念願の大学昇格

1954年(昭和29年)に着工した庄内校舎の整備も、第六期工事の3号館完成を目前にした1957年(昭和32年)9月、いよいよ機は熟したとして、四年制の大学設置申請書を文部省に提出することとなった。水川理事長ら幹部と職員が東京大阪間を何度も往復して書類の不備を訂正しつつ「大阪音楽大学」設立許可申請書を仕上げたという。印刷が出来上がったのが9月29日の夜半。提出締め切りの前夜であった。水川はそれを永井学長の机に積んで、「今夜一晩先生の机の上に置いて、先生の魂を入れて貰うんだよ」と指示したという。一夜明け、永井の魂が込められたその申請書は職員によって文部省へ提出された。

10月の書類審査、11月の実地審査を経て、翌年1958年(昭和33年)1月10日、ついに大学設置の認可が下りた。関西唯一の男女共学四年制の音楽単科大学がここに誕生した。全国では武蔵野音楽大学(1949年)、国立音楽大学(1950年)に次ぐ3校目であった。3月末をもって短期大学第一部と専攻科を廃止、一年修了生を大学二年次に、卒業生の一部を三年次に編入させたので、4月1日より一、二、三年が同時に開講することとなった。短期大学は第二部を基に併置し、高等学校は付属音楽高等学校と改称した。

学長永井が私財を投げ打って始めた寺子屋のような音楽学校から、味原に校舎を新設。音楽高等学校、短期大学と一歩ずつ前進し、さらなる発展を求めて庄内の地に充実した教育環境を作り上げ、ようやく念願の四年制大学へと昇格を果たした。創立から実に43年が経過しており、永井は84歳になっていた。しかし、まだ永井にとってこれで終わりではなかった。「これで何時死んでもいいかと思ったが、今では一日でも長生きをして、大学院を作りたいと思っている」と次なる目標を見据えていたのである。




永井学長作の詩(大学昇格記念式典の際、配布された永井学長の式辞の最後に掲載)
大学認可の通知を受けた夜、喜びのあまり眠ることができずに作ったという。死ぬまでに作曲したいとの永井の願いはかなえられなかったが、昭和60年の創立70周年記念行事の中で演奏された山口福男《永井幸次の主題による祝典序曲》に織り込まれた

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大学昇格を報じる教育タイムス(昭和33年1月29日『教育タイムス』第483号より)

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専門教育の主な開講科目

音楽史 音楽美学 音楽理論 音響学 音楽心理学
音声学 楽器学 作曲 歌劇論 ピアノ
ソルフェージュ スコアリーディング 指揮法 伴奏法 合奏
管・弦・打楽器 独唱 重唱 卒業演奏・作品  

 

 

 

 

大学第一期生履修簿 ※画像をクリックすると拡大します

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