イタリア歌劇団来日公演

NHKが招聘したイタリア歌劇団とは、そのような名前の歌劇団が存在するわけではなく、ミラノのスカラ座、ローマの国立歌劇場、ナポリのサン・カルロ劇場で直近の2シーズンに主役を演じた歌手、そしてこれらの劇場の指揮者で編成され、全体的にローマ歌劇場の色が濃くなったために「イタリア歌劇団」と名付けられたという。1956年(昭和31年)から1976年(昭和51年)の20年間に計8回の公演が行われており、初回は歌手17名、指揮、演出、スタッフ等6名の総勢23名が来日した。

いわゆる引越し公演とは違って、主要キャストと指揮者、演出家、装置・衣裳のデザインはイタリア人、オーケストラ、合唱、バレエ、端役とエキストラ、装置・衣裳の製作は日本人、と日伊合同で上演された。これは当時の外貨持ち出し額が厳密に制限されていたため、すべてをイタリアから招くというわけにはいかなかったからである。しかしこの共同作業を通じて日本のオペラ界は多くを学び、その後の発展の礎となった。

東京、大阪、神戸の3都市で18公演と4回の演奏会が開催されたが、23年ぶりの海外からのオペラ公演ということも手伝って、イタリア歌劇団来日公演は大変な評判を呼んだ。演目は《アイーダ》《フィガロの結婚》《トスカ》《ファルスタッフ》であったが、大阪ではトスカを歌うはずであった歌手の体調不良により、《トスカ》は上演されることなく、《ファルスタッフ》に変更された。ラジオやテレビを通じた生中継、後に再放送も行われたために、全国的な反響を呼び、一気にオペラファンを増大させた。またこの放送の際に、当時まだ珍しかった字幕スーパーを入れたところ、内容がよくわかると大成功し、舞台とはまた違った、テレビでオペラを鑑賞する長所となった。

本国イタリアでも望めないような夢の顔ぶれが日本で一堂に会すとあって、海外から駆けつけるオペラファンもいたという。のちに三大テノールとして名を馳せる、パヴァロッティ、カレーラス、ドミンゴが初来日したのもイタリア歌劇団公演で、それぞれ第6回、第7回、第8回に出演している。大阪公演は舞台装置の運搬が大変などの理由で、残念ながら第4回で打ち切られた。

通称「イタオペ」の名で親しまれたこの公演について、音楽評論家の三善清達は「日本の音楽界に与えたカルチャーショックは、黒船に匹敵する」と述べているが、オペラは総合芸術だけに、日本の音楽界はもちろん、多方面の芸術文化にこの上ない影響を及ぼしたのである。





第1回イタリア歌劇団公演キャスト・スタッフ一覧(プログラムより)

プログラム
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10月23、24日《アイーダ》キャスト・スタッフ一覧(プログラムより)
若い人に学ぶ機会を与えようというNHKの方針により、この公演には各方面の才能ある若手芸術家が携わった。森正、外山雄三、岩城宏之、栗山昌良、妹尾河童ら、のちに各界を代表するようなそうそうたるメンバーが顔をそろえている。
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10月25、26日《ファルスタッフ》キャスト・スタッフ一覧(プログラムより)

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10月27日《フィガロの結婚》キャスト・スタッフ一覧(プログラムより)

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チケット
《トスカ》は《ファルスタッフ》変更された

チケット





勢ぞろいしたイタリア歌劇団(昭和31年9月29日 毎日新聞夕刊)

集合写真




《ファルスタッフ》終幕(昭和31年10月30日 朝日新聞夕刊)

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《フィガロの結婚》第三幕(昭和31年10月30日 朝日新聞夕刊)

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