本学とバイロイト・ワーグナー・フェスティバル

1967年(昭和42年)の春、記念すべき第10回目の開催となる大阪国際フェスティバルにバイロイト音楽祭が史上初の海外公演をすることとなり、全国のクラシック音楽ファン、そして世界のワグネリアンが大阪につめかけた。バイロイト音楽祭といえば門外不出とされ、世界各地からの要望にもいまだかつて祝祭劇場を出ることはなかった。それが大阪へやって来たのは、大阪国際フェスティバル協会の長年にわたるねばり強い交渉の結果であったという。

ヴィーラント・ヴァーグナー演出の巨大な舞台装置、照明装置などをすべて持ち込み、そっくりそのまま祝祭劇場の舞台を再現しての上演であった。2ヶ月前には舞台製作者が来阪し、2千坪の見本市展示場で製作を開始、フェスティバルホールも開幕までの1ヶ月を休館にして改修するなど、日本の音楽史上においても異例のスケールでの公演となった。

その異例づくめの公演に、本学の学生が合唱で出演するという機会に恵まれた。演目は《トリスタンとイゾルデ》、指揮は前年にバイロイト音楽祭に招かれ成功を収めていた、作曲家としても著名なピエール・ブーレーズ。歌手たちはビルギット・ニルソン、ハンス・ホッターなど名だたる面々で、オーケストラはNHK交響楽団が演奏した。

この上演にあたっては、第1幕の水夫たちとマルケ王の家来たちを演じる合唱団員としてテノール38名、バス32名が一般に募集されていた。資格はステージに出演する者は身長165cm以上、バックステージに出演する者は制限なし、年齢制限なしというのが条件であった。全国から150余名の応募があり、書類審査の上、課題曲を歌ってステージに出演する31名が厳選された。その中には本学の学生、教員の名前も多く見受けられる。そしてバックステージでのコーラス部分は音程をとるのが難しく、専門技術を要するということで、本学の声楽専攻の学生が出演することになったのである。

練習は1月から始められ、指導にはバイロイト音楽祭に詳しく、ドイツ語に明るいとして本学教員の林達次があたり、クラウス・スプリングハイムが監修、音楽助手のアルフレッド・ヴァルターが仕上げを行った。彼らは大阪国際フェスティバル合唱団として出演し、大阪の地でバイロイト音楽祭に参加するという、得がたい経験を積むことができたのである。

そして「バイロイトへ行かないとみられないバイロイト・ワーグナー・フェスティバルなら、渡航費を考えれば安いもの。是非、教職員のために!」と本学は水川学長の提唱により、《トリスタンとイゾルデ》《ワルキューレ》両日のBボックス席を買い切ったという。チケットの入手は困難だっただけに、出演した学生たちのみならず、教職員にとっても貴重な体験となったといえるだろう。





合唱団の練習風景とメンバー表(プログラムより)

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((公財)朝日新聞文化財団提供)



歴史と伝統あるバイロイト音楽祭を鑑賞するにあたり、詳細な案内書が作成された

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((公財)朝日新聞文化財団提供)



休憩時間、開始のファンファーレなども本場にならって行われ、来場には正装が義務づけられた
あらかじめ鑑賞のための映画上映や、対訳台本の販売など、初心者向けの様々な準備がされていた

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