンサート
 


次に備えて

この震災の教訓を生かして危機管理のマニュアルを見直し、「防災のしおり」を発刊。防災訓練をより徹底して行い、学生の避難経路の確認など、教職員の意識向上を図った。

 
防災のしおり 防災訓練(1996年9月12日)
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