外来オペラ来演に見る関西と首都圏の商業的格差

1989年は、昭和天皇の崩御(1月7日)により元号が「平成」へと改元された大きな時代の転換点であった。また同年、国民的歌手であった美空ひばりの死去(6月24日)により、日本歌謡界もまた「昭和」という時代の終焉を迎えることとなった。クラシック界においても、世界的な名声を得た指揮者へルベルト・フォン・カラヤンが没し(7月16日)、ピアノの巨匠ウラディーミル・ホロヴィッツもこの世を去り(11月5日)、正にカリスマ的な大音楽家が音楽界の中心であった時代が終わりを告げようとしていた。この当時、日本国内はバブル期が絶頂を迎えようとしており、一般企業の文化事業や企業メセナ活動の活況はもとより、放送や音楽業界などの強力な発信力によってクラシック音楽は商業的に大きなブームとなっていた。

このような動向の中、同年には首都圏を中心として外来オペラの来日が相次いだ。ウィーン・フォルクスオーパー(6月)、ボリショイ・オペラ(7月)、バイロイト音楽祭(9月)、ウィーン国立歌劇場(10~11月)の引越し公演のほか、東京ドームで行われた丸井スペクタクル・オペラ《アイーダ》(7月)、国立代々木競技場(第1体育館)でのグランド・オペラ《カルメン》(10~11月)、同じく国立代々木競技場(第1体育館)でのアレーナ・ディ・ヴェローナの《アイーダ》(12月)といったイヴェント性の高い大型オペラ公演が開催され、大衆的なオペラ・ブームを呈するに至った。しかし、この中で関西(大阪)公演が行われたのは、ウィーン・フォルクスオーパーとグランド・オペラ《カルメン》のみで、後者はコンサート形式での公演であった。関西歌劇団や関西二期会といった主要オペラ団体の活動に加え、独自の上演企画を打ち出したザ・カレッジ・オペラハウスの開館によって関西のオペラ界は1つの転機を迎えていたが、バブル期のさなかにおける外来歌劇場の来演には、首都圏一極集中、関西と首都圏との商業的格差というものが明確に浮かび上がることとなった。