大阪フィルハーモニー交響楽団第100回定期演奏会

1972年(昭和47年)6月5日及び6日、フェスティバルホールにおける大阪フィルハーモニー交響楽団第100回定期演奏会で、朝比奈隆の指揮によりマーラーの交響曲第8番《千人の交響曲》が関西初演された(7日には同会場で民音公演として行われた)。マーラー作品の演奏がまだ今日ほど一般的ではなかった当時の関西音楽界において、この大阪フィルの関西初演は破格の一大イヴェントだったと言っても過言ではない。

驚くべきは、まずその演奏規模の巨大さである。山田一雄指揮の日本交響楽団(現・NHK交響楽団)による本邦初演(1949年)が300名規模、小澤征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団による再演(1970年)では総勢400余名。そして同曲3度目の演奏となった当第100回定期で舞台に上ったのは、指揮、独唱、合唱、オーケストラを合わせた日本史上初の1000人を超える奏者たちであった。これはマーラー自身によるミュンヘン初演(1910年)と比肩する総人員で、オーケストラは京都市交響楽団等からのエキストラを加えた約120人、独唱には関西歌劇団の樋本栄・岡田晴美・永井和子(Sop)、桂斗伎子・羽場喜代子(Alt)、伊藤富次郎(Ten)、三室堯(Bar)、楯了三(Bas)を起用し、約900人の合唱は大阪音楽大学をはじめ、大阪メンズコーラス、アサヒコーラス、グリーンエコー、アイヴィコーラス、コードリベッドコール、関西歌劇団合唱部の計7団体、及び大阪・神戸・奈良放送児童合唱団により構成。正にオール関西勢による記念碑的演奏会であり、関西合唱の層の厚さを如実に示した公演でもあった。

しかし、人間の総重量だけでも約60トン。ホールもこれ程の人員を舞台に乗せるのは開場以来初めてのことであり、特別に床下の補強を行い、反響板を舞台の奥の際まで下げ、10段の雛壇を設置、花道にまで奏者を配置する等、前例のない様々な工夫が凝らされた。当日は、放送録音用とレコード録音用としてNHKやビクターのマイクが約50本舞台に並ぶ中、合唱団員は何と25分をかけて全員着席したという。

このライヴ録音は同年の11月、ビクターから4チャンネル収録の2枚組LP盤(CD4K7513/4)として全国発売され、1993年(平成5年)に初CD化されている。朝比奈にとって最初で最後の演奏となった《千人の交響曲》のこのライヴ録音は、演奏にかける気迫と熱気を生々しく捉えた関西洋楽史における1つの金字塔と呼べ得るもの。そしてまた、大阪音楽大学の若き学生たちがこのエポックメーキングな公演の合唱に参加し演奏の基盤を支えたという点で、本学が関西洋楽史に大きな足跡、影響を残した事例の1つとして数えることができるだろう。




大阪フィルハーモニー交響楽団第100回定期演奏会
(『神戸放送児童合唱団20周年記念誌』より)

画像