アルカイックホールとザ・シンフォニーホールの誕生

1982年(昭和57年)は、関西楽壇における重要な2つの演奏会場が相次いで誕生した記念すべき年となった。まず、7月に尼崎市総合文化センター内に“アルカイックホール” ― 音楽・演劇・バレエなどの公演が可能な多目的大ホール(現・あましんアルカイックホール)とミニホール〈玉翔の間〉(現・アルカイックホール・ミニ) ― を有するホール棟が完成。同センターは1975年に美術ホールなどを持つ文化棟を完工させており、ホール棟の完成によって同センターは大型総合文化施設としてグランド・オープンした。7月10日にアルカイックホール開館記念として、朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団が大ホールで杮落し公演を開催。同月14、15日には同大ホールで関西歌劇団がプッチーニ《お蝶夫人》(朝比奈隆指揮、松山雅彦演出)の公演を行った。‘アルカイック’(ギリシア語のアルケー「太古、始め」に由来)と命名された当ホールは、補助席・立見席を含む2030席を有し、ほぼ3面舞台という関西初の広い舞台構造や充実した設備の面でオペラ上演の理想的な会場であった。これにより、関西二期会が1985年(昭和60年)、関西歌劇団が1987年(昭和62年)にそれぞれの定期公演の会場と定めることになる。同ホールはこれらのオペラ団体との共催という形でオペラ事業を積極的に展開し、関西のオペラの拠点として全国的な注目を集めてゆくこととなった。

アルカイックホール開館3ヶ月後の10月、国内初のクラシック音楽専用の“ザ・シンフォニーホール”が大阪市大淀区(現・北区)に誕生。朝日放送創立30周年記念事業の一環として建設されたものだが、このホール建設は大阪のみならず日本の文化向上に貢献しようとした当時の朝日放送社長、原清の念願でもあった。座席数は補助席・立見席を含む1845席。満席時の「残響2秒」という美しい響きが徹底追求されたコンサートホールであり、ホール建設当初から深いかかわりのあった朝比奈隆の要望により、客席が舞台を360度取り囲むアリーナ・シアター形式の採用(国内初)や、ステージ後方には国内最大級となるスイス・クーン社製のパイプオルガンを設置するなど実に画期的な試みがなされた。

このホール開館記念「オープニング・セレモニー」として、10月14日に朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団、チェコスロヴァキアのオルガニストであるフェルディナンド・クリンダ(1961年に母国で朝比奈と共演)が出演。ヴァーグナー《「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲》や、スフォーニュ《オルガン、弦楽器、打楽器のためのB-A-C-Hによる交響的幻想曲》などの演奏を行なった。同月16日から11月3日にかけて「オーケストラ・シリーズ」として国内5つの主要オーケストラが登場。朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニー交響楽団(10月16日)、尾高忠明の札幌交響楽団(10月20日)、小泉和裕指揮の京都市交響楽団(10月27日)、岩城宏之指揮のNHK交響楽団(11月1日)、小澤征爾指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団(11月3日)らが個性溢れる熱演を繰り広げ、開館を祝った。


1984年(昭和59年)10月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いたヘルベルト・フォン・カラヤンが同ホールに初来演。その素晴らしい音響を賞賛し、ザ・シンフォニーホールは一躍世界的な脚光を浴びることとなった。当ホールの建設された1980年初頭からクラシック専門の音楽ホールが全国的に次々と誕生し、バブル景気を通じて一種の“コンサートホール・ブーム”と呼びうる様相を呈してゆく。正にザ・シンフォニーホールは、その先駆的かつ代表的な存在として歴史的にも大きな意義を有することになる。


 

【アルカイックホール】
 

ホール内部

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開館記念プログラム

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関西二期会 第24回オペラ公演
レハール《メリー・ウィドウ》

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関西歌劇団 第56回定期公演
グノー《ファウスト》

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【ザ・シンフォニーホール】
 

国内初のアリーナ・シアター形式

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スイス・クーン社製のパイプオルガン

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開館記念コンサート(10月14日)
朝比奈隆指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団演奏

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(公社)大阪フィルハーモニー協会提供
『大阪フィルハーモニー交響楽団50年史』

オーケストラ・シリーズ(10月16日~)
プログラムより

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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団公演(1984年10月18、19日)
プログラム表紙

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