施設総合整備計画

本学は逐次施設を増設してきたため、従来全学的な施設利用についてトータル・プランを持っていなかった。こうした状況のもと、水川記念館の開設、付属音楽高校の閉校などに伴う目前の諸問題も生じ、教育、研究、管理の全般にわたる施設の総合整備プランを検討する必要に迫られた。1981年(昭和56年)2月10日、理事会の諮問機関として学内各部門から構成された施設総合整備計画委員会が設置され、同年5月に第一次計画案を答申する。

立案にあたっては、向こう15年以内に本学のキャンパスが全面移転、あるいは大規模な部分移転をせず、総学生数また専攻別人員規模が現状と大きく変化しないことを前提とした。学内全施設の管理状況、利用状況を調査し、各部署より提出された施設面の改善要望の内容を吟味、改修・増設の可否について構造・法律・経費面から検討を行い作成した。まずは当面の課題から議論を進め、その中から長期的展望を見出すという手順で策定され、2年を要して第三次計画案まで答申される。これに基づき昭和56年度から58年度にかけて、教室、講義室、レッスン室、研究室、練習室の改造・改修・増設、事務部署の配置換え、図書館視聴室の新設、学生食堂や駐車場の整備など多岐にわたる学内整備が順次実施された。

当委員会は1983年(昭和58年)2月の第三次計画案の答申提出をもって施設面の改善事項をほぼ総括し得たとして解散するが、今後の課題としてホールの新設を提案している。当時のホールは1969年(昭和44年)に建設されたものであったが、委員会は「舞台設備・付帯設備が不完全であり、また老朽化もしてきている。将来的には本学から比較的近い距離に立地し、かつ交通の便のいい所を用地買収して、本学の中枢施設としてふさわしい先進的設備をそろえた新ホールの建設が期待される」とした。これがすなわち、のちのオペラハウスである。

この委員会の提案による具体的な計画地区の設定は昭和56年度より検討し、用地買収等については翌57年度より着手、1985年(昭和60年)12月には文部省に庄内西町1丁目の土地を取得し、穂積1丁目の庄内第三校地は返却する旨、校地の変更届を提出している。新ホール建設は創立70周年事業へと引き継がれていくこととなる。