スタジオ兼講堂の完成──プロとの共存

本学の講堂であり、関西交響楽団の練習場となるスタジオが完成した。同団を運営する関西交響楽協会との共同出資による建設は、両者の密接な関係があったからに他ならない。本学教員で理事の朝比奈隆は関西交響楽団の生みの親であり、当時水川理事長は同協会の専務理事でもあった。このときの事業部長でのちに事務局長となる野口幸助は本学の卒業生である。

練習場難に頭を抱えていた関西交響楽団にとって、専属の練習場を持つことはまさに悲願であった。そして本学にとっても、学生たちがプロのオーケストラの練習や演奏に間近にふれることができるという、この上ない理想的な教育環境を得ることとなった。さらに、本学学生はこれまでも関西交響楽団、関西歌劇団との共演の機会に恵まれていたが、これを機にますます共演を重ねていくことになる。当時の『音楽之友』や『ミュージック&バレエ』(現・『関西音楽新聞』)などの音楽専門誌に「関西ミュージック・センター」という言葉が見受けられるが、庄内への校地移転には本学とこの関響スタジオ、そしてさらに音楽幼稚園やホールの建設も行い、ここを関西の一大音楽拠点にしようという構想があったようである。

完成したクリーム色の鉄筋コンクリートの建物は、鉄骨アーチ型の屋根を持ち、カマボコのような外観をしていたという。スタジオ内部は吹き抜けで、窓のない完全防音となっており、温度調整及び換気装置が完備されていた。一部2階建てで、その2階部分には事務室のほか、録音室、指揮者室、楽譜室、関西歌劇団の衣裳庫があった。

2月15日、スタジオ落成式が関西交響楽協会専任理事としての水川理事長の挨拶で始まり、宮本政雄指揮のヴァーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲、朝比奈隆指揮の大栗裕《管弦楽のための幻想曲》、関西歌劇団一同によるヴェルディ《椿姫》より乾杯の歌が演奏された。

本学は短期大学、高等学校ともに、ここで様々な演奏会や特別講義、オーケストラやコーラスなどの練習、実技試験や入学試験、式典などを行っていた。昭和35年4月に関西交響楽団の解散に伴い(翌月、大阪フィルハーモニー交響楽団として新発足)、本学がこのスタジオを買い取ることとなる。その費用捻出には非常に苦労したようだが、7月22日、本学の占有施設となり、「大阪音楽大学ホール」と改称する。





ミュージック・センター完成図
(昭和30年4月23日『ミュージック&バレエ』第13号)

ミュージックセンター完成図

 

 

昭和30年7月8日
第三期工事地鎮祭の永井学長


第三期工事地鎮祭の永井学長
昭和31年2月15日
関響スタジオ落成披露式


関響スタジオ落成披露式

 

 

関響スタジオ平面図(関響スタジオ落成式式次第)

関響スタジオ平面図


スタジオ内部

関響スタジオ内部

 

 

指揮者室

指揮者室

 

楽譜室

楽譜室

関西歌劇団衣裳庫

関西歌劇団衣装室

 

 


昭和35年7月22日 大阪音楽大学ホールとなる

大阪音楽大学ホール