喜びのW受章

昭和39年秋、本学は大きな喜びに包まれた。永井学長が戦後第2回目の生存者叙勲により勲三等瑞宝章を、水川理事長が藍綬褒章を受章したのである。永井は音楽教育、私学振興への貢献により、水川は社会教育、とくに働きながら学ぶ勤労青少年の向上のために尽くした功労が認められての受章であった。永井にとっては先の昭和32年の藍綬褒章受章に続く2度目の栄誉、そして水川はこの受章に引き続き、財団法人社会教育協会からも表彰された。

永井は受章の喜びを次のように語っている。「この道に生きて六十八年、大阪音楽学校から現在の大学昇格まで何度かもう投げ出そうと考えたか知れません。しかし人生はダルマのように七転び八起き、ダルマ大師の精神が私を支えてくれました」。(昭和39年11月3日 読売新聞)

一方、水川は自身の受章について「社会教育ひと筋にやってきたので、私が認められたというより、社会教育の意義が認められたのだと思います。これまで社会教育は学校教育に比べて軽く見られていた傾向があるので、今度の受章はその意味でうれしい」と謙遜しながら述べていたという。(昭和39年10月24日 毎日新聞)

12月11日、新大阪ホテルにおいて2人の受章を祝う記念パーティーが盛大に開催された。本学教職員、学校関係者、音楽家、楽壇関係者、著名人、および両人の知人友人など400名あまりが出席。朝比奈隆が開会の辞を述べた。席上、永井は90歳とは思えぬほど元気な力強い声で挨拶をしていたという。亡くなるほんの数ヵ月前のことであった。




受章の喜びを語る永井学長(昭和39年11月3日 読売新聞朝刊)
"七転び八起き"の達磨大師の精神を好み、自宅には達磨大師の書かれた掛け軸や置物が多く飾られていたという。自分で達磨の絵を描き、言葉を贈ることもあった

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永井学長受章の勲三等瑞宝章勲章


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大西徹山作 永井学長横顔のレリーフ
永井学長の胸像を製作した大西徹山が永井学長の受章を祝して製作

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水川理事長受章の藍綬褒章賞状

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新大阪ホテルでの受章祝賀パーティー
力強く挨拶をする永井学長

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どこからともなく校歌が流れ、全員の合唱のうちにお開きとなったという
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