《赤い陣羽織》

木下順二原作、大栗裕作曲のオペラ《赤い陣羽織》(1幕3場)の背景には、「関西オペラ協会」(年表1949年の記事を参照)の誕生、朝比奈隆のオペラに対する情熱、関西労音の「創作オペラ運動」の高まりがあり、《赤い陣羽織》はいくつもの団体や個人によるオペラ創作への情熱が最高潮に達した時代の気運のなかから誕生したといえる。

作品は1955年6月11、12日の両日に武智鉄二の演出、関西歌劇団による「創作歌劇第一回公演」として大阪三越劇場で芝祐久の《白狐の湯》と二本立てで初演された。先んじて同年1月には歌舞伎の演目としても取り上げられている。すでに《夕鶴》の大成功から3年が過ぎ、その間、武智の日本伝統様式による演出(能や歌舞伎といった日本古典文化をオペラに取り入れる手法)が《夕鶴》や《お蝶夫人》によって関西のオペラ界で大きな話題となっていた時期、《赤い陣羽織》は新たに「狂言オペラ」という演出様式を打ち出した武智と、大阪の民俗色を持ち味とした異色の新人作曲家、大栗裕によって生み出された。

原作はアラルコンの『三角帽子』(ファリャやヴォルフがオペラ化)であり、木下順二の日本語翻案作品は《夕鶴》と同様に台本の変更を一切認めないという条件のもとで作曲された。関西のオペラ界では100回をこえる上演がなされており、「おやじ」が当たり役となった本学声楽教員の林誠ほか、歴代の声楽教員と深い関わりをもつ作品である。本学のザ・カレッジ・オペラハウスにおける「20世紀オペラシリーズ」のなかでも2006年に茂山千之丞演出でとりあげられている。




1955年6月11、12日 初演キャスト・スタッフ(プログラムより)

赤い陣羽織プログラム




初演舞台写真(昭和50年11月1日 音楽の世界『関西楽壇の30年・特集12』より)

赤い陣羽織上演写真




《白狐の湯》仕上げ練習風景(昭和30年6月9日 朝日新聞)
原作者の谷崎潤一郎(左端) 演出の武智鉄二(手前右端)






《赤い陣羽織》が表紙を飾った『音楽文化』1955年9、10合併号
おやじ:木村彦治 おかか:桂斗伎子

音楽文化