本学初の校史編纂

本学初の校史の編纂は、1984年(昭和59年)秋からの史料収集に始まった。本学は鉄筋コンクリート造りの味原校舎により戦火を免れたが、終戦後、焼き出された周囲の住民の避難所となり、机や椅子だけでなく、書籍や楽譜と一緒に書類なども燃やせるものは何でも燃料代わりにされ、大半の史料を失っていた。生き残るために、仕方のない時代であった。史料収集は困難を極めたが、卒業生をはじめ、関係諸氏の協力、貴重な史料の提供を受け、欠落した本学の歴史資料をかなりの部分補うことができた。

1980年(昭和60年)9月末、田中喜一学長・理事長を委員長に、梅本俊和、鎌谷静男、高橋準二、永井譲、西岡信雄、野口幸助、横井輝男ら7名の編集委員が決定、塩津洋子、高山正朗、西岡信雄、橋口武仁ら4名の編集スタッフが実務に当たった。創立70周年となる同年10月1~15日、水川記念館(現・K号館)において、年史刊行に先立ち、フェスタ70の関連行事の一つとして、収集した史料による「70年史写真展」を開催、本学演奏会のチラシ、プログラム、出版楽譜、永井幸次自筆楽譜などとともに展示を行った。

1988年(昭和63年)3月1日、『大阪音楽大学七〇年史 楽のまなびや』を刊行。田中編集委員長は巻頭にこう記している。「校史を綴るに当たっては、学生諸君が建学の精神を受けとめ、先輩諸兄姉の築かれた学風をひき継ぎ、それが現在に生かされることを期待しつつ進めてまいりました」。記述は、音楽教育の大きな流れを軸に本学の歴史をたどり、音楽大学らしい暖か味のある読み易い内容とするよう努めたとしている。そのために400枚近い写真、図版、それに加え校史の背景、古今の音楽事情、社会事情などを織り込んだ。これには当時の音楽文化史研究室が、音楽文化研究所時代より20年余りをかけて収集してきた洋楽史資料と、それにもとづく研究成果が活用されている。

関西に音楽教育を根付かせ、「関西音楽界の父」と称された創立者永井幸次の歩んだ道は、関西音楽界の歴史だともいわれたが、その永井が導いた本学の歴史を振り返ることで、大正・昭和の関西の音楽界も同時に垣間見ることのできる内容となっている。翌1989年度(平成元年度)、70年史編纂のため収集した資料をもとに校史史料室を開設。70年史編集スタッフが史料室委員となり、事務職員1名、非常勤職員1名の体制でスタートする。恒常的な史料収集・整理・管理及びレファレンス対応とともに、以後の年史編纂のための準備を行う。その後、様々な変遷を経て、現在校史史料室の業務は2002年度(平成14年度)に組織統合された音楽博物館で行っている。

 

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70年史のあと、『追録(1986~1990)』、『追録(1986~1992)』を、1996年(平成8年)には『大阪音楽大学八〇年史 楽のまなびや』を刊行