館長制度の発足

1989年(平成元年)の開館から2年、ザ・カレッジ・オペラハウスは春秋のオペラ・シリーズ公演の他、各種コンサートを実施し、1991年(平成3年)4月までの公演回数200回、のべ入場者数76,000人の実績を上げていた。これを踏まえ、さらなる活動の充実を図るべく、オペラハウスと教学面の運営部門を切り離し、それぞれの活性化を期することとなった。以後、オペラハウスの運営は理事会直轄となる。これに伴い、新たに企画・制作権限を持つ館長職を置き、同年6月1日付けでその初代館長に日下部吉彦が就任する。

日下部は朝日新聞記者、朝日放送音楽プロデューサー・解説委員長などを歴任、ラジオ、テレビのニュース・キャスターとしても長年活躍した音楽評論家であった。一方、関西合唱連盟会長や全日本合唱連盟理事の肩書も持ち、前年10月からは本学理事も務めていた。オペラハウスを本学の芸術活動の発信地としてより積極的に有効活用し、学外企画・公演の誘致など、対外的な活動も深めていこうとの狙いから、その担い手となる人材を学外から起用した。

就任に先立ち、5月27日に田中喜一理事長ら大学幹部同席のもと記者会見を行い、日下部が自身の抱負を語った。その中で特に大きな3つの構想として、オペラハウスをかつての大阪のように日本の創作オペラの拠点にすること、人材不足という日本のオペラ界の問題解消の為にオペラ・スタッフの確保、育成を図ること、オペラハウスに専属の合唱団を創ることを挙げた。

館長制度を敷き独自の運営を始めるにあたり、オペラハウス事務室を新設。以後、公演の主催者名も館長管轄のものは「大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス」、演奏部管轄のものは「大阪音楽大学」、と両者を区別して表示するようになった。それまでの「大阪音楽大学オペラハウス管弦楽団」が現在の「ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団」の名称になったのもこの時からである。

初代館長のもと、ザ・カレッジ・オペラハウスの新たな一歩が始まった。
 

記者会見 就任当初 テーマ研究講義で教壇にも立つ
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1991年5月27日
右から日下部館長、西岡副理事長、
田中理事長、高橋常任理事
1991年6月2日
1992年4月22日
     
《夕鶴》 楽屋
指揮者團伊玖磨氏と
《魔笛》 ゲネ・プロ
演出家栗山昌良氏と
庄内公民館のオペラハウス見学の
ガイドをする日下部館長
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1993年11月24日
1994年4月25日
1994年6月22日