創立50周年に向けて

昭和38年、いよいよ2年後に創立50周年を迎えるにあたり、その節目の年を意義あるものにしようと、創立50周年記念事業を企画した。本学は戦後における音楽文化の興隆と相まって、漸次隆盛となり、4年制大学設置の前後より急速に発展するに至った。しかし本学の施設はその発展に伴いかねる、ほとんどが木造の急増施設であった。半世紀を経て、これを機にさらなる本格的な音楽教育をめざし、根本的な施設の拡充改善を図るため、木造校舎を鉄筋コンクリートに建て替えることにしたのである。

10年で全校舎を建て替える長期計画を立て、創立50年となる昭和40年秋までには食堂・学生控室の新設、本館(現在のA号館)と3号館(現在のC
館)の建て替えを行うこととなった。昭和38年6月、父兄、教職員、幸楽会員や関係各位にあてて「大阪音楽大学創立50周年記念事業についてのお願い趣意書」を配布し、協力と支援を仰いだ。協力預金制度というものを設けて本学指定の銀行口座への定期預金を募り、その預金を見合いに銀行から融資を受けようとしたのである。結果、目標額をはるかに上回る預金が集まり、潤沢な資金を得て、第1期工事に着工することとなった。

昭和40年7月に現在のA
館が竣工し、秋までには間に合わなかったが、現在のC館も翌年1月に完成。以降、B、E、D、F館と順次完成し、昭和44年6月にはホールも建て替え、当初の10年計画を半分の5年で遂行した。

施設の拡充と同時に、教育内容の充実についても新たな取り組みを行った。前年の昭和37年に関西初の邦楽学科開設に向けて準備委員会を発足させたのもその一つである。また昭和38年からはヨーロッパの音楽事情を視察するために、1年に数名の専任教員を派遣することとした。昭和39年には期限付きではあるが、外国人の専任教員を迎えて教授陣の強化を図った。

この頃の本学にとって、来るべき創立50年という記念すべき年は一つの大きな目標であり、その目標に向けて全学をあげて邁進していた。振り返ると、その後の本学にとって、さらなる飛躍を試みるための大変重要な契機となったのである。




大阪音楽大学見取図
(「大阪音楽大学創立50周年記念事業についてのお願い趣意書」より)
当初3階建ての予定であった本館は、4階建てに変更された

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本館平面図 (昭和40年大学要覧より)

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