民間ラジオ放送の開始

1950年(昭和25年)、“電波三法”といわれる戦後日本の電波・放送行政の根幹を定めた法律が施行され、民間放送設立への道が開かれた。翌年4月に全国14地区16社に日本で初めて民放の仮免許が与えられることとなる。14地区のうち、東京と大阪地区のみ2社ずつに事業が認められ、大阪では新日本放送(現・毎日放送)と朝日放送が選ばれた。

1951年(昭和26年)8月15日、新日本放送はサービス放送と称し、試験放送を開始。毎日正午から4回、1時間ごとに数分間のニュースと、その他の時間には音楽を放送した。これがNHK以外の放送局から放たれた第一声となる。この新日本放送(NJB)というのは、終戦直後からいち早く民間放送事業を興すべく奔走してきた毎日新聞社に京阪神急行電鉄株式会社(現・阪急電鉄株式会社)、日本電気株式会社(NEC)が協力して昭和25年12月に設立された会社である。ここに至るまでの道のりは決して平坦ではなかったというが、わが国初の民間放送を大阪から行うことをめざしてきた同社にとって、まさに悲願がかなった瞬間であった。本放送を開始したのは9月1日、名古屋の中部日本放送(現・CBCラジオ)に遅れること5時間半後の正午のことであった。

次いで関西では朝日放送、京都放送(現・KBS京都)、神戸放送(現・ラジオ関西)が開局し、昭和27年4月にはNHKの独占だった放送業界に民放4局が並立することとなった。これらのラジオ放送を通じて、また新聞社とともに放送局も様々な演奏会を主催するようになり、洋楽はますます身近なものになっていくのである。



本放送直前の8月29日に行われた前夜祭ポスター
NJB交響楽団とあるが、NJBジャズオーケストラなど専属の楽団も編成していた

NJB前夜祭ポスター




1951年(昭和26年)10月18日 新日本放送第1スタジオで「東洋紡サンデーコンサート」を録音する指揮の朝比奈隆と関西交響楽団

東洋紡サンデーコンサート録音風景写真




同年10月22日 新日本放送がNHKに競り勝ち、初来日のエフディ・メニューインの生演奏を独占放送

メニューインの生放送写真