高度消費社会におけるコマーシャルとクラシック音楽

日本が高度消費社会を迎えた80年代、クラシック音楽業界への一般企業進出が加速した。いわゆる「冠コンサート」が年々増加し、CM(コマーシャル)音楽の分野では広告産業と音楽産業がタイアップした「イメージソング」(企業などの広告音楽としてテレビやコマーシャルで使用されつつ、同時にレコードなどにより販売された楽曲)が全盛期を迎える。「イメージソング」は70年代半ばに台頭し、当時ニューミュージックと呼ばれた楽曲や洋楽ロックなどの使用で興隆を見せるが、それまでCM音楽としては珍しかったジャズやクラシック、新興のニューエイジ・ミュージックなども起用され始める。特にクラシックは、高品質・高級感と結びつくという要因によって様々な企業がその使用に積極性を見せた。「太田胃散」(ショパン《前奏曲第7番》)、松下電器産業(現・パナソニック)「光のメニュー」(ショパン《夜想曲第1番》)、マツダ「カペラ」(J.S.バッハ《トッカータとフーガ》)、サントリー「ウイスキーシルキー」(モーツァルト《ピアノ協奏曲第23番》第1楽章)などが当時の代表的なものであろうが、中でも1986年7月より放送されたニッカウヰスキー「スーパーニッカ」のCMは、類を見ない格調の高さで瞬く間に大きな反響をもたらした。これはザルツブルグ近郊の湖を背景としてキャスリーン・バトル(Sop)がヘンデルの《オンブラ・マイ・フ(オペラ「セルセ」より)》を可憐に歌い上げたもので、その美しい被写体を捉えた瑞々しい映像(実相寺昭雄監督)のサウンド・トラック盤が発売されるや、クラシックとしては異例の20万枚とも言われる売り上げを記録した。ニッカウヰスキーの企業イメージアップや他企業との差別化のみならず、バトルを一躍時の人としたこのCMの波及効果に、当時のマスメディアの絶大な影響力というものを見て取ることができるだろう(第11回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したスタニスラフ・ブーニンが1986年の初来日時に爆発的な人気を博したのも、NHKの特集番組放送によるところが極めて大きかった)。

一方、クラシック音楽ブームがCM制作に影響を与えた例もある。数多の外来オーケストラが来日プログラムにマーラーの交響曲を率先して組み入れ始めたのが80年代初頭(特に1983年に顕著であった)。また80年代は、小澤征爾(フィリップス)、ヴァーツラフ・ノイマン(スプラフォン)、ゲオルグ・ショルティ(デッカ)、ロリン・マゼール(CBS)、ガリー・ベルティーニ(ドイツ・ハルモニア・ムンディ/EMI)、クラウス・テンシュテット、サイモン・ラトル(EMI)、クラウデイオ・アバド、ジュゼッペ・シノーポリ、レナード・バーンスタイン(ドイツ・グラモフォン)といった錚々たる指揮者たちがマーラーの交響曲全集の録音に携わるなど、世界的にも空前のマーラー・ブームが到来していた(なお1986年には、著作権切れによる楽譜出版が相次いだサティのブームも起こっていた)。特に、1985年(昭和60年)から翌年にかけて短期間で完成されたエリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団によるマーラー交響曲全集(DENON)は超優秀録音として話題を呼び、精度高く、しかもしなやかでスケール豊かな演奏は、80年代における新時代のマーラー像とも言うべきものを打ち立てるに至った。このようなマーラー・ブームに乗って制作されたのが、風神雷神図屏風(俵屋宗達)のアニメーションと相まって実に軽妙でユニークな印象を与えるサントリー「サントリーローヤル」(マーラー《大地の歌》第3楽章)のCMであった(1984年)。このCMは、時代に即したクラシック音楽に対するサントリーの芸術的センスの高さを示し(=企業のイメージアップ)、延いては国内におけるマーラー・ブームの更なる広がりをもたらすこととなった。広告産業と音楽産業の絶妙なバランスの上に成り立ったこのようなCMとクラシック音楽の見事な相乗作用は、高度消費社会という世相を反映した正に時代的な事象であったと言えよう。