朝比奈隆の海外演奏旅行

朝比奈隆が第2回海外演奏旅行を行い、ベルリン・ウィーン・スウェーデンで公演した。今回はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の招聘によるもので、同オーケストラを指揮するとともに、ウィーン国際音楽学術会議に出席して日本の楽団の現状を報告し、併せて邦人作品を紹介することにもなっていた。このとき演奏されたのが、大栗裕《大阪俗謡による幻想曲》と芥川也寸志《弦楽合奏のための三楽章》である。

西洋音楽の本場でどのように評価されたのかということは誰しも興味を持つところであるが、当時もそうだったようで、帰国後8月の朝比奈隆帰朝特別演奏会のプログラムにベルリンの新聞に掲載された演奏会評がまとめて特集されている。興味深い批評の言葉をいくつか拾ってみたい。(以下、原文ママ)


アーベント紙
しかしこの点でもっとも強烈なのは芥川の「弦楽合奏の為の三楽章」である。これもまた新しい日本音楽を興味深くうかゞわせるに足るものである。
まだ50歳に満たぬ朝比奈は、能力、意志、実行力に満ちた極めて卓越した指揮者である。ベートーヴェンの第4交響曲の演奏は、きわだつたものであり、あますところのないものであつた。(ローター・バンド)


デル・クリーエ紙
痩身端正の紳士がベルリン音楽院ホールの檀上に立つている。詩人松尾芭蕉の国、もつて正確に云えば陽昇る国は遠く大阪から来訪の指揮者朝比奈隆である。聞くところによれば日本の音楽界では中心的な地位をしめているであらうところの朝比奈はドイツにおけるありし日のフルトヴェングラーにも比すべきものらしいが音楽院のホールでのベルリン・フィルハーモニーの試演の際の朝比奈の指揮をみればうなずけないことではない
――中略――
これよりも強い印象を残したものはベルリン・フィルハーモニー・オーケストラに捧げられた大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」である導入部のレントオは風の息吹を感じさせ嘆きに満ちた声が湧き起つては形なきものへと消えてゆく。ドラは陰うつな魔術の響きを持つて迫り、多彩なメロディー・フロスケルが奏でられる。要するにこれは異国風な描写力にみちた音楽であり、ヨーロッパ人もその暗示的な迫力から免れる事は出来ないし、又それは西洋的な音楽と日本的な音楽との綜合を目指すだけでなく、それを実現する事も可能であるとの明白な証拠にも似るものである。(I・コンチエンロイター)


テレグラフ紙
日本人が欧州の音楽をかくも巾広く解釈し演奏したことは、心理的に実に興味深くかつ意味深いことである。
ベルリン・フィルハーモニーの音楽院講堂の演奏会は種々の点でこの事実を立証した。客演指揮者、朝比奈はベートーヴェンの第4交響曲で演奏を終えたが、彼の指揮者としての優れた技術を輝かく認めさせたのみならず、実に明白な指揮でもあった。特にベートーヴェンの解釈はそれに刻印を押した如きものであつた。
彼は運動的な快い弾力、強い情熱そして、堂々たる人格が示す精力とで、オーケストラを巧みに導いて行つた。(カ―ル・レーベク)

なお、大栗裕は《大阪俗謡による幻想曲について》の初演にことよせて、「私は新しい人々から保守反動と呼ばれることも敢えて辞さない古臭い陳腐な祭囃子を使ったことに私は私のささやかなレジスタンスと、日本の伝統音楽に対する深い尊敬と愛情をも含めているのだ」と語る(『関西芸術』第48号)。また、外遊は大成功し、朝比奈隆は来秋から毎年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の客演指揮を行うことになった。



ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とリハーサルをする朝比奈
(昭和31年8月20日 朝比奈隆帰朝特別演奏会プログラムより)

ベルリンフィルと朝比奈隆




演奏会の後、ベルリン高等音楽院院長ボリス・ブラッハーに1953年に日本で死去したレオニード・クロイツァーのデスマスクを贈呈する朝比奈
(昭和31年8月20日 朝比奈隆帰朝特別演奏会プログラムより)

デスマスクを贈る朝比奈




ベルリンでのプログラム表紙が使われた帰朝特別演奏会チラシ

チラシ



1957年(昭和32年)以降、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団はじめ、欧州各国から招聘を受け、数多くの著名楽団を指揮していく。



ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮する朝比奈
(昭和32年10月8日 ベルリン高等音楽院ホール)

上演写真




スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団演奏会
(昭和35年3月3、4日 会場不明)

スロヴァキアンフィル