永井幸次音楽教育60年

1874年(明治7年)生まれの永井学長が1896年(明治29年)、東京音楽学校を卒業して静岡師範学校に奉職以来、音楽教育60年を数えるのを記念して、その功績を讃える演奏会が盛大に開催された。永井は静岡で4年余り勤めたのち、鳥取師範学校、神戸市立中宮小学校、大阪府立清水谷高等女学校を転任し、1915年(大正4年)に本学を創立した。60年間、永井が音楽教育者として歩んできた道はそのままわが国の洋楽発展の歴史であり、この演奏会当日の毎日新聞には「“生きている大阪の音楽史”といわれる人である」と紹介されている。

主催者である本学関係者、東京芸術大学同声会大阪支部の関係者をはじめ、大阪学芸大学及び相愛短期大学音楽科学生、関西交響楽団による演奏が行われ、会場の大阪府立体育館には6千人の人々がつめかけた。本学学生の永井幸次《菊》独唱で演奏会が始まったが、これは永井が自作の中でも最も愛した曲だといわれている。第二部の式典では「来し方ひとすじ 道芝床しき六拾年…」と、この日のために作られた安西冬衛作詞、野口源次郎作曲の《讃歌》がソリスト永井八重子、木村四郎とともに3大学200名の学生の大合唱によって捧げられた。

この演奏会に永井と親交の深かった山田耕筰は次のような祝辞を寄せている。「60年という長い歳月の間になめられた言語に絶するご苦労を偲び、われわれ後進が一切の私情を捨て、関西の楽壇のよりよい発展のため挺身努力することこそ先生に対する報恩の一途であることを深く信じ、それを今日の祝典に際して誓うものであります」(昭和32年11月20日『関西芸術』第66号)

 

 永井幸次音楽教育のあゆみ

 

大正7年清水谷高等女学校での合唱指導
大正7年清水谷高等女学校電合唱指導
昭和3年清水谷高等女学校音楽部の指導
昭和3年清水谷高等女学校音楽部の指導

 

大正15年味原校舎竣工
玄関に永井学長の姿が見える
味原校舎竣工

 

 
大阪音楽学校での授業(撮影年不詳)
大阪音楽学校での永井幸次の授業

 

 

 

 永井幸次先生音楽教育60年祝賀音楽会


プログラム表紙

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プログラム

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会場となった大阪府立体育館
会場となった大阪府立体育館前
第二部の式典
第二部式典

 

湯前純親より祝辞を受ける永井学長
湯前純親より祝辞を受ける永井学長
謝辞を述べる永井学長
謝辞を述べる永井学長

 

3大学200名の学生による《讃歌》
3大学200名の学生による讃歌
関西交響楽団の演奏
関西交響楽団の演奏

 

記念撮影
記念撮影