大阪で初演されたオペラ《夕鶴》

1952年(昭和27年)1月30日、大阪朝日会館で初演された《夕鶴》(全一幕)は創作オペラの歴史のなかで、その上演回数の多さ(国内外で700回を超える)や、その後の創作オペラに与えた影響において際立つ存在感をもつ。それは、「日本語によるオペラは可能なのか」という作曲家たちの今日まで続く苦闘の起点となった作品であったからである。作曲家、團伊玖磨は生涯にわたって創作オペラをつくり続けたがその第一作品が夕鶴であった。

木下順二の戯曲《夕鶴》(民話「鶴の恩返し」にもとづく)を原作とし、戯曲の初演は1949年(昭和24年)、木下が主宰する劇団「ぶどうの会」が、主演女優、山本安英によって上演した。日本の演劇史上に残る名作とされているこの戯曲の台本を一言半句変えることなくオペラの台本とすることがオペラ化の条件であった。1950年に團伊玖磨は作曲にとりかかり、翌年に完成、藤原歌劇団によって関西で初演され、その後東京、日比谷公会堂で再演されている。

では、なぜ、初演が東京ではなく、大阪であったのだろうか?それは、《夕鶴》のオペラ化を考えていた新人作曲家の團に対し、その構想を本人からきいた大阪朝日会館館長の十河厳(そごうがん)が「うちでやろう」と即座に申し出たことからオペラ公演が実現したからであった。上演に貢献したとして、十河厳は初演の翌年に伊庭歌劇賞を受賞している。

初演は藤原歌劇団(ダブルキャスト、つう:原信子、大谷洌子、与ひょう:木下保、柴田睦陸)、團伊玖磨指揮、関西交響楽団、めぐみ会合唱団、岡倉士郎演出によるものであった。会場はもちろん大阪朝日会館、1月の厳冬期に会館には暖房がなく聴衆も寒さに震えながらの上演であった。さらに東京、日比谷公会堂、そして中国九州公演とつづき、また初演時にすでにレコード化(日本ビクター)が決まっていたという創作オペラとしては異例づくめの好スタートをきった。毎日音楽賞特別賞、伊庭歌劇賞、山田耕筰作曲賞を受賞している。

《夕鶴》はその後、関西歌劇団が武智鉄二(たけちてつじ、歌舞伎の演出で活躍)による能様式の演出で公演を行うなど、関西生まれの創作オペラとして上演が重ねられていくことになる。



初演キャスト・スタッフ(プログラムより)

藤原歌劇団公演 オペラ夕鶴 プログラム



公演写真/提供:公益財団法人日本オペラ振興会(藤原歌劇団)

夕鶴