カール・オルフの来日

ややもすると《カルミナ・ブラーナ》の作曲者として有名なオルフであるが、彼は児童音楽教育にも目覚ましい業績を残している。きっかけは戦後1948年(昭和23年)にドイツで放送した子供のための音楽指導番組だった。これが大評判になり、『子供のための音楽』として活動をまとめて出版するとこれもまた大きな反響があり、長じて世界的名声を獲得することになったのである。

オルフの来日は専ら音楽教育の普及啓蒙活動に費やされた。9月15日東京、18日名古屋、20日大阪、22日福岡、28日札幌、10月1日宮城、4日東京というスケジュールである。公演や実地指導を精力的に実施。東京、名古屋、大阪では公開指導をラジオやテレビで放送した。

『音楽之友』に掲載された座談会集録には彼の思想がわかりやすく記されている。オルフの教育システムと日本の音楽・音楽教育を巡って議論が展開するのだが、オルフはまず日本の子どもの歌について、「日本語のリズムは、私の印象から言うと旋律的な高低が主になっているように思います」と所見を述べる。そして、「それをハーモニーでもってアクセントをつけちゃって…」と、無理やりに和声づけすることに疑問を呈し、「日本の子どもの歌にある詞(ヴォルト)のリズムにもっと注意を向けるべきだと思います」という方針を指し示す。強調されるのは、歌い継がれてきた日本の子どもの歌をしっかりと理解し、その特色を活かして教材に用いる工夫である。

オルフの書物の日本版の出版に携わっている花村大(はなむらまさる)が、「オルフ博士の精神を生かして、私どもの手で日本のものを作る─
私どもが編曲するということはいかがでしょうか」と尋ねた時も、同様の考え方を示す。「もちろんその通りでそういったことをやってもらうということが、私の根本の教育の精神で、私はそのために日本に来た。私のやっていることは一つの試みですから、それを参考にして日本のものを作り上げていただきたいと思います」と明確に回答する。

教育の現場を深く理解したうえでオルフの思想を柔軟に当てはめるという見識の高い意見は、多くの教育者を引きつけることになっていった。




カール・オルフ(右)とグニルト・ケートマン(左)(muse vol.2第18号より)

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東京での講演風景(muse vol.2第18号より)

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