研究者、永井幸次

学長永井幸次は様々な顔を併せ持つ。教育者永井幸次はもとより、数多くの唱歌や校歌、各種団体歌などを作った作曲家永井幸次としての顔も先の年代で紹介した。作品数は約2,000曲にものぼる。加えて元来きわめて真摯であり、一つのことに対して深く掘り下げて研究するその姿勢からは、学究肌の側面がうかがえる。それゆえ、数多くの教科書の編纂をなし得たともいえる。

大学昇格から3年、『研究紀要』が創刊された。永井は早速、学長自らかねてよりの音楽教育への私案を投稿した。「我邦の音楽教育に使用せる音名と階名並に其の改定案」である。音感教育に注力していた永井は、従来わが国で使われてきた“イロハニ…”や“ドレミファ…”、“CDEF…”といった既存の音名・階名には欠点があるとして、新たに歌いやすく、覚えやすい、より合理的なものを求めて昭和12年頃より研究を重ね、独自に永井式音名(階名)なるものを作った。全国での採用を願って、昭和16年の東京藝術大学で開催された全国音楽教育大会で発表するも、この改定案は文部省に受け入れられなかった。それ以来20年ぶりの再発表であった。大阪音楽学校時代に本学でも一時期この音名を使用していたそうである。

 

 

永井式音名

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音名と階名を同一のものとし、##も♭♭の音も一音で言えること、また音階練習または発声練習になり、簡単で子供が覚えやすく、歌いやすいなどを考慮して作成したという

 

また昭和40年発行の『研究紀要』第4号には、亡くなった永井の机底から発見されたという論文「発声、発音に就ての提言」が遺稿として掲載された。これは大正15年に起稿したものを本人が米寿を過ぎてから書き改めたものらしいが、生理学の方面からも調査研究を行い、図解入りで詳しくまとめている。永井自身は郷里鳥取において幼少の頃からアメリカ人宣教師に唱歌の指導を受け、西洋式の発声を身につけていたそうだが、教師として教壇に立ってまず驚いたことは、生徒たちの声がどなり声のようであったことだという。それ以来、いかにしてその声を改良していくかということが永井の研究課題となっていた。ここには長年の教育経験によって裏付けられたその成果が発表されている。