「開かれた大学」をめざして

1978年(昭和53年)10月、入学定員増の申請のため庄内第二校地として取得した名神口の鉄筋5階建物付き土地は、敷地面積約7,000㎡、2、4階に102レーンを持つ「名神豊中ハイウェイボウル」というボーリング場であった。ここを単なる校舎ではなく、故水川学長の「開かれた大学」をめざすという理念のもと、従来本学になかった新たな施設を創造しようと、「大阪音楽大学音楽文化センター」と名づけ、1979年(昭和54年)3月、創立65周年記念事業として改修工事を開始する。

完成を見ることなく計画実現半ばで、水川が逝去。1980年(昭和55年)7月、水川の名を冠し、新施設の名称を改めて「大阪音楽大学水川記念館(現・K号館)」と命名。生前の水川の功績および、この施設が故人の提唱によって設立されたことを記念し、その趣旨を改めて明確にするためであった。同年9月18日に竣工、楽器博物館と音楽文化研究所がH号館より移転した。

1980年(昭和55年)10月15日、65回目の創立記念日にオープンの日を迎えた。各界約600名の招待客を集め行われた完成披露式の席上、田中新学長が亡き水川の構想を代弁した。「今までの音楽大学というのはレッスン室を中心とする教育であった。しかし、これだけ科学文明が発達した。そういう状況の中で、最新の機械を使いつつ音楽教育の可能性を考えていきたい。そのための施設をまずつくること。そしてもう一つは、その教育を支え、あるいは前進させていく研究機関を充実させること。さらにもう一つの柱は、その教育、研究の成果を「開かれた大学」として社会に開放していくこと。その場としての新しい施設を水川先生は構想されていた」

この構想は音楽音響実験室、音楽教育実験室やオペラスタジオ、録音室といった、当時最新鋭の設備を整えた施設の設置、民族音楽、音楽生理など5研究室の新設、学外に向けての各種公開講座の開催などにより具現化された。式典ののち館内披露となり、各所においてその機能、特性が紹介された。

2階ロビーでは、完成披露と創立65周年を祝うパーティーがなごやかに催された。ロビー空間を広く取ったゆとりのある設計も、「教員と学生のコミュニケーション作り」を強調していた前学長の構想が生かされたものであった。




水川記念館完成披露

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完成披露式で演奏する本学吹奏楽団
(4階若人広場)

 

 


式典後、デモンストレーションを交えて、各施設の紹介が行われた。

【2階】
邦楽演習室では箏、三味線の演奏、照明によって舞台空間を構成できるオペラスタジオではヴェルディ《マクベス》、ボーイト《メフィストフェーレ》の試演などが行われた。

邦楽演習室
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歌曲演習室
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オペラスタジオ
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天井、壁に60基ものスピーカーを取り付けた音楽音響実験室では、壁面スピーカーによる音源移動演奏やシンセサイザーによる自動演奏、波形スペクトルの分析装置測定などを披露。録音室ではピアノ三重奏の演奏と録音再生が行われた。

音楽音響実験室
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音楽音響実験室
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民族音楽研究室展示
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録音スタジオ
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録音調整室
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【3階】
ロビーにおいて音楽文化研究所による関西洋楽史資料の展示と、セミナー室ではサクソフォン・アンサンブルのセミナーが行われた。

音楽文化研究所展示
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セミナー室
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【4階】
音楽教育実験室では教育楽器演奏の実習を移動カメラでモニターテレビに映し、実習風景を再現。楽器博物館においては学生のガムラン演奏などが行われた。

音楽教育実験教室
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楽器博物館
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ガムラン演奏
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各所の披露を終えたのち、2階に場所を移してパーティーが行われた

2階ロビーでのパーティー
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水川学長・理事長胸像
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開館当初は1階ロビーに設置されていたが、現在は楽聖たちと並んで2階廊下に設置されている

 

開館当時の全館見取り図
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