関西主要プロ・オーケストラ、5団体共立の時代へ

大阪にはかつて、都道府県が有する日本唯一のプロ吹奏楽団が存在していた。府職員により構成された大阪府庁吹奏楽団を前身とし、1952年(昭和27年)11月に発足した大阪府音楽団がそれである。戦後の大阪府民の音楽文化の向上を主眼に活動を展開した同団だったが、創立40周年を待たずして楽員の高齢化や人件費の増加などにより府の行政改革の対象となる。府は同団を発展的に改組し、国際都市・大阪の文化を担う「芸術性の高い、我が国有数の楽団」たる公営の新オーケストラ創設を目指してオーディションを行い、1989年(平成元年)12月に財団法人大阪府文化振興財団運営による2管編成の大阪センチュリー交響楽団を発足させた(2011年に府から独立し、日本センチュリー交響楽団と改称)。同財団は1991年(平成3年)7月に豊中市の服部緑地公園内に専用練習場の「センチュリーオーケストラハウス」(服部緑地野外音楽堂に隣接)を建設。新興オーケストラとしては極めて恵まれた設備環境などにより、中規模編成を生かした緻密なアンサンブルを獲得してゆくことになる。この大阪センチュリー交響楽団の誕生により、関西では大阪フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪シンフォニカー(現・大阪交響楽団)を合わせた5つの主要プロ・オーケストラ(室内オーケストラを除いた日本オーケストラ連盟の正会員)が共立し現在に至っている(関西では他にプロ・オーケストラとして、日本オーケストラ連盟準会員である1985年設立の奈良フィルハーモニー管弦楽団や1988年設立のザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団が存在し、また現在正会員である兵庫芸術文化センター管弦楽団は2005年に設立されている)。

上記関西オーケストラ5団体の内で歴史的に最も古参となるのは、1947年(昭和22年)1月に朝比奈隆を中心に関西交響楽団として設立され、1960年(昭和35年)に改組し今に至る大阪フィルハーモニー交響楽団である(年表1947年の「関西交響楽団創立」記事に前出)。創立から半世紀を超える2001年(平成13年)まで、朝比奈が常任指揮者・音楽総監督を務めた。「大フィル」という愛称で幅広い市民層から親しまれ、大阪を代表する個性的なオーケストラとして発展。現代音楽における貢献も少なからず、1962年(昭和37年)から1977年(昭和52年)にかけて開催された「大阪の秋」国際現代音楽祭では、内外の現代作曲家の作品を多数とりあげ、関西楽壇に大きな足跡を残している。また、「大阪」を冠する老舗オーケストラとして文化使節の面でも大いに貢献し、欧米などの海外演奏旅行で称賛を浴びた。1991年(平成3年)には、大阪市と南海電鉄のバックアップによりオーケストラ練習場としては日本最大と謳われた「大阪フィルハーモニー会館」を西成区に建設。大阪センチュリー交響楽団と同年に優れた練習場を得て、楽団の実力に更なる磨きをかけることとなった。

この大阪フィルハーモニー交響楽団に続き、京都市交響楽団が1956年(昭和31年)4月に国内初の自治体運営オーケストラとして誕生(京都市直営であったが、2009年に京都市管轄の京都市音楽芸術文化振興財団に運営移管)。ドイツ人のカール・チュリウスが初代常任指揮者として就任した。「市民文化の形成と青少年の情操の向上、住民の福利の増進に資する」という理念に基づいて創立された同団は、古都京都の新しい文化創造の担い手として活動を展開、「京響」の愛称で親しまれてゆく。1973年(昭和48年)から1998年(平成10年)にかけて行われた邦人現代作曲家を主とした新作委嘱は、自治体オーケストラとしての特性を生かしたものであった。1976年(昭和51年)には初の海外公演となる香港演奏旅行を行い、1987年(昭和62年)には国交のない北朝鮮への演奏旅行を実現。日本のオーケストラとして初訪朝し文化交流の成果を収めるなど、同団ならではの演奏活動が社会的に注目された。また同団は、大阪センチュリー交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団に先立ち、廃校となった北区の小学校を改築した現練習場を1989年(平成元年)に得ている。さらに1995年(平成7年)、京都市が建設した京都コンサートホールへ本拠を移し、一層の飛躍を遂げてゆく。

関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年(昭和45年)に神戸女学院大学音楽部の卒業生を中心に結成されたヴィエール室内合奏団をその前身とする。1975年(昭和50年)にヴィエール・フィルハーモニックと改称以来、海外演奏旅行を含む12年にわたるオーケストラ活動を基盤として、1982年(昭和57年)1月に現名称で新発足した。1993年(平成5年)3月、大阪市港区に本拠地を定め、弁天町のオーク200ハープ館(現・西館)内の「オークホール」を練習場として現在に至る。多くの公的支援は望みがたい民間のオーケストラながら、地域社会に密着した演奏活動を展開し、「関フィル」と親しみを込めた愛称で呼ばれている。練習場で開催する「コミュニティー・コンサート」における聴衆との親密な交流や、関西出身の若手アーティストとの共演を積極的に行うなど、独自のカラーを打ち出している点が同団の特徴である。

1980年(昭和55年)9月創立の大阪交響楽団は、アマチュア合唱団(大阪コーラルソサエティ)所属の一主婦であった敷島博子(現・永久名誉楽団代表)を主宰者として「大阪シンフォニカー」の名称で出立している。合唱団専属のオーケストラをという敷島の想いに端を発して誕生したオーケストラだが、一般的にはオーケストラ創設には多額の出資は無論のこと、日本においては自治体や放送メディアなどの組織、あるいは近衛秀麿や朝比奈隆、小澤征爾といった専門職としての指揮者がそれに関わってきたわけであるが、敷島博子のような事例は実に特殊なケースであったと言えよう。関西フィルハーモニー管弦楽団と同様、公的支援の僅かな民間オーケストラながら、敷島の『聴くものも、演奏するものも満足できる音楽を!』をモットーとして幅広く活動。1988年(昭和63年)には運営・支援組織として大阪シンフォニカー協会が設立されている。2000年(平成12年)に本拠地を政令指定都市である大阪府堺市へ移転し、その翌年には楽団名を「大阪シンフォニカー交響楽団」と改称。さらに創立30周年を迎えた2010年(平成22年)に楽団名を「大阪交響楽団」とした。

上記の関西5つのプロ・オーケストラのうち、大阪府を拠点に活動する在阪オーケストラは京都市交響楽団を除く4団体であるが、2006年(平成18年)にはこの4団体の累積赤字などの理由により経済界から合併提案がなされている(翌年の各団理事長の共存合意により回避された)。また、橋下徹大阪市長が大阪府知事時代より進めた文化行政の方針転換により、2011年(平成23年)に大阪センチュリー交響楽団は民営化、他の在阪オーケストラも補助金カットがなされた。経営的な困難に直面しつつも、各団は営業面での強化を目指し、2012年(平成24年)9月に開催された大植英次プロデュースによる「大阪クラシック」では初めて在阪4つのオーケストラが揃って参加、また2015年(平成27年)4月には4楽団が1つの舞台で交互に競演するという画期的なコンサート「大阪4大オーケストラの饗演」(フェスティバルホール)が開かれるなど、〈共生〉に向けた模索が続いている。