「朝比奈隆の軌跡」~晩年への道

1984年(昭和59年)、関西歌劇団の第53回定期公演を最後に、実質的にオペラの舞台から退いた朝比奈隆は(この後コンサート形式ではオペラ作品を数度とりあげている)、以後コンサート指揮者としてレパートリーを厳選し、日本クラシック界の重鎮たる人生の晩年期へと向かってゆく。首都圏のオーケストラへの客演などを重ねつつも、その活動の中心は飽くまでも手兵の大阪フィルハーモニー管弦楽団の指揮に立つことであり、フェスティバルホールにおける定期演奏会の他、1982年(昭和57年)に開館したザ・シンフォニーホールにおいても数多の演奏会に出演した。

1985年(昭和60年)2月から6月にかけて、朝比奈はザ・シンフォニーホールの自主企画による「ベートーヴェン・チクルス」を大阪フィルと共に行い、見事成功を収める(これにより1985年度ザ・シンフォニーホール国際音楽賞の〈クリスタル賞〉を受賞)。この成功を受け、翌年の1986年(昭和61年)3月には、同ホールにて「朝比奈隆の軌跡」という大阪フィルとの新シリーズが開催された。これは、喜寿を迎えていた朝比奈の厳選された交響楽レパートリーを年間に連続的に披露するという企画で、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーヴェン、ブルックナーの交響曲をメインに据えた4公演が行われた。以後、この「朝比奈隆の軌跡」という企画は、朝比奈が死去する2001年(平成13年)までほぼ毎年開催され(全11シリーズ)、ドイツ・オーストリア系の交響曲を中心としたクラシック音楽の王道とも呼びうる朝比奈ならではの集大成的なプログラム(作曲家のチクルスとして行われることもあった)によって、聴衆の高い人気を誇り続けた。

 

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