オペラ研究公演

「大阪音楽大学オペラ専攻科」という言葉が初出したのは、本学所蔵資料によると、年表にも掲出した昭和34年11月3~5日の関西歌劇団第12回公演《ラ・ボエーム》の出演時と思われる。ただそれは便宜上の名称で、当時本学に「オペラ専攻科」という科があったわけではなく、オペラを履修するコースを選択し、それを認められた学生たちと言った方が正確である。その後、同じく年表にある昭和35年の大阪国際フェスティバル《黒船》のプログラムにもその名は記載されている。

このオペラを専門的に履修する学生たちは、3年生の終わりから4年生の初め頃にオーディションによって選考されていた。そしてその学生たちは本学の催しよりも一足先に学外主催の公演に招聘され、出演の機会を得ていたのであるが、かねてからオペラ履修生たちの発表の場を設けることは学内でも検討されていた。それが実現したのが、このオペラ専攻学生による研究公演である。

この公演にあたって、当日のプログラムに総監督であり、演出を務めた朝比奈隆は「これは25才の私が音楽に身を投じこの学校に職を奉じてから27年間ずっと考え続け念じて来たことだった」と記している。朝比奈によれば、海外の優れた演奏家は声楽家もオーケストラも指揮者もオペラを経験して育っている人が多く、本学のオペラ専攻のクラスは教育の場でオペラを取り上げ、将来に備えて技術と人材の積み重ねをしていかねばならないという必要感から生まれたものだったという。

初回は定かではないが、第2回公演からのキャストはオペラ履修生の中から秋にオーディションで決定し、練習を重ねて本番にのぞんでいた。公演回数も昼に学生対象の回を加えるなどして、1回から2回、3回と増えていった。朝比奈は前出のプログラムの言葉を次のように締めくくっている。「オーケストラから衣裳・舞台助手まで全部学生の手で上演されることになり、どうか文字通りの激励の拍手を送ってやって頂きたい。指揮は宮本政雄教授にお願いし、私はこの一年間を指導演出と練習のお世話に当ったが、たくましく育ちゆく若い学生諸君の姿を眺めて胸ふくらむ喜びに満足している」

当時、関西において出演者、オーケストラもすべて学生によるオペラ公演というのは他になく、その成果に期待が寄せられた。この学外におけるオペラ研究公演は、昭和48年の第14回《コジ・ファン・トゥッテ》まで続けられる。

 

 

プログラム表紙

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キャスト・スタッフ(プログラムより)

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チケット(招待用)

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本学ホールにおけるオペラ練習風景と思われる(撮影年不詳)

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第1回研究公演《フィガロの結婚》
昭和36年1月21日(大阪朝日会館)

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第2回研究公演《コジ・ファン・トゥッテ》
昭和37年1月12、13日(大阪朝日会館)3回公演

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第3回研究公演《カヴァレリア・ルスティカーナ》
昭和38年1月19日(サンケイホール)2回公演

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第4回研究公演《コジ・ファン・トゥッテ》
昭和38年10月29、30日(御堂会館)3回公演

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創立50周年記念オペラ公演《魔笛》(第6回研究公演)
昭和40年12月17、18日(大阪府厚生会館文化ホール)3回公演

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