テレマン・アンサンブルの発足

1963年(昭和38年)、延原武春が現在の日本テレマン協会の前身となる「テレマン・アンサンブル」を北山隆、宮島登美子と共に結成。彼等は当時大阪音楽大学の学生であり、同じく本学の教官であった瀬野(のち牧)マリ子を中心に発足した「バロック音楽研究会」に所属し、西洋音楽の基礎であるバロック音楽を探求していた。延原らは同年12月19日に本学のホールにて「バロック音楽研究会」の第1回演奏による発表会と題して「テレマン・アンサンブル」の記念すべき旗揚げ公演を行った。延原はこの「テレマン・アンサンブル」の規模を翌年に拡大、「テレマン室内管弦楽団」へと発展させる(2009年に現在の「テレマン室内オーケストラ」と改称)。また、1969年(昭和44年)にはテレマン室内合唱団を新設し、この2つの室内楽の演奏団体を傘下とする「大阪テレマン協会」を組織することとなった(1979年に現在の「日本テレマン協会」と改称)。

「テレマン・アンサンブル」が結成された当時の日本といえば、バロック音楽の分野ではJ.S.バッハやヘンデル、あるいはヴィヴァルディ以外ほとんど顧みられていなかった時代である。団名の「テレマン」は、同じくバロック時代の作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681~1767年)に因んでいるが、この名を団名に掲げたのは、延原がテレマンの自叙伝にあった「人が喜ぶために作曲している」という言葉に感銘を受けたからだという。バロックを専門とする室内楽アンサンブルの存在自体が実に希少だった60年代。テレマンのその作曲信条を伝えるべく、「バロック音楽の普及・啓蒙」と「楽しさ」をテーマに、延原は専門のオーボエ演奏、そして指揮活動を通じて自らの楽団と共に様々なコンサートを積極的に展開してゆく。

1965年(昭和40年)に「定期演奏会」を開始。1968年(昭和43年)から、トークを交え聴衆との垣根のないサロンを形成しようとした「マンスリーコンサート」を開催し、1971年(昭和46年)より宗教音楽を教会の聖堂で奏でる「教会音楽シリーズ」を始動。このようにして、延原は関西を拠点にバロック音楽の演奏を主軸とした新しい演奏会の試みを果敢に追求していった。さらに延原と当団は90年代よりピリオド楽器による演奏にも取り組み、日本における古楽演奏団体の草分けとしてその確固たる地位を確立してゆくことになる。