《交響曲ヒロシマ》

1953~54年(昭和28~29年)にかけて視察のために渡欧中だった朝比奈隆がフィンランドのヘルシンキ交響楽団を指揮した際に、同楽団のヴァイオリン奏者であるエルツキー・アールトネンから終演直後に朝比奈に楽譜が手渡された。その際「広島の悲劇の当日、悲壮な思いで書き始めたものです、人類を滅亡に導く原爆に対する芸術家としての最大の抗議をこめたものです」と朝比奈に自らの切実な思いを訴えたという。

日本での演奏を託された朝比奈は、終戦から10年後の終戦記念日にこの作品を広島市公会堂で関西交響楽団とともに初演し、5000名の聴衆が聞き入った。朝日放送、ラジオ中国により放送され、8月31日に京都の円山音楽堂で開催された第2回国連ムーンライトコンサートで関西初演された。


ヘルシンキ交響楽団を指揮する朝比奈隆
(昭和29年3月16日 朝比奈隆帰朝記念招待演奏会プログラムより)

ヘルシンキ交響楽団を指揮する朝比奈隆

 

朝比奈とアールトネン(左)・《交響曲ヒロシマ》楽譜(右)
(昭和30年7月27日 朝日新聞)
朝比奈とアールトネン 交響曲ヒロシマ楽譜