初の海外演奏旅行

「音楽を通じて日台親善を──」と本学管弦楽団が初めて演奏旅行で海外へ渡ったのは、1966年(昭和41年)3月のことであった。これは大阪フィルハーモニー交響楽団が1971年(昭和46年)に韓国へ初の海外公演を行った5年も前のことであり、日本のオーケストラ としては戦後初の訪台となった。

この演奏旅行は本学の短期大学第一期卒業生で、台湾でピアニストとして活躍していた藤田梓の尽力によるものである。彼女の夫でヴァイオリニストの鄧昌国は台北市立交響楽団を創設、その指揮者を務めており、台湾音楽界のリーダーの一人であった。日本と台湾を音楽で結びたいというのは、結婚当初から夫妻にとっての夢でもあったが、前年に創立50周年を迎えた本学の要望もあり、彼女が東奔西走のうえ母校の交響楽団を招き、台北市立交響楽団との初の両国合同演奏会を実現したのである。夫妻の働きかけにより、中国文化経済協会からの正式な招待状が届いた。

3月25日、水川学長以下、小橋潔学部長、管弦楽団指揮者・演奏主任・事務長・代表としてそれぞれ宮本政雄、土橋康宏、安松稔寿、辻井清幸の6名、学生28名の総勢34名がともに台湾へ渡った。現地では想像以上の歓待を受け、1週間の滞在中に8回のパーティーが催された。大阪音楽大学・台北市立交響楽団連合演奏会と銘打たれた演奏会は2千名収容の台北国際学舎で3回開催されたが(うち一般公開は2回)、入場券は前日までに完売状態。チケットが買えなかったので練習でいいから聞かせて欲しいと、いつもホテルには数十名の現地の学生や子供たちが待ち受けていたという。ホテルでオーケストラというわけにもいかず、学生たちは少人数の室内楽団に分かれてリクエストに応じた。「ぜひ家に来て、親にも聴かせて欲しい」との申し出も多く、男子学生などは一晩にいくつもかけもちで個人宅を回った。

27、28日、演奏会は宮本の指揮で両国国歌に始まり、ヴァーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲やベートーヴェン《交響曲第5番「運命」》、ブルッフ《ヴァイオリン協奏曲》、ウェーバー《ピアノ小協奏曲》などを演奏した。「運命」が終わった途端、どよめきとすさまじい拍手が起こり、総立ちの聴衆がアンコールを叫んだと、同年5月1日付の毎日新聞が伝えている。29日には一部の学生が現地のテレビに出演、モーツァルト《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》などの演奏が生放送された。30日には中国文化学院講堂で本学管弦楽団単独の演奏会を開催。メンデルスゾーン《ヴァイオリン協奏曲》など3曲を披露し、翌31日に故宮博物館を見学して帰路に着いた。

この演奏旅行をきっかけに中国文化学院との姉妹校協定が結ばれ、教授の交換や学生の交流などの話もされたという。そして水川は団長として蒋介石と単独会見の栄に浴することもでき、総統から「貴交響楽団の来演はまさに建設的な企画であり、感謝にたえない」と一行の労をねぎらわれたという。大阪の一音楽大学の管弦楽団訪問ではあったが、現地での反響は予想以上に大きく、日台親善の成果はあったといえる。若き文化大使の一翼を担った学生たちがこの経験で得られたものは計り知れず、この先本学は「国際人の養成」をめざすべく、ますます国際交流を図っていくこととなる。

 

台湾公演に尽力した鄧夫妻(左)
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中国文化経済協会の何応欽会長(中央)と
水川学長、小橋学部長

 
中国文化経済協会からの招待状
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現地でも数多く報道された
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現地の小学校なども視察
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台北国際学舎での連合演奏会
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団員の一人、島津公子がソリストを務めた
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連合演奏会チケット
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台湾の各種団体より寄贈の記念旗
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国立放送局テレビに出演
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生演奏が放送された
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中国文化学院での演奏会ポスター
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中国文化学院前にて
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本学管弦楽団単独演奏会
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貴重な体験を綴った感想文と団員証
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